Music: chinese song 4


遥かなるシルクロード





	鳥魯木斉(ウルムチ) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	ウルムチウルムチは、人口約1,600,000人で、中華人民共和国の北西部にある、新疆ウイグル自治区の区都。中国西部では最大
	の都市である。2003年の住民1人当たりの GDPは17,655人民元(2,130ドル)で、中国の659都市中94位である。ウルムチは、多
	くの点で(言語的にも、文化的にも、交易の面でも)中国の東部よりもタシュケントのようなはるか西方の各地とより強く結
	びついている。
	歴史
	ウルムチは、天山山脈北麓のジュンガル盆地東南縁に位置する。乾隆帝によるジュンガル部親征を経て、18世紀後半に城壁が
	設けられ、迪化城(反抗者を教導するという意味が込められている。)と名付けられた。光緒帝の1880年代に新疆省が設置さ
	れると、迪化は同省の省都となった。ウルムチという言葉はジュンガル部の言葉で「美しい牧場」を意味するが(「ブドウの
	森」を意味するサンスクリット語である irumujina(irumuqina) がウイグル語流に転訛したものと説く見解もある。)、これ
	が1955年の新疆ウイグル自治区の成立に伴って正式な市名となった。大都市であるが、四方のどの海から2,300km以上も離れ
	ているため、「海から最も遠い都市」などとも呼ばれる。
	交通
	ウルムチは自治区内の道路網の拠点の一つである。また、蘭州からウルムチ駅を経由して、アラタウ峠を経てカザフスタンに
	至る鉄道路線が走っている。さらに、ウルムチ空港には、北京、成都、西安、カシュガルなどの都市との間に毎日定期便が運
	航されている。





	■7月17日(月)

	8:00朝食。朝粥。9時前ウルムチに向けて出発。天山山脈の麓を抜けていく。前後左右、見渡す限りゴビ灘(たん)の素
	っ気ない褐色が広がっている。「ゴビ」はモンゴル語で砂れきの意味だという。砂丘のようなサラサラした砂ではなく比較的
	固い地面だが、うねりを見せる限りない広がりが訴える印象は、やはり砂漠である。車は、油断するとタイヤが埋まってぬけ
	だせなくなるそうだ。







天山山脈。「停めて、停めて、写真取るから。」と言ったら運転手の毛さんは、「そんなもん、天池に行けばもっと綺麗だよ。」と笑った。


	40分ほど走ると風力発電の風車がたくさん見えてきた。全部で180基もあり、アジア最大の風力発電所だという。しかし風車の
	多くは止まっていて発電していなかった。風力発電の風車が立ち並ぶところでトイレ休憩したが恐ろしいトイレだった。オッ
	サンがケツむき出しで、並んでウンコをしていた。



クリックすると、風車のパノラマが見れます。







上右が恐怖のトイレ。外見は普通だが中へ入ると、男用(下左)と女用(下右)。よほど驚いたのだろう、嫁藩も現場を写していた。

 

中国を旅した人誰もが、「あのトイレだけは何とかならんもんかねぇ。」と言うが、団体ツアーで行った人は案外知らない。





	天山山脈を眺めながら飛ばす。草原や岩山や遠くには雪をいただいた天山山脈、景色はいい。天山山脈に沿ってどんどん走る。
	このあと高速道路に入るとすぐに湖が見えてきた。新疆塩湖という中国で第2の塩湖だ。岸辺に製塩工場があるが、湖から塩を
	取ってきて袋に詰めるだけだから手間がかからない。さらに20分ほど走ると右手に湖が見えてきた。ウルムチの水源地だとい
	う。気持ちのいいドライブを楽しんだ後、トルファンから2時間半ほどでウルムチの町へ入る。




	ウルムチの町は大都会だ。郊外も含んで約230万の人口だそうだ。董さんが勤務する旅行社のビルも見えていた。ウルムチ
	の町へ入って、一番に「新彊ウィグル博物館」に行く。「楼蘭の美女」で有名なミイラが置いてあるところだが、例によって
	写真撮影禁止だった。又例によってscan画像で穴埋め。それからウルムチ市街が一望できる紅山に登る。




	昼食はウルムチのど真ん中の料理店で回族料理。おいしくて評判の店だそうで大勢が並んでいた。シシカバブー、ラーメ
	ンの麺を細かく切ったお粥のようなもの(旗子)、肉と野菜炒め、パンなどが出てきたがとても食べきれなかった。食後、
	これから2時間ほど掛けて天山山脈中腹の、高度2000m(1980m)にある「天池」を目指す。













	夕食は、運転手の毛君の婚約者(上)が働いているというレストランで9時半頃になる。ここで毛くんがビールを飲んだの
	で、コンコンと説教した。初めニヤニヤして話を聞いていたが、日本での交通事故加害者の悲惨な話をすると、次第にうな
	だれて「そんな事してたら、彼女は結婚してすぐ未亡人やで。」という言葉で、とうとうコップを置いた。



	ガイドの董さんは年下だからか、なかなか運転手にはモノが言えないようだったが、毛くんに禁酒話をしたので、私に感謝
	の眼差しをむけているような気がした。営業車の運転手が酒を飲むなど日本では考えられないが、おそらく中国のドライバ
	ーたちは普段飲んでいるのだ。意識はまったく、日本の二昔前、三昔前と同じである。
 

ホテルへ戻ると、部屋の鍵が壊れていて一騒動。2時頃就寝。とうとう今夜で1週間のシルクロードの旅も終わり。明日はもう北京だ。








	ウルムチには驚いた。新疆ウイグル自治区が成立して、中国における西域開発の重要性が叫ばれ始めた1950年代後半か
	ら、ウルムチの町は飛躍的な発展を遂げた。ガイドの董さんはウルムチの生まれだが、「今でも北京や西安の友達は、私が
	ウルムチだというと、人は住んでるのとか、みんなやっぱり馬車で移動するの、とか言うんですよ。」と笑っていたが、中
	国でもそういう認識だから日本人はなおさらだ。砂漠の中にこんな大都会があるなどとは想像もしていなかったが、ウルム
	チは今や人口230万人の大都会である。ビルが立ち並び、高速道路が市内を縦横に張り巡らされている。車のラッシュも
	日本並みである。
	前回の「西安の旅」にも書いたが、中国における自動車の運転は全く荒いこと極まりない。片側3車線ほどの道路でも、無
	節操な車の割り込み、突然の人の横断などが日常的に行われている。日本では交通事故の死者数は、高度成長期の1万数千
	人をピークに以降年々減少しており、平成16年度の死者数は7千人あまりになった。警察庁はこれを5千人代まで下げた
	いとしているが、中国における同年の死者数は何と40万人である。今までの累積ではない。一昨年1年間だけの死者数な
	のだ。私の住む大阪府吹田市の全住民が毎年いなくなっている勘定だ。そう考えると何と恐ろしいことか。しかし、中国に
	おける運転技術、交通事情をみていると「さもありなん。」という気になる。交通法規が整備される前に、自動車が増え続
	け道路ができていった。都会を除けば信号機の設置されている交差点などわずかである。今更この中国人たちが法規を守る
	ようになるだろうかという気がする。

	交通事故死者、6年連続の減少    2007年01月02日16時25分更新  asahi.com
	昨年1年間の全国の交通事故死者数は6352人(前年比519人減)で、1955年以来、ほぼ半世紀ぶりに6000人
	台前半を回復したことが、警察庁のまとめでわかった。6年連続の減少で、同庁は飲酒運転の取り締まり強化で事故が減っ
	たことに加えて、シートベルトの着用率向上の効果が表れたとみている。 
	まとめによると、事故発生件数は88万6703件(4万7125件減)、負傷者数は109万7591人(5万9042
	人減)。ともに増加傾向には歯止めがかかったが、負傷者数は8年連続で100万人を超えた。 
	死者数を月別でみると、すべての月で前年を下回った。特に、福岡市で幼児3人が飲酒運転の犠牲になった事故を受けて取
	り締まりを強化した9月は504人で、昨年同月比で2割減った。 
	都道府県別では、香川(21人増)▽宮崎(18人増)▽高知(11人増)など9県で増えたが、埼玉(57人減)▽茨城
	(39人減)▽千葉(39人減)など38都道府県で減った。 
	死者数が多かったのは、愛知(338人)▽北海道(277人)▽千葉(266人)の順。少なかったのは、鳥取(39人)
	▽島根(46人)▽山形(57人)だった。 
	戦後、死者数は自動車の普及とともに増え、59年に初めて全国で1万人を超えた。70年には過去最多の1万6765人
	を記録。92年に2度目のピーク(1万1451人)を迎え、以後は減少傾向が続く。政府の交通安全基本計画は2010
	年度までに5500人以下に減らすことを目標にしている。


	今回の旅で、敦煌、トルファンまではまだ漢民族の国だという気がしていたが、ウルムチはこれと全く異なっている。トル
	ファンもおそらくはそうなのかもしれないが、ここは人口14万人なのでウルムチほど目立たないのかもしれない。ウルム
	チは一般に言われるようにほんとに他民族国家である。「新彊ウイグル自治区」の首都であるウルムチには本とに色んな民
	族がひしめいている。「新彊ウイグル自治区」だけで42の民族がいて、各民族の一部がウルムチに集まっているので当然
	と言えば当然なのだが、それにしても、今まで写真やTVでしか見たことの無いような風貌の人々が町を歩いているのを見
	ると、ここは民族の交流点という言葉がほんとにぴったりする。目が大きく、彫りの深い浅黒い顔をした中近東系の人々、
	ベ−ルで顔を覆ったムスリムの婦人たち、白い帽子、白い顎ひげのウイグル族の老人たち。見るもの目にするもの、人々が
	ことごとく新鮮だ。これがシルクロードなのだと、ウルムチに来て初めて実感した。



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