Music: Mr.lonely
豊臣秀次の菩提寺
2000.4.15(土) 京都市中京区木屋町三条下ル


京都三条、高瀬川沿いの瑞泉寺に「豊臣秀次」の墓がある。秀次は高野山で自害させられ首がここに運ばれた。秀次の妻子、
側室達あわせて39人も、この寺の裏手「三条河原」で打ち首になった。後年、菩提を弔うために角倉了以がここに寺を作った。

 

 

 

境内には、秀次肖像画や側室達の和歌などが展示されている。

 

 

秀次切腹の原因について「太閤記」は、京都で秀次の悪行が止まず高野山に送ったが、ここでも悪行非道の限りを尽くしたので
秀吉もかばいきれずとうとう切腹させざるを得なかった、という風に記録しているが、実際は説明にあるように、実子の秀頼に
跡目を継がせたいが為に、甥がじゃまになったという事のようだ。じじいになってからの秀吉は完全にボケていたに違いない。

 

秀吉もアホで残酷なことをする。実の甥とその幼子・縁者を根絶やしにしてしまう。自分で一族の血を絶やしてしまい
結果的に豊臣の世を短くしてしまうのだ。殉死した部下10人も含めて、現在ここには49人全員の石塔が祀られている。

 

下左の表には、処刑された全員の石塔の位置が示されている、処刑の順番まで記録されている。側室達は首をはねられ或いは
刺され、鮮血で加茂川の水は赤く染まった。四人の若君・一人の姫は槍でくし刺しにされ、集まった京の町衆は慟哭したと言う。

 

瑞泉寺の前は高瀬川だ。同じく「角倉了以」が掘った川に桜が満開である。








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