■神明山古墳(しんめいやまこふん) 丹後町大字宮にある全長190mの、日本海側では最大級の前方後円墳。4世紀から5世紀にかけて築造されたようで、丹 後一帯を支配した豪族の墓と推測される。
「北東から延びた丘陵尾の一部分を利用して築造されており、宏大な前方後円墳の前方部は丘陵で、その間を掘り切って墳 形を作っている。前方部は3段に築かれ、殊に中央くびれ部には円形の「造り出し」を備え、封土について見てみると、墳 丘全面を葺いたと思われる礫石が累々として存在している。円筒埴輪列は、前方部の上端両側と後円部の周囲に埋沒して原 形をとどめている。宮村区長山福藤吉氏の話では、後円部の中腹には数行の円筒埴輪列があって、明治の初年には明らかに 存在していたが、その後開墾された際に破壞されたという。附近に埴輪の破片が散在しているのはその名残である。しかし ながら、この破片に混ざって前方に接する部分に、異形の埴輪片があるのは注目に値する。後円頂部は殆ど平坦で、その直 径は約40歩ほどある。明治26年頃、一度上部を開墾して桑畑にしようとした際、封土を削りとったものだという。 この時、石製品その他が出土している。今、葺石に混じって扁平な無數の水成岩片が散乱しているのは、河内南河内郡城山 古墳、丹波氷上郡雲部村車塚、及び山城久世郡久津川の車塚等同式墳墓の石室の例から推察するに、煉瓦式石室があったの を破壞したためではなかろうか。(梅原委員) 以下略。」 『京都府史蹟勝地調査曾報告 第一冊 京都府 1919』より。
京都府下大きさ古墳上位5基。 1 網野銚子山古墳 竹野郡網野町網野 前方後円墳 中期 198m 2 神 明 山 古 墳 竹野郡丹後町宮 前方後円墳 中期 190m 3 久津川車塚古墳 城陽市平川車塚 前方後円墳 中期 180m 4 椿井大塚山古墳 相楽郡山城町椿井三階 前方後円墳 前期 175m 5 蛭子山1号墳 与謝郡加悦町明石藤野 前方後円墳 前期 145m 全国古墳大きさ50基のうち京都府下は2基、いずれも丹後地方。 1 大仙陵古墳 大阪府堺市 前方後円墳 中期 486m 伝仁徳天皇陵 2 誉田御廟山古墳 大阪府羽曳野市 前方後円墳 中期 420m 伝応神天皇陵 3 上石津ミンザイ古墳 大阪府堺市 前歩後円墳 中期 365m 伝履中天皇陵 36 網野銚子山古墳 京都府竹野郡網野町 43 神明山古墳 京都府竹野郡丹後町
この古墳が築かれた当時この一帯は入江で、すぐそばに港があったと推定され、古代丹後の王たちは、農耕よりも海上交易 と深く関わっていたと考えられている。古墳の表面を飾っていた埴輪の中に、舟を漕ぐ人物を描いたものが発見されている のは、それを表現しているのではないか。神明山古墳上に営まれた経塚からは、平安時代の鏡も出土している。また麓には 竹野神社(たかのじんじゃ)があり、開化天皇の妃竹野姫が、郷里であるこの地に帰り、天照大神を祀ったという社がある。 その側には現在、古代の里資料館が立っており、神明山古墳からの出土物等が展示されている。また、この資料館から400m ほど海側へ行くと、国道を挟んだ一帯が河口に広がった竹野遺跡である。
■竹野遺跡(たかのいせき) 竹野川の河口右岸の砂丘上にある竹野遺跡。弥生時代前期から中世までの土器やその他遺物が、各時代にわたって出土する 複合遺跡。中国を起源とする弥生時代の土製の笛や、籾殻の跡の残る土器など、この地域に暮らしていた古代人の暮らしを 知る、貴重な資料が発見されている。
■古代の里資料館(こだいのさとしりょうかん) 縄文、弥生、古墳時代に分けて、石器、土器、勾玉や鏡類を常設展示。また丹後の民族、鬼退治伝説なども紹介されている。 古代の寺院を思わせるような高床式風の外観の周囲には、竪穴式住居や高床式倉庫なども復元され、一帯は古代公園として 整備されている。 ■入場料/大人500円(ちょっと高い)、小人250円 ■開館時間/9:30〜16:00 ■定休日/毎週火曜日 ■問い合わせ先/TEL.0772-75-2431