SOUND:獅子寝今宵(Lion sleeps tonight)

千早赤坂村郷土資料館








 

 



 







 







 

 







   

 


	正成が湊川に向かう途中の桜井宿(現大阪府三島郡島本町)で正行(まさつら)に、「こたびの合戦は、天下の安否を占う合
	戦となろうし、父がそなたの顔を見ることもこれが最後と思う。正成が討ち死にすと知れたならば、天下の権は必ず尊氏が
	握ると心得よ。されど他人はどうであれ、そなたはしばしの命を助からんがために、我らが多年の忠義を捨て去って足
	利に降ってはならぬ。一足や若党が一人でも生き残っているうちは、金剛、千早の近辺に引き籠もり、敵の大軍が押し寄
	せて参ったならば決死の覚悟でこれに当たり、武略をもって敵を欺け。また万が一にも禍が天主(天皇)の御身に及ぶような
	らば、身を犠牲にしてもお守りいたせ。それが、この父に対する第一の孝行ともなるのだ。」と諭した。
 
	正行は、父の遺訓を守って足利氏に対抗。11年後の正平2年8月、北朝方の隅田城を攻めこの合戦を皮切りに北朝軍と戦
	い、1348年正月 足利尊氏の執事 高師直(こうのもろなお)の率いる6万の大軍が四条畷に到着。これに対して正行は、わず
	か3千騎で決戦を挑み、激戦の末力尽き 弟正時と刺し違えて自刃した。現在、飯盛山の山麓に四条畷神社(同市南野二丁目)
	があり、正行を主神に正時・正家ら一族二十四人を祀る。楠木正成の「大楠公」という敬称に対して、長子正行は「小楠公」
	と呼ばれている。
	【太平記による】






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