Music: 月の砂漠


遥かなるシルクロード 鳴沙山・月牙泉

















	ホテルから車で10分ばかり行ったところがもう鳴沙山(めいさざん)である。ゴビ砂漠の西の最終地点で、タクラマカン
	砂漠の東の果てだ。市街地から車で15分ほど、緑のオアシス地帯を抜け出してゴビの石原を3、4キロほど行く。土産物
	店が日本の温泉町のように両わきにずらりと並ぶ道を抜けると、砂山が見えてきてその前に大きな門がある。ガイドの黄さ
	んが外国人20元(1元は約15円)の入場料を払う。門をくぐると、目の前に明るく巨大な砂山が広がる。鳴沙山である。
	太陽光線の具合によっては、目のさめるような白茶にも、光り輝く金色にも見える。敦煌の南郊にある。鳴沙山は、絵に描
	いたような「月の砂漠」ムードの名勝地である。












	門を入ってラクダが50頭ばかり並んでいる広場にくる。一人のオッサンが2頭つなぎのラクダをいきなり跪かせる。さぁ
	乗れと言う。後のラクダから先に乗り、前のラクダに嫁半が乗って、さぁ出発。黄さんはここで待っていると言う。








	ゆらりゆらりと揺れながらラクダは進んでいく。なかなか面白い体験だ。ラクダの揺れに体をあわせて揺れていれば特に乗
	りにくいとかいうことはない。なかなか快適とも言える。






なんと、歩いて登っている連中もいる(上右)。まぁ地続きだから登れない事は無いが。




	急な坂になるとラクダもハァハァと息が荒くなってくる。途中ウサギの糞より少し大きめの糞をボトボト落とす。乾いてい
	て玉になっているので汚さは少しも無い。見ればラクダの歩いていく道筋にいくつも落ちている。




20分ほど行っただろうか、サンドバギーを乗り回している若者たちもいる。ラクダはその横をかまわず黙々と進んでいく。





	途中に車の連中がいて、簡単なテントを作っている。近寄ってきたので何をするのかと思ったら、観光客の写真を写している
	のだ。その写真が、一周して戻ってくるまでに出口に届いていて、紙製のスタンドに3枚セット1000円くらいで売ってい
	る。下が彼らが写した写真。









	やがて高度は増していき、山頂下20mばかりの所でラクダを降りる。ガクン、ガクンという感じでラクダが跪く。ラクダの
	集合場所で今度は山頂への入場料を払う。ここから先は、砂漠の山腹に木で階段が作ってあり、ここを歩いて山頂へ行く。











	7,8分上れば鳴沙山山頂である。稜線に上ったとたん、ものすごい風にみまわれた。ヒューヒュー吹きつけてきて、ほんと
	に「カメラを撮るときは気をつけてくださいね。絶対砂漠でフィルム交換はしないように。」と言われたのがよく理解できる。









	山頂から見るタクラマカン砂漠の偉容は実に感慨深い。敦煌の町を取り囲む緑の木々が砂塵にかすんでぼんやり見える。ここ
	から見ると敦煌がオアシスの町だと言うことがよくわかる。どこまで見渡しても砂の山である。こんなところで一生暮らした
	ら一体どんな人間になるのだろう。





	山頂からは木のソリで一気に砂漠を滑り降りる。中国人のオバサンが一人なかなか降りようとしないので、われわれは少し山
	上で待たされた。やっと意を決してオバサンが滑っていったあと続けて滑る。脇についた木のブレーキを使わないと危ないく
	らいスピードがでる。滑り降りたところからまたラクダに乗る。












帰りは順番が反対になる。私が先に乗って、wifeが後ろ。もうだいぶ客が増えてきて、ずいぶん多くの隊列とすれ違う。


	ガイドの黄さんによると、このトゲのあるラクダ草を食べるのは文字通りラクダだけだそうだ。ラクダは、下顎にトゲ
	を刺しながら血と一緒に葉を咀嚼して飲み込むそうである。







月牙泉






	途中で何組もの隊列とすれ違う。手を上げたり声を掛け合ったりしていると日本人の集団が20人ほど連なってやってくる。
	わいわい、ガヤガヤ賑やかだ。最初にラクダに乗った地点へ近づいてきたので、ラクダの旅もこれでおしまいかと思ったら、
	馬子のおじさんは、門を正面に見て左のほうへラクダの頭を向ける。「あ、もしかして月牙泉かな。」と思ったら案の定、
	写真で見た月牙泉脇の寺院のような建物が見えてきた。とうとうきたぞ月牙泉だ!夢にまで見た月牙泉だぁー。








	ラクダは月牙泉のだいぶ手前で降りて、後は歩道をのんびりと歩いていく。3000年涸れた事が無いという月牙泉。しか
	し思ったより小さな泉だった。周りの砂の侵食はないらしいが、出水量が年々減っているらしく、泉は年々小さくなってい
	るという。遊歩道の先に寺院や塔が立ち並ぶ。さまざまな角度から月牙泉をバックに写真をとる。ネス湖に行ったときにも
	思ったが、まさか自分がほんとにここに発っているとは信じられない思いだ。長安まで来た遣唐使や遣随使たちはここまで
	来たのだろうか。長安から敦煌を目指したものは果たしていたのだろうか。砂漠の中に、3千年涸れたことの無い泉。
	実に不思議な気がする。










	月牙泉のわきにあるレストランには驚くことに「KARAOKE」の看板。この数年、鳴沙山の俗化は嘆かわしいものがあるらしい。
	この数年でずいぶん変わったようだ。夏は24時間営業なので、深夜車座になって酒を飲み「月の砂漠」を大合唱している
	のは日本人である。酔ったときの日本人は、自分も含めて実に醜い。




	これが泉だが、どうして涸れないのか不思議である。湧いてくれば一杯になるのだろうがそんな気配もなさそうだ。むしろ
	砂の流入で池の面積は年々減少しているそうだ。と言うことは、この水は3000年前の水がたまったままなのだろうか。
	どうして砂の中に染みこんでいかないのだろう。



 


クリックしてもらえば月牙泉の全景が見れます。













ここの建物はかっては寺院のような役目もしていたそうだが、今は観光用だ。廻りは砂に浸食されている。下はそこで暮らすトカゲ。



 






	日本人は砂漠が好きである。童謡「月の砂漠」に象徴されるような広漠とした砂の大地に、日本には無いエキゾチックな駱駝
	やモスクの異国情景を重ね合わせて、遥かなる西国情緒をイメージしているのだ。ここに来るまで私は、砂漠というものは1
	種類しか無いと思っていた。細かい砂が延々とどこまでも続き、風が吹くと砂嵐が舞い上がり、人も駱駝も目や鼻を覆って黙
	々と進んでいく砂の大地。これが私の砂漠に対するイメージだった。




	しかしゴビ砂漠には砂が無い。ここは土と礫(れき)の土地である。地下数十mにわたって石の層が続いている。トルファン
	でアスターナ古墳群を見たとき、地下3,4mの石室(石で囲まれていないのでこう呼べるかどうか。)へ降りていったとき、
	両側の壁が何重にも重なった土と石だったのにびっくりした。石は、親指大の小さなものからスイカほどの大きさのものがぎ
	っしりと並んでいる。ゴビ砂漠は、この土と石の砂漠なのである。ここでは殆ど作物は育たないだろう。




	トルファンからウルムチまで、約100kmほどを車で運んでもらったのだが、周りは赤茶けたこの砂漠で、ガイドの董(と
	う)さんは「この道を作る時、材料は全くいらなかったそうです。周りを掘れば両側にたくさんありますから。」と言ってい
	たが、冗談では無かったのかもしれない。敦煌からトルファン・ウルムチにかけては「天山北路」と呼ばれるシルクロードの
	北の道だが、ここはタクラマカン砂漠の東の果て、ゴビ砂漠の西の端にあたる。鳴沙山はタクラマカンの東端で砂の砂漠であ
	る。そして周りはまたゴビ砂漠にも囲まれている。いずれにしても日本では見ることの出来ない光景だ。






ホテルへ戻って朝食をとる。9時頃だったかな。









お粥や卵、ベーコンなどの朝食。今朝はマシだった。ホテルでしばし休息して、敦煌博物館、莫高窟、陽関、敦煌古城、と回る。



 
邪馬台国大研究 / 敦煌 / 鳴沙山・月牙泉