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古津八幡山遺跡(ふるつはちまんやま遺跡)・資料館

私はここも二度目である。前回訪れたのは2013年だからもう7年前だ。新潟の友人、渡辺 君を訪ねた時に案内してもらったのだが、雪の中だった。その模様は以下にあります。 2013年古津八幡山遺跡訪問  またその時入手したガイダンスの案内パンフレットは以下です。 古津八幡山遺跡ガイドブック  久々に根詰めてPC作業をやると、肩は凝るし目はかすむ。いささか疲れたので、遺跡の 解説は上のHPに譲って、手を抜くことにします。ご勘弁を。
国指定史跡 古津八幡山遺跡について 最終更新日:2018年1月30日 <新潟市HPより転載 以下黒字分すべて。> 古津八幡山遺跡は弥生時代の大規模な高地性環濠集落です。古墳時代には新潟県内最大の円墳 である古津八幡山古墳が造られました。古津八幡山遺跡は史跡公園として整備され、平成27年 4月17日に全面公開を迎えました。麓にはガイダンス施設「弥生の丘展示館」があります。国 史跡古津八幡山遺跡は平成27年4月17日に全面公開を迎えました。主な見どころは次の3つです。
古墳斜面中ほどに平坦な面がめぐる直径60メートルの円墳を、県内で初めて復元整備し、1600 年前の姿をよみがえらせたことにより、その大きさを体感することができます。信濃川、阿賀 野川の下流域に広がる蒲原平野の王墓にふさわしく、頂上部から平野を一望のもとに眺めるこ とができます。弥生時代の高地性環濠集落の竪穴住居などに加え、古墳が公開され、弥生時代 から古墳時代への変遷を一つの遺跡で見ることができます。
古津八幡山遺跡は、新潟市秋葉区金津と古津にまたがり、信濃川と阿賀野川に挟まれた丘陵上 に立地します。
遺跡発見の経緯 昭和62(1987)年に高速道路建設のための土取り工事に伴う試掘確認調査で発見されました。 この調査で日本海側最北の高地性環濠集落である古津八幡山遺跡や新潟県最大の古津八幡山古 墳、古代の大規模な製鉄遺跡群である金津丘陵製鉄遺跡群が見つかりました。 古津八幡山遺跡のほぼ全てと古津八幡山古墳は遺跡の重要性を訴える保存運動により破壊を免 れましたが、金津丘陵製鉄遺跡群は土取り工事によって失われ、現在は県立植物園となってい ます。
遺跡の特徴 弥生時代後期の大規模な高地性環濠集落です。環濠集落とは、周囲に濠をめぐらして、外敵な どに備えた集落のことです。南北400メートル、東西150メートルの範囲から環濠・竪穴住居・ 土坑・墓(方形周溝墓・土器棺墓・前方後方形周溝墓)が見つかりました。
環濠は断続的に二重に配置され、深さは2メートル近いところもあります。方形周溝墓は環濠の 外側につくられており、主体部である棺跡からは鹿角装鉄剣(鹿の角の柄が付いた鉄剣)や、 石鏃(やじり)が出土しました。
前方後方形周溝墓は内側の環濠に囲まれた丘陵頂部に位置します。出土した遺物は、北陸系・ 東北系・両者折衷の在地系の3系統にわたり、日本海や阿賀野川を介して北陸地方中西部・東北 ・会津地方とつながりがあったことが分かります。
古津八幡山遺跡の廃絶と古津八幡山古墳の出現 古津八幡山遺跡では、約1750年前の弥生時代終末期に高地性環濠集落が廃絶します。その約150 年後、今からおよそ1600年前に古津八幡山古墳は築かれました。古墳は丘陵の先端部に築かれ、 平野からの眺めを意識してつくられたと考えられます。
古津八幡山古墳について 平成17年7月14日 国指定史跡になりました。古津八幡山遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけ ての変遷や、ほかの地域との交流の実態などを知る上で重要な遺跡として評価されており、平成 17年5月20日に国の文化審議会は、この遺跡を国の記念物(史跡)に指定するよう、中山文部科 学大臣に答申しました。そして、7月14日の官報告示で正式に指定されました。本市の国指定の 史跡としては、菖蒲塚古墳・旧新潟税関に次いで3件目となります。 市では、古津八幡山遺跡を保存するとともに、市民の皆さんに活用してもらうための整備を行い、 さまざまなイベント等を通して親しみを感じていただけるよう活動しています。 平成18年度から平成21年度にかけて古津八幡山遺跡の復元整備工事をしました。過去の発掘調査 成果をもとに環濠・土塁・竪穴住居・墓の復元をしました。「現代的なものは原則として造らな い」という整備方針のもとで復元工事を行いましたので、園路や案内板は設置しておりません。 また、トイレは離れた所にあります。ご不便をおかけすることもありますが、ご理解のほどよろ しくお願いいたします。
古津八幡山遺跡  出典: ウィキペディア(Wikipedia)(以下青字部分すべて。) 古津八幡山遺跡(ふるつはちまんやまいせき)は、新潟県新潟市秋葉区古津、金津 および蒲ヶ沢にまたがる遺跡。遺跡の中には、古津八幡山古墳もある。 新津丘陵西側の尾根に立地する、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての遺跡で ある。尾根頂上の標高は53メートル。2005年におよそ11.5ヘクタールが国の史跡に 指定される。北陸系の高地性環濠集落としては最北端である。
1987年、磐越自動車道建設に伴う古津、金津、蒲ヶ沢の遺跡範囲確認調査により確 認された。その後の協議で、遺跡の主要部分は現状保存されることに決まった。

遺構 環濠 断続的ではあるが、二重で断面がV字型。最大3メートル、深さ2メートル。環濠の外 側に掘削した土砂を土塁状に盛って造成されたと考えられる。

竪穴式住居跡45 環濠の内部や溝で区画された丘陵の頂部に建設。平面形は、隅丸方形。1辺4-5メー トル。4本の主柱穴や貯蔵穴、中央部分に炉があるのがほとんどである。排水溝あり。

方形周溝墓2 埋葬施設より、鹿角装鉄剣、アメリカ式石鏃が出土。竪穴式住居と同時期に作られた ため、居住区域とは区別された墓域であったと考えられる。

前方後方形周溝墓1 環濠に囲まれた丘陵頂上部で単独で発見。出土物は少なかった。集落廃絶直後の、弥 生時代末期の物と考えられる。

遺物 土器 北陸系・東北系(天王山式系)・在地折衷系(八幡山式)の三系統の土器 竪穴式住居 ・方形周溝墓、環濠から出土したので、同時に作成したと考えられる。 このことから、 北会津や北陸地方中西部との関わりがあったことが推察される。 その他 石鏃64(うちアメリカ式石鏃が9) 敲石58 砥石34 礫石多数 古津八幡山古墳 古墳時代前期のもので、直径60メートルの円墳で北側に張り出している。 かつて集落が あった新津丘陵の尾根の先端に築かれた。 墳頂部分が広く、古墳の南側には周溝が残る。 同時期の住居は無く、単独で古墳が存在する。首長の墓と考えられる。新潟県内最大規模 であり、菖蒲塚古墳を上回っている。
古津八幡山遺跡・資料館 (弥生の丘展示館) 2006年度から2009年度にかけて遺跡の復元整備工事が行われ、史跡公園として公開されて いる。2012年春にはガイダンス施設「弥生の丘展示館」がオープンし、出土品の展示・解 説や遺跡にまつわる各種展示、体験イベントなどが行われる拠点となっている。弥生の丘 展示館から遺跡にかけては遊歩道が整備されている。





































































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