Music: never falling love
堺ウォーキング
2001.6.24(日)
与謝野晶子生家跡(与謝野晶子プロフィール)
明治11年(1878)堺市甲斐町の菓子商「駿河屋」に生まれる。本名 鳳志よう。少女時代から文学に恵まれ、22才の時、
歌人与謝野寛(号:鉄幹)と結婚。5男6女をもうける。歌集「みだれ髪」「小扇」「舞姫」をはじめ、日露戦争(1904)
には「君死にたまふことなかれ」の長詩を発表。さらに「男女平等の是認」「女子に対する大学教育の解放」
「職業婦人養成の普及」など女性の地位向上にも積極的な評論活動を行ない、婦人参政権など女性解放運動にも参画
した。また、源氏物語・栄華物語・和泉式部歌集・紫式部日記等の古典文学の研究・現代語訳等超人的な活躍をこなし、
第二次世界大戦(1939〜1945)中の昭和17年(1942)5月、不帰の人となる。生家跡には下の歌が刻まれた歌碑がある。
海こひし 潮の遠なり数えつつ
少女となりし 父母の家
晶子の時代にはまだここから海の音が聞こえていたんだなぁ。
100年でなにもかも変わってしまったね、晶子さん。
新会員の秋山さん。新しいオジ様達のアイドルになるか?
これが、海の音を聞く「歌碑」である。実家の跡は今やコンビニで、この碑も普段は自転車バイクの駐輪で
隠れてしまっている。みんな脇へどかして撮影した。茶髪のニィちゃんが必死で自分のバイクを探してた。
うぅ〜ん、オジさんはどうしてもツーショットしたがるねぇ。
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