Music: End of the World
江戸の旅 前田耕地遺跡 2005.4.9(土)東京都あきる野市

	前田耕地遺跡は、多摩地域の縄文時代を代表する遺跡である。五日市線東秋留駅の近くで、二宮、野辺、小川の台地
	上にある。平井川(多摩川の支流)と秋川の合流点で、二つの河川が削った平野には、現在住宅が建ちこめている。
	その中に、遺跡は前田公園として保存されており、縄文と弥生時代の住居址などが復元されている。




	前田耕地遺跡 あきる野市野辺1-1外  縄文時代草創期〜  都史跡 

	旧石器時代を除けば、日本の有史における時代区分では縄文時代が一番長い。ついで弥生時代、平安時代、江戸時代
	となる。縄文時代は、今から約1万2000年前から始まり、2300年前までの約1万年間をさす。最近、弥生時
	代は10世紀ほど遡るという説が出現したが、まだ定説には至っていない。弥生時代のほぼ10倍の、気が遠くなる
	ような期間である。

 






	不思議なことにこの時代は、後の時代に見られるような技術の進歩や社会体制の変革などがほとんど見られない。
	1万年に渡って、営々と狩猟・漁獲・採集生活を続けているのである。石器の砕き方や狩猟の方法などは、父から子
	へ脈々と受け継がれて、そのまた子へと受け継がれた。






	周知のごとく縄文時代は、石器と土器を使っていた文化である。土器についた縄目紋のゆえに縄文と命名されたが、
	縄文土器が今のところ世界で一番古い土器である。縄文時代は、その時代区分が時系列に6期に分けられる。草創期、
	早期、前期、中期、後期、晩期で、草創期は約1万2000年前〜1万、あるいは、9000年くらい前までを言う。
	この時期の遺跡として東京都には、野川中州北遺跡 恋ヶ窪遺跡などがあり、この前田耕地遺跡も縄文時代草創期を
	代表する、日本でも有数な遺跡である。晩期を除くほぼ縄文時代全般にわたって人々の生活の場だった。
	弥生時代以降も住居として用いられ、古墳、平安、中世、近世にわたって人々が住んだ、いわゆる複合遺跡である。






	昭和51年から発掘調査され、その現場は現在公園になっていて、その中に縄文時代と弥生時代のそれぞれの住居跡
	が保存されている。縄文時代の住居跡からは、熊などの動物の骨やサケ科の歯が大量に出て、漁労生活史上の貴重な
	資料となっている。住居跡のほかに、集石土坑、炉、土坑、石器製作址、配石、なども発掘された。なかでも石器製
	作址は、発見された石器の数が1100点、石器の削りかすが10万点というすごい数で、大規模な石器の製作所で
	あったことがうかがえる。



公園内を歩いていく久保田さん。久保田さんに多摩地方を案内して貰うのはこれで二度目だ。




	この時期、土器も用いられるようになるが、ここから無文の土器のかけらが見つかっている。旧石器の終わり頃の石
	器と一緒に出土した事で話題に上った。縄文時代の住居址は2件あり、一件は、床面を堀り下げて炉がつくってあっ
	た。もう一件は、礫(れき)を丸く並べてあった。両方とも、部屋の中は踏み場もないほど石のかけらが散らばって
	いた。炉のある方は長い方が4.2m、短い方が3.1mの不整円形、石をめぐらせた方は、直径3.3mほどの円
	形の家と発表されている。柱の跡は見つかっていない。移動して狩猟・採集生活を送っていたはずの初期縄文人が、
	ここでは或程度の定住生活をおくっていたのである。



97年4月19日の読売新聞「多摩遺跡マップシリーズ」


	記事の見出しにある石ヤリ工房というのは、約300平方mで、国内最大。これ以後、匹敵するようなものは見られ
	ない。多摩地域では、小平市の旧石器時代の鈴木遺跡にも見られるように、早い時期から、石器の製造が盛んだった。
	また「サケ」の歯が約80匹分発見された。記事では、干し物や薫製にしたと推定している。当時多摩川には、遡上
	するサケがいたのである。クマや小型動物の骨も発見されており、縄文時代草創期の多摩の先住民たちは、多摩丘陵
	の豊かな森や野で狩りをし、川の恩恵を生かしてサケを追い、そしてコツコツと石器作りに励んでいたのだ。



	昨年、同じく久保田さんが案内してくれた多摩の東京埋蔵文化財センターには、この前田耕地遺跡からの出土石器が
	展示されていた。博物館めぐりの「東京埋蔵文化財センター」から、ここにその部分だけ再録する。



 


	縄文時代草創期は、今から約1万3千年前から9千年前までの、旧石器時代最終末から縄文時代が始まる時期にあたる。
	一般に縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期とに分けられる。この区分に異を唱える研究者もいるがご
	く少数で、この分類法はほぼ定着していると言ってよい。
	今から約2万年前の氷河期、最も寒冷な時期には海面が現在より135mほど下降していたと考えられており、それ以
	後、約6千年前の「縄文海進」に向かって温暖化に移行する。草創期は海面が現在より40m程低い位置にあった時期
	といわれている。前田耕地遺跡は、あきる野市野辺1丁目1他、に所在し、昭和51年から59年まで調査され、この
	遺跡で作っていた狩猟用の石槍などが大量にみつかり、平成2年にその石槍を中心とした石器類が、国の重要文化財に
	指定された。

 

 

 

 




邪馬台国大研究ホームページ / 歴史クラブ / 江戸の旅