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平群の里を往く
2004.3.7(日) 歴史倶楽部弟81回例会
平等寺春日神社・平群神社





		「平群氏春日神社」から更に東へ行くと、また「春日神社」にぶち当たる。こちらは平群町平等寺の集落にあるので「平等寺春日神
		社」と称し、平等寺、下垣内(しもがいと)部落の氏神である。祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)。本殿は春日造、極
		彩色の檜皮葺、瓦葺の覆屋で保護されている。

 



		天児屋根命(あめのこやねのみこと) 
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		日本神話に登場する神で、「興台産霊神」(こことむすびのかみ)の子。天照大神の侍臣で祭祀をつかさどる。優れた美声の持ち主
		で、天照大神の「天の岩戸隠れ」の際には、岩戸の前で祝詞を奏する役目を担ったとされる天津神。津速産霊(造化の三神)の内の
		一神。高皇産霊神の子、或は孫といわれるも、津速産霊は独り神とされているので、天児屋根命が始創代となる。津児屋根神(あめ
		つこやねのかみ)ともいう。天神二代(天照大神、天忍穂耳尊)、地神一代(天孫邇邇芸命)に仕え、天孫降臨の際に邇邇芸命に付
		き従って豊葦原中津国に降り立った五柱の友神の一神。藤原氏は祖先が中臣氏で、天児屋根命はその中臣氏の祖先神とされる。藤原
		氏が先祖を祀って奈良に春日大社を作った時、守護神武甕槌神および経津主神とともにこの神も祀り、その後全国の春日神社に祀ら
		れるようになった。その為か、天児屋根命を祭る社は全国に多数存在している。 






		天孫降臨(てんそんこうりん)
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		天照大神は「豊葦原中津国は吾が子孫が王たるべき国なり。行きて治めよ。宝ぎの盛んなること天地とともに極まりなかるべし」と、
		三種神器を邇邇芸命(ににぎのみこと)に与え「王家の御印とせよ」と命じて、下界支配のため豊葦原中津国へ下向させた。天忍日
		命、天津久米命を先達として、天児屋根命ほか七柱の神を左右に従え、三田造をはじめ五伴造を後衛として疋田、二田など二五物部
		氏を武将として高天原を出発させた。日向の高千穂の峰に降臨した。

 


「なもで踊り」奉納絵馬。
		拝殿内に掲げられた文久元年(1861)の絵馬は、昔は大和の各所で行われ、今は途絶えた「なもで踊り」を描いて「なもで」とは、
		南無御礼が転じたもので、雨乞いや順気(じゅんき)祈願満願の日に神前に奉納した踊りのこと。また、境内に多くの石灯籠が奉納
		されており、最も古いのは延宝5年(1677)とある。


平群神社


		祭神は「大山祇神(おおやまづみのかみ)」。境内由緒記によれば、「御祭神大山祇神は山野を司る神で、平群氏の祖武内宿祢が、
		神功皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願し、この地に祀ったと伝う。のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰
		をあつめ、今日に至る。延喜式神名帳に『平群神社五座(並大、月並、新嘗)』とあり、神宮寺としても龍華山西宮密寺があった古
		い社格の神社である。」となっている。これによれば、戦勝祈願の為に、大山祇神を祀ったのがこの神社ということになるが、大山
		祇神とはそもそもどんな神なのだろうか。神話によれば、伊邪那岐命・伊邪那美命を両親とし、娘に、富士山の神の木花咲耶姫(こ
		のはなさくやひめ)神がいる。大山津見神、大山積神などとも書き、妻となる野の神「鹿屋野比売神」(かやぬひめのかみ)もその
		時一緒に生まれている(百済から渡って来たという説もある)。大山祇神の子には次のような神々がいる。木花咲耶姫(このはなさ
		くやひめ:富士山の神。邇邇芸命の妃)、石長姫(いわながひめ:浅間山の神。)、木花知流姫(このはなちるひめ:素戔嗚神の子
		の八島士奴美神の妃。)、足名椎命・手名椎命(櫛名田姫の両親)。大山祇神は全国約1万社といわれる山祇神社に祀られている。




		武内宿禰が神功皇后とともに朝鮮出兵前に戦勝祈願として大山祇神をこの地に祀ったと伝わるが、場所から言って、本来は平群氏の
		祖神を祀っていたのではないだろうか。藤原氏時代、平群の地域は興福寺の影響下に入ったようなので、奈良から春日神がこの地へ
		持ち込まれたのだろう。近くの三里古墳は紀ノ川流域に分布する石棚を有する古墳と同形式であることや、平群氏と同族とされる紀
		氏の居住地でもあったようで、あるいは両族の祖である武内宿禰を祀っていた可能性もある。神社も転遷を重ねているのである。
		日本書紀では、即位前の武烈天皇は大伴金村と共に平群真鳥・鮪を討ち、これ以降平群氏は衰亡していくので、同時にこの神社の祭
		神も衰退したのだろう。







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