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	大阪本町歴史倶楽部 第229回例会  
	奈良坂を歩く  〜 奈良坂散歩にご案内 〜
	
	

							奈良坂散歩

	今回は鎌倉時代の西大寺を拠点に貧民救済や様々な社会福祉活動を行った、叡尊とその弟子の忍性に
	焦点を当てた奈良坂散歩にご案内します。

                         記

	日時: 1月28日(日) 10:00 近鉄奈良駅前の行基像の前集合
		奈良交通A番乗り場から10:09のバスに乗りますので時間厳守して下さい
	行程: 近鉄奈良駅→ 般若寺→ 奈良豆比古神社 →夕日地蔵 →北山十八間戸 →
		 近鉄奈良駅→ 南生駒駅→ 竹林寺 →東山駅→ 音の花温泉
	持物: 雨具、弁当、飲み物、タオルと着替え

	最後に生駒山の麓に湧く温泉(飲食も可能)で汗を流します。

	奈良坂に夕日地蔵というのがあり、近くに会津八一の句碑が建っています
	「ならざかの 石のほとけの おとがいに 小雨ながるる 春はきにけり」
	
	あなたは叡尊(えいそん)や忍性(にんしょう)を知っていますか。鎌倉時代仏教界が堕落し、僧でも
	飲酒や淫らな行為をするものが多くなっている状態を嘆き、叡尊は僧侶は戒律を守り正しく生きねばな
	らないと説き真言律宗を興しました。忍性は叡尊の弟子で二人は奈良の西大寺を拠点に活動をしました。
	かれらの活動で特筆されるのは仏教のみならず、貧しい人々や病める人々を救済する社会福祉活動を精
	力的に行ったことです。忍性は当時社会から見捨てられた存在であった非人(癩病患者)を救うため、
	奈良坂に北山十八間戸を建て救済活動をしました。飢えたものには食事を与え、病める者には薬を与え
	て治療を行い。毎月25日には文殊菩薩を一昼夜唱える行を非人とともに行いました。ある時、忍性は
	癩病で歩けなくなり乞食する場にも行けず、食もとれない者がいたのを哀れに思い一日おきに朝、背負
	って奈良の町に連れて行き乞食をさせ、夕方には連れ帰ったという。雨の日も風の日も欠かさず数年間
	続いた。その癩者は死に際し忍性に言った。私は必ずこの世に生まれ変わってきて、あなたの手伝いを
	し、徳に報います。その時は、顔に一つの痣があるのできっとわかるでしょう。はたせるかな忍性の弟
	子の中に顔に痣がある者があり、よく尽くしたのであの癩者の生まれ変わりと人は呼んだという。叡尊
	は時の執権北条時頼からの荘園寄進の申出を断った。しかし貧しい人からの喜捨は喜んで受けたという
	反骨の人でもあった。この誇るべき先人の足跡を尋ねてその徳をしのびましょう。竹林寺には忍性と行
	基の墓もあります。

	

	大和の国添上郡箕田(現在の大和郡山市)に生まれる。父は興福寺の学侶であった。醍醐寺で仏門に入
	る。元来真面目で一途な性格の叡尊の座右の銘は「興法利生」、正しい仏法を盛り立てて人々を苦悩か
	ら救い幸せにすることであった。鎌倉時代初期は既存の仏教界は堕落していた。僧侶は妻帯し酒を飲み、
	大寺は僧兵を抱え寺社や武士との争いが絶えなかった。これを叡尊は憂い、僧に一番大切なものは仏法
	の戒律であるとした。つまり淫行をしない、殺生をしない、飲酒をしない等々の仏との約束を守ること。
	真言宗の一派で戒律を第一に置く宗派を真言律宗という。そのころ民衆は戦乱や地震等の天変地異によ
	り疲弊し、救いを求めていた。叡尊は有言実行の人であり、衆生を救う社会福祉事業を積極的に行った。
	飢えた人には粥を振る舞い、病人には薬を与え、沐浴をさせ、治療を行った。特に世の中から見捨てら
	れていた非人(後世の部落差別につながる非人ではない。主に癩病者の集団)の救済に力を注いでいる。
	奈良坂に北山十八間戸を作り非人を収容し食事や薬を与え、文殊菩薩を信仰させた。弟子の忍性とは叡
	尊38歳の時に出会い、非人救済事業に拍車がかかった。時の執権北条時頼は叡尊の評判を聞き、荘園の
	寄進を申し出たが、叡尊は権力者からの寄進は固辞した。叡尊は衰退した西大寺の復興にも力を注いだ。
	西大寺は称徳天皇の勅願寺であり、奈良時代は東大寺と並ぶ大寺であった。しかし、平安時代にしだい
	に衰微し鎌倉時代には主な堂塔伽藍はほとんど焼失していた。これを叡尊と忍性は復興させた。西大寺
	は天皇、貴族が国家鎮護の祈りを行った寺から民衆の寺へと変貌をとげたのである。

	

	忍性(にんしょう)1217~1303 後醍醐天皇より菩薩の号を勅許される
	大和の国城下郡屏風里(現在の磯城郡三宅町)に生まれる。2017年は忍性生誕800年に当たり奈良国立博
	物館において7月23日より忍性展が開催される予定である。15歳の時、奈良の額安寺で出家する。文殊菩
	薩を厚く信仰し、文殊菩薩の化身とされる行基を敬愛していた。22歳の時に叡尊と出会い深く感化され
	弟子入りする。西大寺の叡尊教団の中心となり非人救済を始めとする社会福祉事業を推進する。後に鎌
	倉に移り、極楽寺を拠点に活動を行う。社会福祉事業には金がかかるが、忍性は霞ケ浦の関銭(通行税)
	や運送業にも手を染め貧者の救済資金を稼いだ。このことが日蓮により坊主にあるまじきふるまいと非難
	される元となった。忍性の逸話として、奈良坂に癩病で歩けなくなり、乞食する場にも行けず、食もとれ
	ない者がいた。忍性は哀れに思い、一日おきに朝、背負って奈良の町に連れて行き、乞食をさせ、夕方に
	は奈良坂に連れ帰ったという。それは雨の日も風の日も欠かさず数年間続いた。その癩者は死に際して忍
	性に言った。私は必ずこの世に生まれ変わってきて、あなたの手伝いをし、徳に報います。その時は、顔
	に一つあざがあるのできっとわかるでしょう。はたせるかな忍性の弟子の中に顔にあざがある者があり、
	よく尽くしたので、あの癩者の生まれ変わりと人は呼んだという。このような逸話を残す忍性という人は
	情け深く、意志の強い僧であったのだろうと思われる。

	その後の叡尊と忍性
	福祉事業を大きな柱として進めてきた叡尊教団は、やがて行き詰まりをみせはじめる。
	人間の業(ごう)とは悲しいもので、はじめ喜ばれた福祉活動も、やがて助けてもらう側がもっともっと
	と要求するようになり善意で成り立っていた行為が機能しなくなる。教団の限界であった。このころ民衆
	救済を教団まかせにしていた為政者もようやく国として政策を行うようになった。制度としての福祉が始
	まったのである。こうして教団の活動は役割を終える。

	

	別名コスモス寺ともいいコスモスの花で有名。コスモスと言えば秋だが、夏咲く品種もある629年創建
	の由緒ある寺だが、度々戦火に会い衰退していた。叡尊と忍性により再興された。十三重石塔は重要文化
	財である。

	

	創建は奈良時代、万葉歌人として有名な志貴皇子の隠居地として建てられた。その後、子供の春日王が住
	んでいた。能の原型と言われる重要無形文化財「翁舞」が秋の祭礼の時に地元の保存会の皆さんで奉納さ
	れる。神社裏の大楠は奈良県の天然記念物で隠れたパワースポットである。

	春日天皇(信貴皇子)について
	信貴皇子(施基皇子、志紀皇子とも書きます)天智天皇の第七皇子で母はです。672年の壬申の乱後、
	天智系である信貴皇子は皇位とは無縁となり、好きな和歌の道に生きた人です。

	万葉集巻八―一四一八
	ばしる の上の さの 萌え出ずる春になりにけるかも

	信貴皇子は霊亀2年(716年)に亡くなり田原西陵に葬られます。この皇子の六男に白壁王という方が
	居られました。称徳天皇の崩御で天武系の皇統が途絶えてしまい、この白壁王が擁立され光仁天皇として
	即位しました。この時六十二歳と高齢でしたがこれが現在まで続く天皇家の皇統になります。従って現在
	の皇室は天智系となります。子の白壁王が即位したので信貴皇子は春日宮天皇とされました。田原に葬ら
	れたので田原天皇とも呼ばれます。
	信貴皇子と白壁王は皇位に無縁な位置にいたため、皇位継承争いには巻き込まれませんでしたが、光仁天
	皇の後の桓武天皇即位については多くの血が流されました。白壁王には正妻である内親王(聖武天皇の娘)
	と親王があり、即位後はそれぞれ皇后と皇太子に立てられました。しかし、光仁天皇を呪詛したとして捕
	らえられ幽閉後薨去しました。そのため、渡来系王族出身のを母とする山部王が立太子し、桓武天皇とな
	ります。
	この呪詛事件は不自然であり藤原氏の式家と南家の権力争いによる内紛と山部王の陰謀があったとする説
	があります。即位した桓武天皇は実弟の親王を一度は皇太子にしましたが、藤原種継暗殺に連座したとし
	て淡路に流し、早良親王は無実を訴え憤死しました。平安京に遷都した桓武天皇は天変地異や疫病に悩ま
	され、これらは怨霊の祟りであるとし、井上皇后、他部親王、早良親王の名誉を回復し、早良親王には特
	にと諡名し御霊神社に祭りました。奈良町には神社があり、京都にも早良親王を祭る崇道神社があります。
	いずれも怨霊の祟りを恐れ怨霊封じを願った神社です。

	

	奈良坂には世間から見捨てられた非人が多く集まっていた。鎌倉時代に叡尊、忍性により造られた我国最
	初の癩病患者のための収容施設。4畳の部屋が18あり、沐浴施設や文殊会の祈りの部屋もあった。元の
	施設は焼失し、現在のものは江戸時代に再建されたもの。

	

	鎌倉時代、北山地区は般若野と呼ばれ奈良の三昧の地(墓)であった。この地蔵は死者を黄泉の国に導く
	お迎え地蔵であった。


	竹林寺
	行基ゆかりの寺で行基の墓がある。叡尊も忍性も行基を文殊菩薩の化身として深く尊崇していた。忍性も
	遺言により遺骨を3つに分骨し鎌倉の極楽寺、奈良の額安寺、ここ竹林寺に墓がある。叡尊の墓は西大寺
	にある。

                                               以上

	


	-------- Forwarded Message --------
	Subject: 	西国33寺
	Date: 	Thu, 1 Feb 2018 16:16:40 +0900
	From: 	橋本英雄 
	To: 	杉本 登様 , 大隈 精二様 , 乾 治子様 , 松田 素行様 
	CC: 	井上 修一様 

	奈良般若寺散策の際、同寺が西国33寺に入っているのかどうかという話がありました。同寺は「花」寺
	には入っていますが西国33寺には算入されていません。西国33寺は添付メモを参照下さい。
	橋本英雄


	西国三十三寺
 
	第一番    青岸渡寺   那智山寺  天台宗     和歌山県
	第二番    金剛宝寺   紀三井寺  救世観音宗   和歌山県
	第三番    粉河寺    粉河観音宗               和歌山県紀の川
	第四番    施福寺    栂尾寺   天台宗          大阪府和泉市
	第五番    葛井寺    藤井寺   真言宗御室派  大阪府藤井寺市
	第六番    南法華寺   壺阪寺   真言宗     奈良県高取町
	第七番    岡寺     岡寺    真言宗豊山派   奈良県明日香村
	第八番    長谷寺    初瀬寺   真言宗豊山派  奈良県桜井市初瀬
	第九番    南円堂          法相宗     奈良県奈良市
	第十番    三室戸寺   御室戸寺  本山修験宗   京都府宇治市
	第十一番   上醍醐     准胝堂   真言宗醍醐派  京都市伏見区
	第十二番   正法寺    岩間寺   真言宗醍醐派  滋賀県大津市
	第十三番   石山寺          東寺真言宗   滋賀県大津市
	第十四番   三井寺          天台寺門宗   滋賀県大津市
	第十五番   今熊野観音        言宗泉涌寺派   京都市東山区
	第十六番   清水寺          北法相宗    京都市東山区
	第十七番   六波羅蜜寺              真言宗智山派  京都市東山区
	第十八番   六角堂       頂法寺   天台系単立   京都市中京区
	第十九番   革堂 行願寺       天台宗      京都市中京区
	第二十番   善峯寺                   天台系単立   京都市西京区
	第二十一番  穴太寺                天台宗     京都府亀岡市
	第二十二番  総持寺                高野山真言宗   大阪府茨木市
	第二十三番  勝尾寺          高野山真言宗  大阪府箕面市
	第二十四番  中山寺          真言宗中山寺派 兵庫県宝塚市
	第二十五番  播州清水寺         天台宗     兵庫県加東市
	第二十六番  一乗寺          天台宗     兵庫県加西市
	第二十七番  圓教寺          天台宗     兵庫県姫路市
	第二十八番  成相寺          真言宗     京都府宮津市
	第二十九番  松尾寺          真言宗醍醐      京都府舞鶴市
	第三十 番  宝厳寺          真言宗豊山派   滋賀県長浜市
	第三十一番  長命寺          単立      滋賀県近江八幡市
	第三十二番  観音正寺          単立(天台系) 滋賀県近江八幡市
	第三十三番  華厳寺          天台宗     岐阜県揖斐郡



	-------- Forwarded Message --------
	Subject: 	Re: 西国33寺
	Date: 	Thu, 1 Feb 2018 19:22:20 +0900
	From: 	Noboru Sugimoto 
	To: 	橋本英雄 <.ne.jp>, 大隈 精二様 , 乾 治子様 , 松田 素行様 <.ne.jp>
	cc:     井上 修一様 


	橋本様 情報ありがとうございます
	杉本

	
	今回の例会には筑前は参加しなかったので写真が無い。杉本さんに幹事をお願いして、
	参加者は、杉本、橋本、松田、大隈、乾の各氏だと思うが、モレてたらお知らせくだ
	さい。また写真の提供をお願いしましたが、未だにどなたからも送ってこないので、
	さては誰も写真を写さなかったのかといささかガッカリしています。今からでも写さ
	れた方は私まで送ってください。更新します。杉本さん、お疲れ様でした。
	


 邪馬台国大研究/歴史倶楽部/229回例会・奈良坂を歩くく