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歴史倶楽部 第50回記念例会 −鳥取の旅−
2001.5.4 〜 5.5 岡山県・鳥取県




	5月の連休、鳥取県青谷町で発見された「弥生人の脳」が、鳥取博物館で公開される事になったので、有志を誘って見に行くことにした。
	「どうせなら昨年行った妻木晩田遺跡も、もう一回いこうで!」という事になって、昨年と同じ、服部さん、東江さん、河原さんそれに私井上
	の四人ででかける事になった。宿も昨年と同じ、淀江町の「真名井」にとった。女将さんは我々を覚えていて、「あ、又なんか出たのね」
	
	武蔵の里から、大原宿、河原城や、荒木又衛門や後藤又兵衛の墓も見れて、なかなか面白い山陰の旅だった。




私と東江さんは一度訪問したが、二人は初めてだというので「武蔵の里」に寄ることにした。




2001.5.4  大原宿(岡山県大原町)



武蔵の里を抜けて、すぐ大原宿の町並みを見ることができる。宿場町としての面影をのこすストリートは短いが、十分江戸時代を感じる事ができる。


 

 

 


		大原宿は英田郡の北東部に位置し、宮本武蔵誕生の地として全国にその名を知られているが、江戸時代、因幡街道の宿場町
		として栄え、本陣や脇本陣のある古い町並みが残っている。数寄屋造りの御殿や御成門の他、長屋門に刀掛けのある脇本陣
		やなまこ壁の町屋や土蔵など、往時の面影を色濃くとどめている。








		本陣は江戸時代の宿駅で、山陰と山陽を結ぶ旧因幡街道にあり、寛永12年(1631年)の参勤交代制の実施以降、主に鳥取城主
		池田候32万石の参勤交代に利用された。参勤交代の大名のほかにも、公家・幕府要人・高僧などの宿泊施設でもあった。



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鳥取城

 




		人肉を食ってまで抵抗せざるを得ないメンツとは一体いかなる種類のものだろう。第二次大戦のアジアにおける戦闘も同様の
		情況に陥っているが、これなどは、殆ど我々の「同時代」である。我々も極限状態になれば戦友を食うのだろうか?

 



 

 

 

 

 



 





	鳥取城を出て、MAPを見ていた誰かが「あっ、荒木又右衛門の墓があるで、後藤又兵衛もおる!」というので急遽行こう行こうとなる。
	しかし、もう最近の若者はこういう名前は知らんやろなぁ。この四人はみんな知ってたが、私の同年(50才)でも荒木又右衛門なんか
	知らん奴がおるし、名所旧跡なんかはそのうち朽ちてなくなってしまうのではなかろうか。すこぶる心配である。

	歴史を教えない、歴史を学ばない国の将来はなんかヤバイ気がするなぁ。余談になるが、この前取引先の若いの(25,6才?)が銅鐸
	を知らないのにはびっくりした。ちゃんとした名の通った大學をでているのだが、「えぇっ、小学校やら中学校で習ったやろ」と聞いても
	「全然しりませんでした。」との事。 「どないなってんねんこの国は!」と叫びたいのは私だけだろうか。

荒木又右衛門の墓


 





 




後藤又兵衛の墓









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上淀廃寺跡


	上淀廃寺も再度訪れた。看板や遺跡資料が整備されてきれいになりつつあった。圃所(ほじょ?)整備や農道はもういいから、こういう方面
	にこそ自治体は金を掛けるべきである。ここは全国に誇って良い史跡であるし、綺麗な市役所や滑走路のような農道より、こういう文化財
	の整備に、その地域の「品性」と「見識」がうかがえるのだ。








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