Music: chinese song 12


遥かなるシルクロード 大雁塔



	大雁塔。(だいがんとう)

	昨年行かなかった大雁塔を訪れた。玄装三蔵法師が西国から持ち帰った仏典を納めたところである。この塔は、イタリ
	アのピサの斜塔のようにわずかに左に傾いている。西安がシルクロードの繁栄を背景に栄えて長安と呼ばれていた唐の
	時代、玄奘がインドから持ち帰った膨大な仏典を収め、サンスクリット語から漢訳するための場として652年に建て
	られた。そのあたりの経緯やいきさつについては、昨年の「西安の旅」の「小雁塔」のコーナーで詳述したのでここで
	は省略するが、明代の城壁から約4km南にあり、土レンガ造りの七層で、高さは64mである。玄奘が17年間に及
	ぶ西域の旅を終えて長安に戻った645年には、日本ではちょうど中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼす、大化の改新の年にあ
	たる。







玄奘(げんじょう)三蔵法師ゆかりの大雁塔である。




















	大雁塔と小雁塔は、実際には唐の皇帝高宗が建てたものだが、「雁」という名前の由来について、中国には二つとも玄
	奘が建てたという以下のような言い伝えが残っている。
	『経典を求めて西域を旅していた玄奘はある日、道に迷った。困りはてた末、経を三度唱えると、空に長い鳴き声が響
	き、大小二羽の雁が目の前に降り立った。玄奘は言った。「水も食べ物も尽き、死を待つばかり。どうかお導きくださ
	れば、長安に戻ったのちお礼に塔を建てます」。すると不思議にも、二羽の雁は鳴きかわしながら舞い上がり、砂漠の
	迷路から玄奘を救い出した。長安に戻った玄奘は約束通り二つの塔を建てた。』



釈迦の一生。生まれてすぐ「唯我独尊」と唱えて天を指さしたところから、菩提樹の下で涅槃へ旅立つまでが壁画になっている。

















こちらは壁画がレリーフになっている。真ん中の像は三蔵法師のようだ。








	当時の日本は、国内制度整備のためと大唐の脅威から日本を守るために、唐の政治制度、文化の摂取に懸命だった。阿
	倍仲麻呂、吉備真備、空海らが遣唐使として海を渡った。長安は、はるかローマまで1万5千kmに及ぶシルクロード
	の起点であり終点でもあった。シルクロードを経て西方から伝えられた文物は、唐の都からさらに海を越え、東の果て
	の島国にも大きな影響をおよぼした。



  
邪馬台国大研究 / 西安 / 大雁塔