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原の辻遺跡 & 原の辻遺跡資料館
10月12日(日曜日)



	
	この後、原の辻遺跡と原の辻遺跡資料館を訪ねた。山口さんは前もってわれわれの訪問を学芸員の方に話してくれていたら
	しく、資料を用意して待っていてくれた。松見裕二さんは、近く長崎県の埋蔵文化財研究所がこの原の辻遺跡の近くに出来
	るのでその先兵としてここに赴任されたらしい。大々的な資料館もできるそうなので、最低もう一度は訪問する機会がある。

	原の辻展示館(入場無料)
	「魏志倭人伝」ゆかりの地、大規模な遺跡は悠久のロマンをかきたてる。
	芦辺町と石田町にまたがる丘陵を中心とした、今から約2200〜1700年前の弥生時代の大規模環濠集落で、「魏志倭人伝」に
	記載された「一支國」の王都である。佐賀県吉野ヶ里遺跡などとは違い「魏志倭人伝」に記された「クニ」の記述と現実の
	遺跡の実態とを比較できる、唯一稀有の貴重な遺跡として全国的に注目されている







以下に拡がる平地が「原の辻」遺跡である。もう一帯は埋め戻されて遺跡の様相はない。
発掘時の様子等を見たい方は、最後尾の、昨年の訪問記を御覧下さい。









復元して植えられている赤米田。資料館の前に拡がっている。











 

 

 





 

 

 

 

 

 

 









 

	
	松見さんから原の辻遺跡の概要を聞くメンバー。それにしても凄い遺物である。ここで一体何人くらいが生活していた
	のだろうか。これだけの拡がりと遺物が残っていると言うことは、当時相当な人口を抱えていたはずで、対馬と比べて
	稲作も盛んに行われていたのだろうと思われる。正に壱岐の首都に相応しい遺跡である。魏使もここには長逗留したの
	ではないかと思わせるほど、大きな古代都市だったような気がする。

 

 







佐賀の「吉野ヶ里」遺跡からの出土物も数点展示してあった(下)。



 

 

 

山口さんと、いろいろ館内を案内して頂いた松見裕二さん。松見さんありがとうございました。

 







今夜の宿

 

今夜の宿(上)と、部屋から見た明け方の郷ノ浦港(下)。



デカいフェリーが入ってきたので、見に行こうと朝食前に有志で附近を散歩したら、小雨が降ってきた。







 

世界を股に掛けるマドロスと、別れを惜しむ可愛い子ちゃんて、ふる〜う、おぬし何者や!

 

朝食の為食堂に行ったら、な、なんとこんな立て看板が、うむむ。右はロビーにあった、地元の画家が描いた郷ノ浦港の絵。



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