SOUND:Penny Lane
元離宮二条城を訪ねて

2001.3.25


 


		ここから歩いて20分ほどのお客さんを訪ねた帰り寄ってみたが夕暮れでもう城門は閉まっていた。夜の二条城も良かったが、昼間にも
		中を見たくて後日もう一度このお客さんを訪ねていった。もちろんその時はここがメインだったのだけれど。

		
		二条城は1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の
		遺構を移すなどして、1626年(寛永3年)完成したものです。したがって、豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の
		建築と家光が作らせた絵画・彫刻などが統合されて、いわゆる桃山時代様式の全貌をこの城に見ることができます。
		1867年15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、ついで1884年(明治17年)離宮となり、1939年(昭和14年)京都
		市に下賜され現在にいたっています。



 



 









元離宮 二条城 世界文化遺産登録


			施設の規模
			総面積  275,000平方メートル   二の丸御殿(6棟)  国宝
			建物面積  7,300平方メートル   東大手門等(22むね) 重要文化財
			全  域   史  跡       二の丸庭園      特別名勝







 



 



		●二の丸御殿 −国宝−
		桃山時代武家風書院造りの代表的なもので、御車寄につづいて遠侍(とおさむらい)、式台(しきだい)、大広間、蘇鉄の間、黒書院、
		白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行にたちならんでいます。建物面積3,300平方メートル、部屋数33、畳は800畳余り敷かれています。
		各部屋の襖絵は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた
		花熨斗形(はなのしかた)の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めています。また御殿東北には、台所・御清所(おきよどころ)
		があり、何れも重要文化財に指定されています。

 


		●大広間 一の間、二の間
		帳台構え(武者隠しの間)、遠棚、床の間、附書院を備えています。このような部屋の造りを桃山時代の武家風書院造りといいます。
		襖絵は、狩野探幽の作になります。この部屋で1867年(慶応3年)10月、15代将軍慶喜が諸大名を集め大政奉還を発表し、徳川幕府265年
		の幕を閉じた歴史的な部屋でもあります。

 


		●白書院
		将軍の居間と寝室です。内部の装飾は、表御殿と趣を異にし、絵画も狩野興以の作で、居間にふさわしい山水画になっています。

 




		●二の丸庭園 −特別名勝−
		二の丸庭園は、古来からの造庭術にしたがい、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した池泉回遊式で、小堀遠州の作と伝えら
		れる。庭は、大広間から眺められるよう造られたものですが、寛永3年後水尾天皇の行幸御殿が池の南側に建てられたとき、御殿からも
		眺められるように改造されたと言われています。色彩に富んだ大小さまざまな石組みにあらわされた力強さは、豪壮な城郭建築とよく
		調和しています。

 

 






		●本丸 −重要文化財−
		本丸は、1626年(寛永3年)3代将軍家光により造築したもの。もとは、城内に高くそびえ壮麗を誇っていた5層の天守閣がありましたが、
		1750年(寛延3年)雷火により焼失、また1788年(天明8年)には、大火による類焼で本丸内の殿舎をもなくしました。

		現在の建物は、もと京都御所にあった旧桂宮御殿を1893〜94年(明治26〜27年)にわたりここに移し建てられたものです。この建物は
		1847年(弘化4年)に建てられたもので、宮御殿としては完全な形で残っている唯一のもので、重要文化財に指定されています。
		本丸御殿南側にある庭園は、明治時代に作庭されたもので、天守閣跡は、この庭園の西南隅にあります。



 


		側を通りかかった女子中学生達の言葉が私の田舎の言葉とまるっきり同じだったので、呼び止めてどこの学校か聞いてみたら案の定、
		福岡県古賀町の中学校だった。まだ京都なんかに修学旅行に来るんだ。最近はみんな海外かと思っていた。

  

−天守閣跡− 狭いが展望は良い。しかし天守閣にしてはずいぶんとはずれの方に建てたものだ。

 

 

 

 




		●清流園
		この庭園は、江戸初期の豪商角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石約800個を譲り受け、これを元に二条城にふさわしく、雄大・明朗・
		風雅をモチーフに、全国より集めた銘石300個と新築のお茶室を加え1965年(昭和40年)完成。庭は池泉回遊式の和風庭園部分と、芝生を
		主体にした洋風庭園部分からなり、面積約16,500メートル、園内には、香雲亭、茶室和楽庵があり、市民大茶会を始め二条城を訪れる国
		賓公賓の接遇場所にも利用されています。

 

なんかしらんけど、隅の方を掘り返していた。今でもまだ調査してるんだ。




このHPの黒字の解説文は全て、入場時にもらう「二条城案内パンフレット」より転載した。記して感謝の意を表す。








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