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堺ウォーキング
2001.6.24(日)





		西本願寺堺別院 

		足利祐氏の創建といわれるが、現在の本堂は文政8年(1825)に再建されたもので、明治4年から10年間、堺県庁として使用されていた。
		堺市内最大の 木造建築で大阪府の史跡指定。境内には与謝野晶子・鉄幹の歌碑もある。本堂の屋根は天に聳え、辺りの空気を威圧する。
		法然・親鸞の師弟銅像が仲良く並んで立っている。



		神明寺前駅から東へ3分ほどの所にある。北御坊と呼ばれる、西本願寺堺別院。(浄土真宗、府史跡)は、別名樫木屋御坊の遺跡といわれ、
		南北朝時代、道祐(祐)の創建にかかる。道祐は足利義氏の4男で、堺に来在し、出家して初め天台宗を学んだが、本願寺3世覚如に帰依して
		浄土真宗に転じた。
		道祐の5世道顕(どうけん:道見とも言う)のときに、本願寺8世蓮如の住居として境内に信証院(しんしょういん)を建てた。さらに道祐の13世
		乗珍に至り、1663(寛文3年)寺地を西本願寺に寄進、以来別院となった。



		明治4年(1871)には当院を堺県庁に貸与し、翌々年、宿院町東の今井屋敷跡地に移転したが、1881年の堺県廃止に伴い復帰した。
		現在の本堂は寛政10年(1798)に焼失ののち、文政8年(1825)再建されたもので、京都西本願寺と全く同じ設計である。
		昭和20年(1945)の堺空襲にも偶然焼け残って、木造建築としては堺市内最大の大きさを誇っている。

 


		私の実家も長いこと宗派は「浄土真宗」であり、京都の西本願寺には昔からなじみが深い。蓮如、法然、親鸞などの名前は子供の頃から
		聞かされ、	なんか他人のような気がしない。西本さん、秋山さんは用事があるという事でここへ来る前、大阪へ戻った。



堺ではアチコチによく史跡の案内板(碑)が作ってある。なかなか熱心な町だ。


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