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金山古墳 大阪府南河内郡河南町大字芹生谷




 

 


	【金山古墳】
	金山古墳は二つの円丘を合わせた双円墳という全国的にも珍しい形状を持ち、6世紀末から7世紀初頭頃の、前方後円墳が
	終了する古墳時代の末期から終末期にかけて作られている。所在地は大阪府南河内郡河南(かなん)町大字芹生谷(せりた
	に)。
	大阪から来る場合、近鉄阿部野橋から南大阪線に乗り、古市(ふるいち)で近鉄長野線に乗り換える。「富田林」駅で下車
	し、ここから金剛バスで寺田経由水分(すいぶん)行、または東水分(ひがしすいぶん)行きに乗り、「芹生谷」で下車。
	富田林駅から15−20分くらいである。バスは1時間に1本しかない、ここからは徒歩3、4分である。バスを降りて進
	行方向へ歩き出すと、頭上の電信柱に案内板がある。それに従って右手へ折れると、ほぼ南北に並ぶ2つの円丘を連接した
	大きな双円墳が見えている。

	昭和21年(1946)発見時のデータでは、全墳丘長 85.5m、主丘径55.4m、副丘38.6m、おそらく空濠と思われ
	る周濠をもち、それらを含めた全長は104m。墳丘は北丘は2段、南丘は3段三段築成で、各段に貼石をはったテラスが
	まわる。前期・中期の古墳に見られる、斜面を覆う葺石(ふきいし)は、くびれ部西側以外には存在していなかった。 

	北憤丘(副丘)内の横穴式石室は、花崗岩の自然石を用いた石室で、全長10.6m。玄室、羨道それぞれに、凝灰岩の蓋と
	身からなる縄掛突起を備えた「刳抜き式家形石棺」を一つずつ置き、手前の石棺は穴があき盗掘を受けていたが、ガラス丸
	玉・銀環(奥石棺内)、金銅製金具片・鉄製革帯金具や馬具、鉄刀、土器の破片などが残っていた。石室の前にある幅4.2m
	の墓道から須恵器が出土した。
	この出土土器から6世紀末−7世紀初頭と推定された。石室前にはくびれ部西側へとつづく墓道(通路)があり、石室入口を
	ふさいだあと、この墓道は埋められていた。現在この部分だけ埋葬直後の姿に復元されている。

	南憤丘(主丘)でも墓道とともに墓道暗渠、墳丘内暗渠、横穴式石室があることは確認されているが、北憤丘(副丘)の横
	穴式石室のみが調査されただけで、主丘は今に至るも未調査のため、大きさや石室内の様子などは不明である。平成2年に
	国の史跡に指定され、また平成7年には古墳の周りを整備し史跡公園として開放されている。
	問い合わせは、教育委員会社会教育課(TEL:0721-93-2500(代):大阪府南河内郡河南町大字白木1359-6) 








 


	北墳丘は石室内が見学できるが鉄柵がある。柵の隙間から潜り込むと、デカい石棺が見える。2つ石棺があり、手前の石
	棺は前面に穴が開いている。


その穴の中に手を突っ込んで撮したのが下の写真。どうして石を敷き詰めたようになっているのだろう。底がない。

 

奥にはもう一つ石棺があって、手前のものより少し大きい。しかし全く同型だ。玄室に王を収めて玄道に王妃を置いたのだろうか。

 

 









 











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