Music:unchained melody

平群の里を往く
2004.3.7(日)歴史倶楽部弟81回例会
平群町公民館・ツボリ山古墳




 


	つぼり山古墳へ行く前に寄った平群町公民館。ここに、中央公園の廿日山(はつかやま)遺跡からの出土物の一部が展示し
	てある。しかし錦織さんには悪いが、ここは今まで見てきた中でも、おそらく最低限の展示場である。出土物がかわいそう
	な気になってくる。錦織さんによれば、「平群は行政側に革新系が多いので福祉施設は充実しているが、文化面や町の施設
	は立ち後れている。」のだそうだ。そういえば町役場は、近年の役所にしては恐ろしく粗末だったが、それはいいとしても
	もう少し文化面にも予算を割いて欲しいものである。「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉も在るくらいだし。
	大阪府南河内のどっかの町では、出土物が役場のロッカーの中に新聞紙にくるまれて保管されているという話も聞いたが、
	町の住民の文化度を疑わざるを得ない。







左上の陳列ケースの中に土器類の出土物がある。これが平群町の博物館である。

 

 



 

 

 

 





ツボリ山古墳



民家と民家の間にポツンと古墳が取り残されている。急な石段を昇るとすぐ石室の入り口である。




	<県指定 ツボリ山古墳>
	主体部は南に開口する両袖式の横穴式石室で、奥壁上段の石を内傾させている。玄室長4.25m、玄室幅 2.2〜2.55
	m、玄室高さ2.45m、羨道長4.65m、羨道幅 1.7〜1.82m、羨道高さ1.7mを測る。玄室と蒼ケ奥に二上山の
	白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺が納められている。近畿地方では一般に、石棺が2つある場合、例えば二上山系と播磨系の
	組合せという具合にになるのだが、ここは二上山の刳抜式家形石棺が2つ入るめずらしい例だそうだ。7世紀初頭の築造と
	言うことなので、古墳時代終末期にあたる。玄室への入り口には鉄製の柵があるが壊れている。或いは壊してあるのかもし
	れない。入り口上部にトタン屋根がかぶせてある。





 

橋本さんが乗っているのは羨道部分に置いてある石棺の身。
蓋は紛失している。ここも石室の天井岩はデカイ1枚岩である(下)。

 

石室内の石棺の身と蓋。見ただけで分かる凝灰岩だ。

 


	古墳上で、一人「いにしへ」に思いを馳せる松ちゃん。果たして、見ているのは自分の未来かもしれない。


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