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大阪府堺市 須恵器の里を歩く −その1− 2002.7.28(日) 第66回歴史倶楽部例会





	大阪古代史散歩
	須恵器の専門資料館「大阪府立泉北考古資料館」 
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	堺市若松台2丁4番 大蓮公園内 
	開館時間 9:00-16:30(入館は16:00まで)
	休館日 毎週月曜日 12月28日〜1月4日 
	入場料 無料 
	交通 南海電鉄「なんば駅」から泉北高速鉄道に乗り「泉ヶ丘」駅下車・徒歩5分 


	我が歴史倶楽部では昨年から、夏の例会は8月は中止、7月は博物館巡りと決めて、昨年は滋賀県信楽のミホ・ミュージア
	ムに「古代ガラス展」を見に行った。バスに1時間以上揺られて、信楽の山の中の美術館は素晴らしかった。その伝で、今
	年も涼みに出掛けようと、まだ行っていない博物館を物色した。そして今年は須恵器の里の、大阪泉北にある大阪府立泉北
	考古資料館を選んだ。この沿線(泉北急行沿線)には他にも博物館、美術館が幾つも(正確には六つ)あるので、「行ける
	限り廻ろうで」、という意気込みで出掛けていった。
	しかし博物館の中は良かったが、いざ外へ出て移動する間の暑いこと暑いこと。みんなもう若くはない(と言うより年寄り)
	ので、さすがに炎天下を歩くのは辛かったようだ。2つ目の「小谷城郷土館」を見た後、誰ともなく「もう止めとこ。」


	泉ヶ丘駅から考古資料館はすぐわかる。案内板がたっているし、大蓮公園の中に復元した窯があるのだが、公園らしき緑の
	森は一つしかない。以下が、移築されて復元された須恵器製造の登り窯である。公園の北入り口にある。

 




	「最近のガキはもう、・・」「こんなもんにまで!」「アホやなぁ。」「だいたい南の方のやつはアホですわ。」「オイオ
	イ。」「ほんまに学校教育は考えなあかんね。」「学校だけとちゃうんちゃいます。」「そういうこっちゃね。」「なげか
	わしい・・」






	「須恵器」(すえき)とは、5世紀頃の古墳時代から平安時代にかけて作られた、古代の土器である。日本人はそれまで焚
	き火など700度〜800度で焼いた、もろく壊れやすい素焼きの土器しか持たなかったが、朝鮮半島から伝わった新しい技術で、
	大きな窯を使い、1200度もの高温で焼き上げる、堅くて灰色の焼き物、「須恵器」を手に入れた。須恵器の作り方は、中・
	小の大きさのものはろくろを使い、大きいものは粘土紐を巻き上げて作った。窯は丘陵の斜面に幅2m、深さ1.5m、長
	さ8m前後の大きさに掘り、天井は地表面上に、粘土にスサを混ぜて作った。




	須恵器という呼び方は、1930年代から使われ始めた新しい用語である。この言葉は陶器と区別するために作られ、須恵器と
	陶器の違いは、釉薬(ゆうやく)を意識的につけているか否かである。須恵器は釉薬を使わないのが基本。

 


	泉北ニュータウン周辺は、「陶邑窯跡群」と呼ばれ、日本最古の須恵器生産地である事が明らかになった。資料館にはニュ
	ータウン開発に伴って発掘された須恵器を中心に、陶邑の変遷を年代ごとに展示している。須恵器は土器と並び、古墳や遺
	跡の年代を決めるための基本となるアイテムである。




	考古館の左側の丘陵上に、泉北地方随一のマンモス団地、泉北ニュータウンが拡がっている。昭和40年代に大規模開発が
	行われ、一大ニュータウンが誕生した。現在数万人が住んでいる。この開発のおかげで、古代の遺跡が相当発掘調査され、
	陶邑(すえむら)の存在も明らかになった。ここの開発をめぐって田中角栄が暗躍した事は、立花隆の「田中角栄研究」に
	詳しい。

 







以下の一連の解説は、大阪府立泉北考古資料館発行の「陶邑と須恵器」パンフレットから転載しました。謝意を表します。









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