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遥かなるシルクロード 西安城壁・安定門



	「西 安」 	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	西安(せいあん, ピンイン: Xi'an、シーアン)は中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都と
	なった長安である。国家歴史文化名城に指定され、世界各国からの観光客も多い。経済的重要性から大幅な自主権をもつ
	副省級市にも指定されている。
	歴史
	紀元前11世紀から西暦9世紀にかけて中国の政治、経済、文化の中心であり、西周、前漢、新、晋、前趙、前秦、後秦、
	西魏、北周、隋、唐の諸王朝の都となった。1369年明の太祖は元の奉元路を廃して西安府を設置し、西安の名称が始
	まった。1898年の義和団事件では西太后ら皇族が北京から避難した。中華民国下の1928年西安市が成立。日中戦
	争のころの1936年には張学良が蒋介石を軟禁する、いわゆる「西安事件」が起きた。1954年陝西省都、副省級市
	となった。2004年西安の西北大学が日本人遣唐留学生井真成の墓誌を発見したと発表して話題を呼んだ。
	地理
	中国関中平原の中部に位置し,北に渭水が東西に流れ,南は秦嶺山脈が東西に走っている.面積9,983平方キロ.人口約
	680万人,そのうち市街地の人口は約300万人を占める.温帯大陸性気候で,年平均温度は13度である.
	行政区画
	<市区>
	新城区 碑林区 蓮湖区 ?橋区 未央区 雁塔区 閻良区 臨潼区
	<県> 
	長安県 藍田県 周至県 戸県 高陵県 
	歴史遺跡
	<市内>
	陝西歴史博物館 碑林博物館 大慈恩寺と大雁塔 荐福寺と小雁塔 大清真寺(大モスク) 大明宮遺跡 鐘楼 鼓楼 明代城壁 
	環城公園 興教寺 興慶宮公園(興慶宮遺跡) 
	<東郊>
	半坡遺跡 秦始皇帝兵馬俑(臨潼県) 華清池 
	<西郊>
	秦朝都城、咸陽 唐朝陵墓群 唐高宗と則天武后合葬の乾陵及び陪葬墓 昭陵 章懐太子墓(唐代壁画古墳) 
	永泰公主墓(唐代壁画古墳) 順陵 漢朝陵墓群 漢景帝の漢陽陵 漢武帝の茂陵
	<南郊>
	楼観台(道教) 風峪口 秦嶺 太白山 終南山 翠華山 
	<北郊>
	西漢 長安斗城遺跡 未央宮遺跡 大明宮遺跡 未央湖 
	日本の友好都市
	福岡県飯塚市(日本)  千葉県船橋市(日本)  奈良県奈良市(日本) 







	かつて長安と呼ばれた現在の西安は、有名なシルクロードの起点であるが、最も繁栄したのは7世紀初めから約300年
	続いた唐の時代である。我が国からも多くの遣唐使たちが命をかけてこの都へ赴き、我が国に多くの文化を伝えた。唐の
	文化を偲ばせる建物は、現在では大雁塔などわずかである。唐の滅亡とともに当時の「長安城」はその殆んどが壊滅して
	しまった。現在の城壁に囲まれた「西安城」は明代に修復された時に造られたもので、唐代の9分の1に過ぎない。



明代城壁の安定門(西門)

 

 




	「安定門」(西門)がシルクロードの起点だとされているが、唐の時代には更に西にあった「開遠門」が西へ旅立つ人達
	の出発点であったという。周囲の長さ約12kmの西安の城壁は、唐・隋の時代のものをもとに明代の1378年に造ら
	れた。現在中国で完全に残る唯一の城壁で、東西南北に城門が設けられている。安定門は西安の城壁で最大である。東西
	の門は二重の城楼で構成され、二重のうち東側(西安の内側)の城楼は木造で、美しい彩色が残る。城門が二重になって
	いるのは、敵が攻めてきた時、外側の門をわざと開け、敵兵が中に入ると門を閉めて上から矢を射って皆殺しにするよう
	になっているのだそうだ。


今上天皇もここを訪れている。長い日中間の歴史を思うと、これは実に画期的なイベントのはずであるが。






	西安の町を囲む城壁はぐるり1周で約13km。幅が約14mある城壁は、歩いたりサイクリングもできる。毎年城壁を
	3周するマラソン大会が実施されているという。




	門の上には同型の二つの櫓がある。櫓の屋根は三層だが内部はニ層になっている。櫓の内部が絨毯やシルク製品を売る土
	産物屋になっている。城壁から眺めた西安市街、楼閣前から東側(城内)を眺めると、向こう正面に鐘楼がある。




	シルクロードへ続く西側の通り。隊商や旅人ははここからはるばる西域へ向かったのだが、現在は高層ビルが並んでいて
	もうシルクロードの雰囲気はない。今回も、日本語の達者な案内人が「敦煌やローマが見えますよ。」と言っていたが、
	(昨年の西安旅行の項参照)今年は京大に留学していたという若者があまり熱心に売り込むので、とうとうSILKのタイを
	セガレの土産と2本買ってしまった。しかし考えてみれば、京大に留学するような奴が、何を専攻したかは知らないが、
	こんな城壁の上で土産物を売ってるだろうか。



	昨年北京から西安へ来たとき、その余りの遠さに驚いたが、地図で見ると北京−西安よりも、西安−敦煌の方がもっと遠
	い。今回も、明日飛行機で敦煌へ飛ぶのだが、エライ目にあった。


  
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