Music: Twlight zone


2003.12.28 愛媛県松山市道後温泉


		年末、四国遺跡の旅に出た。会社の同僚宮崎君が車の運転を引き受けてくれて、徳島、高知と回った後、道後温泉に一泊した。
		オッサン二人の温泉巡りなど、いわゆる温泉めぐりにはほど遠い。夜も隣の組は若いコンパニオンなど呼んで盛り上がってい
		たがこちとらはちびちび焼酎を飲むくらいだ。夜の町にも出てみたが、浴衣姿の冬は寒く、這々の体で引き上げておとなしく
		就寝となった。
		朝、宿の主人がオッサン二人の旅を怪しんだのか話しかけて来た。遺跡を巡ってるというととたんに笑顔になって、すぐ目の
		前の道後公園に湯築城跡を復元したので是非見ていってくれという。湯築城など聞いたこと無かったし、「湯?道後温泉だか
		らと言って勝手に作った城じゃないん?」とか思ったが、朝飯後の腹ごなしに出掛けてみた。宿泊した道後温泉の宿のすぐ前
		で、一帯は道後公園として整備されている。知らないのも当然、中世の城だった。古くから瀬戸内一帯を支配した河野氏の本
		拠地である。しかし、村上水軍とも繋がっていて、中世にはこの地方の名だたる豪族だった事がわかって、いいものを見れた
		と、宿のご主人に感謝した。資料館も整備されていて、職員さんたちも親切だった。
				
		河野氏は初め北条市付近を根拠地としていたが、後にこの地に城を構えたという。秀吉の時代に小早川隆景に城を明け渡し、
		河野氏の支配は終焉を告げた。元寇の役での河野通有の活躍が有名。水軍として後の時代まで活躍した村上水軍は河野氏の一
		族から出たものとされる。


手前の一画が湯築城の跡。中央上部の丘の上に松山城がある。

		 湯築城(ゆづきじょう)
		[別 名]湯月城
		[形 式]丘城→平山城
		[築城年]建武年間(1334−5)?
		[築城者]河野通盛(通治)か?
		[遺 構]堀、土塁など。実物の遺構は遺跡保存のため埋め戻され、現在見える土塁は復元されたもの。
		[所在地]愛媛県松山市道後公園内
		 [沿 革] 河野通治(通盛)が建武年間頃に南朝方勢力の強い道後平野に築く。南北両朝の講和が成立した14世紀末頃、河
			 野氏は本拠を湯築城へ移した。その後一族間の争いなども起こったが、大内氏、大友氏、毛利氏の大勢力とバラン
			 スを保ち伊予を支配した。天正13年(1585)秀吉の四国征伐により小早川隆景が伊予を攻め、降伏を勧める隆景
			 に城主・通直は軍門に降る。天正15年隆景が筑前・名島に移封されると、福島正則が11万石で湯築城へ入るが
			 国府城(今治城の前身)に移り廃城となる。
     

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