Music: chinese song 1


遥かなるシルクロード 2006年7月14日 西安から敦煌(トゥンホワン:トンコウ)へ







	■7月14日(金)

	7:00から中華と洋食のバイキング朝食を食べて付近を散歩する。含光門という、城壁の南門側にある門を抜けて市
	内へ入る。ホテルはこの門のすぐ側にあるのだ。7Fの窓から門が見えていた。門の向こうの Main streetは、役所、
	銀行やChina mobileといった企業などのビルが林立しているが、その裏の路地は中国の庶民のstreetである。人々は小
	さな小汚い店で、餅や粥の入ったどんぶりを食べている。これが朝食なのだ。ガイドによれば、中国の庶民は殆ど自宅
	では朝食を作らないという。













	9:30分にガイドの穆さんと運転手が迎えにくる。ホテルを出て半波(左は手偏)遺跡へ行く。昨年と違ってきれい
	に修復されていた。日本の覆い屋根同様の施設が整備されていた。2年越しにやっと念願の遺跡が見れたことになる。
	(半波遺跡の詳細は昨年の「西安の旅」を参照されたし。)午後、兵馬俑と華清池をめぐる。昨年行けなかった阿房宮
	や藍田遺跡にも行きたかったが、ガイドの穆くんはどうしても行こうとしない。藍田遺跡には行きたかったんだがなぁ。
	華清池は昨年は工事中で、いたるところ天幕が張ってあったが、工事は全部終了してずいぶんきれいになっていた。兵
	馬俑では、昨年私が物売りとモメて憤慨した商人たちのテントも跡形もなく、きれいに無くなってしまっていた。おそ
	らく、私のような問題が続いたので、中国当局は行商人をすべて締め出したものと思われる。



	空港へ向かう途中、咸陽を見ていく。漢の三代目皇帝の墓とか則天武后の母の墓などが見えていた。空港の広い食堂で
	中華定食を食べたがハエがぶんぶん飛び回っていた。












	飛行機は7(19):20分敦煌へ向けて出発の予定だったが、7:50分になってやっと機内への案内が始まった。
	しかし機内へ入る直前になってまた戻された。一度もいだチケットの半券を返され、また待合室で待機させられた。そ
	の間何の説明も無い。さすがに中国人たちも騒ぎ出したが、関係者からのアナウンスはない。岐阜から来たという10
	人くらいの日本人ツアーの連中と「一体どうなっているんですかねぇ。」「今夜ほんとに飛ぶのかしら?」などとやっ
	ていると、8時10分頃、機内で食べるはずだった機内食を待合室で配りだした。「こりゃやばいな。」と本気で心配
	した。やっと9時10分頃、「飛行機の調子が悪いので機体を交換します。」と説明があった。「ええぇ、今から交換
	かい。」と思ったら、代わりの飛行機が飛んできてアッという間に機内へ案内された。その速さに驚いていると瞬く間
	に離陸。これにも驚いた。









	結局敦煌の空港に着いたのは午前0時だった。またまた驚いたことに、ガイドも運転手も辛抱強くまっていた。もっと
	も待っていてもらわないと困るのだが。大学を出て1年目だという女の子のガイド、黄さん。真っ暗な道をホテル目指
	して車は進む。どうやら回りはトウモロコシの畑のようだった。黄さんが自己紹介をし、社内で明日のスケジュールを
	確認した。黄さんは回族の出身だそうだ。もちろんイスラムの信者だが、若い者はこっそり隠れて飲酒や肉を食べてい
	ると言っていた。「新彊ウイグル自治区」という名のとおり、この地域で一番多いのはウイグル族なのだが、漢族を除
	けばその次に多いのが回族だそうだ。黄さんんも小柄で見た目も全く日本人と変わらないのだが、イスラム教信者とい
	うだけで、普段そうした人たちに接したことのない我々としては何か妙な気がする。
	30分ほど走ってホテルに到着。ホテルはフロントに誰もいず、ロビーの電気も全部消えていた。黄さんが部屋へ案内
	し、明日早いので早々に眠りにつく。明日は早朝に鳴沙山へ登るという。楽しみだ。





空港と市内。敦煌のシンボル「飛天」像もたっていた。



	新疆ウイグル自治区   【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】

	新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく、Shinjang Uyghur aptonom rayoni)は、中華人民共和国の西端にある
	自治区。ウイグル族の民族自治区であり、その領域は、一般に東アジアの一部として定義されるが、場合によっては中央
	アジアのトルキスタン地域東部(東トルキスタン)と見做される事もある。ウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギ
	ス族など様々な民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれている。
	なお、中国国内では、時間が統一されている為に公式な時差は存在しないが、新疆では非公式に北京時間より2時間遅れ
	の新疆時間が使われている。
	新疆自治区は、東部から南部にかけて、それぞれ甘粛省、青海省、西蔵自治区と省界を接しており、中国最西端に位置し
	ている。自治区面積の165万km2は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占める。ただし、面積の約
	4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当する。総人口は約1900万人で、その3分の2
	は漢族以外の少数民族である。省都は烏魯木斉(ウルムチ)。
	なお、新疆自治区は中国の行政区分で最も国境を接している国が多く、その数はインド、パキスタン、アフガニスタン、
	タジキスタン、キルギスタン、カザフスタン、ロシア連邦、モンゴルの8カ国に及び、国境線の総延長は約5700kmに達す
	る。
	行政区域
	地級市(地区クラスの市)
	烏魯木斉(ウルムチ)市     - 省都。 
	克拉瑪依(カラマイ)市
	地区
	吐魯番(トゥルファン)地区 - 主要都市:吐魯番。 
	哈密(ハミ)地区 	  - 哈密。 
	阿克蘇(アクス)地区 
	喀什(カシュガル)地区     - 主要都市:喀什、莎車。 
	和田(ホータン)地区       - 和田。
	自治州
	ボルタラ・モンゴル自治州 
	キルギス自治州 
	バインゴリン・モンゴル自治州 - 州都:コルラ(庫尓勒)。 
	昌吉回族自治州 
	イリ・ハザク自治州 - 伊寧(イーニン、別名:クルジャ)。 
	アルタイ地区 
	塔城地区 

	伝統的には、テュルク系民族が多いことからペルシア語で「テュルク人の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれる現在
	の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきた。一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域
	は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。
	唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が
	続いた。13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われ、16世
	紀にはヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服された。
	18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「新しい土地」
	を意味する「新疆」などと呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れ
	たが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

	辛亥革命後は中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と
	1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族自治国家東トルキスタン共和国の建国がはかられ
	たが、1949年に最終的に中華人民共和国に統合され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。

	これに対し、東トルキスタン共和国の復活を目指す独立運動が自治区内外で続いている。特に1980年代以降、ウイグル人
	による中国からの独立、イスラム国家の樹立を目指した東トルキスタン独立運動が活発化し、中国の抱える民族問題のホ
	ットスポットの一つとなっていたが、911同時多発テロ事件以降は中国当局の治安体制強化もあって目立った騒擾事件
	は発生していない。ただし、海外では2004年に東トルキスタン共和国亡命政府が樹立されるなど、今なお動きは活発であ
	る。ウイグル人は、中共による非常な経済的搾取、政治的圧迫に苦しめられているとする報告が散見される。2005年、亡
	命ウイグル人イスラム教徒の国際組織である、世界ウイグル会議は「もはや、ウイグルは時限爆弾と化した」とする声明
	を発表しており、同年の9月末には、強硬派独立グループが、北京政府に対して「ウイグルは、あらゆる武力的な手段を
	もって北京政府からの独立を勝ち取る」とする”宣戦布告”(産経新聞の表現)を行っている。又、ロシア連邦国内のチ
	ェチェン独立運動と同様に、ウイグル独立運動は国際的テロリズムとの連携を深めていると指摘されている。

	民族構成(2000年)
	民族			人口			割合(%) 
	ウイグル族		8,345,622		45.21 
	漢族			7,489,919		40.58 
	哈薩克族		1,245,023		6.74 
	回族			  839,837		4.55 
	キルギス族		  158,775		0.86 
	蒙古族			  149,857		0.81 
	東郷族			   55,841		0.30 
	タジク族		   39,493		0.21 
	シボ族			   34,566		0.19 
	満族			   19,493		0.11 
	土家族			   15,787		0.086 
	ウズベク族		   12,096		0.066 
	オロス族(=ロシア人)	    8,935		0.048 
	ミャオ族		    7,006		0.038 
	蔵族			    6,153		0.033 
	チワン族		    5,642		0.031 
	達斡爾族		    5,541		0.030 
	タタール族		    4,501		0.024 
	撒拉族			    3,762		0.020 

	(*)人民解放軍、人民武装警察の軍人は含まない。

	中華人民共和国の成立後、新疆では1954年設立の新疆生産建設兵団などによって、ダム・用水路の建設、防風・防砂林の
	造成などが行なわれ、新しい耕地が開拓された。第一次産業としては、小麦、綿花、テンサイ、ブドウ、ハミウリ、ヒツ
	ジ、イリ馬などが主要な生産物となっている。
	また、新疆は石油と天然ガスの埋蔵量が豊富で、これまでに38カ所の油田、天然ガス田が発見されている。新疆の油田と
	しては塔里木(タリム)油田、準葛爾(ジュンガル)油田、吐哈(トゥハ)油田が3大油田とされ、独山子(トゥーシャ
	ンツー)、烏魯木斉(ウルムチ)、克拉瑪依(クラマイ)、庫車(クチャ)、塔里木の5大精油工場で原油精製も行われ
	ている。
	新疆の石油と天然ガスの埋蔵量は、それぞれ中国全体の埋蔵量の28%と33%を占めており、今日では油田開発が新疆の経
	済発展の中心となっている。特に、西部大開発政策開始以降は、パイプライン敷設や送電線建設などが活発化している。
	これには、中国最大の油田であった黒龍江省の大慶油田の生産量が近年では減少し、中国における新疆油田の重要性が増
	していることも関連している。
	石油とガス開発以外にも、今日の新疆では鉄鋼、化学、機械、毛織物、皮革工業が発達しており、主要な工業地域として
	烏魯木斉、克拉瑪依、石河子(シーホーツ)、伊寧(イーニン)、喀什(カシュガル)が挙げられる。
	このような工業化の進展は、新疆に道路を中心とする交通網の整備をもたらし、烏魯木斉などを拠点とした道路が新疆の
	ほとんど全ての郷・鎮を結び、更には青海省、西蔵自治区、カザフスタンなどとも道路で結ばれるまでになった。
	また、1962年には蘭州と烏魯木斉を結ぶ鉄道が開通し、1990年には延伸によってカザフスタンの鉄道に接続されたことで、
	中国各省と中央アジアを結ぶ鉄道の大動脈が通ることとなった。
	更には、面積が広大なことから航空への依存度が高まり、烏魯木斉の空港を中心として十数の自治区内の主要地を結ぶ航
	空網が整備されていった。その為、今日の烏魯木斉空港は、北京、上海、広州の空港とともに、中国5大空港の一つに数
	えられる程の航空拠点となっており、西アジア、アフリカ、ヨーロッパとの国際線が発着することから、中国西北地域の
	玄関口としての役割をはたしている。
	2005年発表の政府工作報告によれば、新疆の2004年の全省生産総額(GDP)は、対前年比11.4%増の2,203億人民元である。
	また同年の外資導入額は2億米ドルとされている。






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