Music: Lucy in the sky

  









		今から30年ほど前サラリーマンになってしばらくの頃、書店でふと手にした一冊の本で邪馬台国に
		のめり込んだ。それから4,5年邪馬台国関係の本を買いあさり、結婚したばかりのWIFEの顰蹙をか
		いながら古代史に夢中になっていた。やがて古代史にも飽き、仕事も忙しくなって24,5年が過ぎ
		去ったが、ここ10年程の発掘結果による古代史の、常識の塗り替えは凄まじいものがあり、私は再
		び古代史の世界へ引き込まれつつある。


		青森市三内丸山遺跡での発見は、教科書の縄文・弥生の時代特徴を完全に書き換えさせたし、大阪府
		和泉市と泉大津市にまたがる池上曽根遺跡は、弥生中期の近畿においては想像を絶する巨大建築物を
		持っていた可能性がある。しかも奈良ではなく大阪である。また、楼閣や神殿風建物を持つ、佐賀県
		の吉野ヶ里遺跡、福岡市吉武・高木遺跡、壱岐の原の辻遺跡、福岡甘木市平塚川添遺跡、これらの遺
		跡は、倭人伝にかかれている古代の環壕集落が現存したものであった事を証明した。江戸時代には、
		全くの創作だと考えられていた倭人伝の倭国描写が、それなりに歴史的な事実を伝えている事が判明
		した。


		奈良に初めからあったのか、九州から来たのかはともかく、邪馬台国が大和朝廷へと発展しやがて日
		本を統一していったのはほぼ間違いない。卑弥呼の一族が大陸からの渡来人だったのか、それとも純
		粋に日本民族として進化してきた倭人の末裔だったのかは、卑弥呼の骨が発見されてそのDNAの鑑
		定が可能にでもならない限り誰にも分からない。しかし、大陸の人々からの技術・文化及び血脈の輸
		入はまず間違いない。今日では、我々の風習・言語・生活様式は日本独自のものを確立しているが、
		その源は中国であり韓国である。勿論東南アジアのものもあるであろう。今日の日本人は、これらの
		混合DNAの組み合わせ民族なのである。

		だとすれば、卑弥呼の末裔は私である。素戔嗚尊の子孫は君である。よしんば、奈良か北九州のいず
		れかに邪馬台国があったとしても、現代では、「卑弥呼の血」は既にあまねく日本民族に行き渡って
		いる。どこかの一族だけが脈々とその血を受け継いでいる事はあり得ない。一億三千万の日本人全て
		が卑弥呼の末裔なのだ。こう考えると、地元びいきによる我田引水の学説や選民意識は何の意味もな
		い。天皇家も、幾世代に渡る旧家も、曾祖父の時代位までしか遡れない家系でも、皆等しく万世一系
		である事には変わりがないのである。


	
		卑弥呼の末裔達は今日でも、2千年前の先祖達と同じく家族と共同体の為に毎日懸命に働いている。
		役所で、ビルで、鉄道で、トラックで、学校で、そして家庭でも。彼らが毎日背に受けている夕日は
		2千年前、彼らの先祖が背にしていたものと何ら変わってはいない。















		このコーナーは邪馬台国研究の入門編である。ずいぶんと、舌足らずの部分や思いこみによる独りよ
		がりの部分もあった事と思う。浅学に免じてご容赦頂きたい。                 
		後の研究史コーナーで見ていただけば分かるが、我が国古代史の研究には、多くの先達の膨大な軌跡
		が記(しる)されている。詳細はそれらの研究成果を参照されたい。もっと深く古代史・邪馬台国を
		調べてみたいと思った人が一人でもいれば、この入門編を制作した目的はほぼ達成された、と言って
		良い。このコーナーが、より多くの日本人に自分たちの先祖や始祖に思いを馳せ、現在の自分を考え
		直すきっかけを与えるものになればという、願いと祈りを込めて、この入門編を終結する。長々とお
		付き合い頂いて深謝。






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