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大阪本町・歴史倶楽部 第238回例会 川西市・池田市の遺跡を訪ねて 2019.9.29(日)
     川西市・加茂遺跡
加茂遺跡 (川西市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 加茂遺跡(かもいせき)は、兵庫県川西市の伊丹段丘の東北端にある弥生時代の巨大集落跡である。標高40〜45メートルの台地で、 大阪平野を一望できる場所に立地している。東西800メートル、南北400メートル、広さ約20万平方メートルの規模に及ぶ広大な環濠 集落である。環濠集落の中でも防御性に特徴がある、斜面環濠をもつ遺跡として例の少ない遺跡である。

1911年に、台地の東斜面から「栄根銅鐸」が発見された。それに従い、近くの石器製作所跡として紹介された。その後、1952年から 2005年までの間に225回にわたって学術調査が行われ、2000年に国史跡に指定された。

調査の結果、遺跡東部に竪穴住居の並ぶ居住区、西部に方形周溝墓・木棺墓の並ぶ墓地の存在が判明した。このことで遺跡全体が計 画的に区画されていることが明らかになった。また、1992年の調査では、大型の掘立柱建物とそれを囲む方形区画が見つかった。 集落の首長層の住居か宗教施設の可能性が推定されている。
1936年に近隣の宮川雄逸氏が加茂遺跡で採集した土器と石器を展示するために開館した「宮川石器館」がある。また、1993年、加茂 遺跡をはじめとする川西市内遺跡の出土遺物を収蔵・展示する「川西市文化財資料館」がオープンした。

川西市文化財資料館を見る  
     鴨神社


加茂遺跡 (国の史跡、平成12年7月31日指定)旧石器・縄文時代から平安時代にかけての集落跡。出土遺物は川西市文化財資料館に展示。
鴨神社 (川西市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 鴨神社(かもじんじゃ)は、兵庫県川西市加茂にある神社。摂津国河辺郡の式内社。姓氏録にある摂津国神別の「鴨祝部」の祖神を 祀ったもので、天明年間(1781年〜1788年)の火災により記録は失われているが、宇多天皇の皇孫篠の君が奉納したと伝える白羽の 矢一筋を所蔵している。
明治6年(1873年)8月村社となる。 明治14年(1881年)2月郷社に昇格す。 昭和45年(1970年)社殿を新築。
祭神 別雷神 境内社の祭神については2019年現在一切不明。(宮司からの聞き取り)  出典不明の祭神が書かれているが敢えて記事として参考までに残す。 春日神社   手力雄命 天照皇大神社 日若宮尊 愛宕神社   天香具土神 多賀神社   大国主神 荒神社    天香具土神 熊野神社   伊弉諾尊 稲荷神社   大月姫命 八幡神社   応神天皇 松尾神社   八十神

     池田市へ



     呉服神社

呉服神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 呉服神社(くれはじんじゃ)は、大阪府池田市室町にある神社。応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された 阿知使主と都加使主父子が、呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・ 弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の姉、呉服媛を猪名の港、現在の猪名川に架かる呉服橋と 絹延橋の間にある唐船が淵に機殿(はたどの)を建て、迎えた。その後、仁徳天皇76年に死去し、翌77年に仁徳天皇によって祀られ たとされる。
天正7年(1579年)の織田信長と荒木村重による有岡城の戦いの戦火に巻き込まれて社殿が焼失する。その後、慶長9年(1604年)に 豊臣秀頼によって本殿が再建された。1969年(昭和44年)に拝殿が建てられている。 祭神 主祭神 - 呉服大明神、仁徳天皇 境内 相殿社 - 市杵島姫神、大国主神、素盞嗚命、國常立神、猿田彦神


     呉服座へ
呉服座 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 1874年(明治7年)もしくは1875年(明治8年)に、現在の大阪府池田市栄本町の辺りに、戎座(えびすざ)という芝居小屋が 建造されたとされている。1892年(明治25年)に、戎座が、西之口(現在の西本町)に架かる呉服橋(旧称:巡礼橋)の南側、 猪名川の堤防沿いに移築されたとされ、巡礼橋の名称が呉服橋に変更されたことに伴って、戎座が呉服座と呼ばれるようにな ったと考えられている。1968年(昭和43年)に閉鎖され、1969年(昭和44年)に解体された。
1971年(昭和46年)3月、愛知県犬山市大字内山1番地にある博物館明治村に移築し、復元・保存されている。移築後の建物は、 建築面積が 380.35 平方メートル、延床面積が 571.24 平方メートルである。江戸時代の劇場建築として希少価値が高いこと から、1984年(昭和59年)12月28日、国の重要文化財に指定された。1989年(平成元年)、猪名川沿いの跡地に、黒御影石で 造られた記念碑が建てられる。記念碑の大きさは、高さ 50 センチメートル、幅 80 センチメートルである。
2010年(平成22年)11月1日、呉服座の建築様式を部分的に再現して造られた、「池田呉服座」(いけだごふくざ)が、池田 中央シネマがあった場所に開設される。


     落語ミュージアム
落語みゅーじあむ (市立上方落語資料展示館) 「落語のまち池田」に市立としては日本初となる、上方落語の資料を常設展示する「落語みゅーじあむ」が平成19年(2007年)4月に 開館した。館内は映像による落語の紹介や、お好みの落語家のDVDやCDを視聴できるコーナーや、「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」 展示コーナーがある。毎月第2土曜日の午後2時からは落語会(木戸銭必要)を開催している。有料アマチュア落語入門講座も開催中。


所在地  池田市栄本町7-3  電話番号  072-753-4440 営業時間 午前11時〜午後7時  ※イベント開催により入館制限を行う場合がある。 休館日  火曜日、年末年始 駐車場  近隣の民間の有料駐車場を利用。 料金   入館無料(落語会は木戸銭が必要)





     池田市立五月山動物園
池田市立五月山動物園(池田市観光協会HPより転載) 五月山公園の一角に池田市児童・幼児の自然学習や情操教育の一環として、1957年(昭和32)に宮城県牡鹿郡金華山から動物を移入し、 飼育したのが五月山動物園の始まりです。その後、年を追う毎に施設や人員を整備拡張し、また、1967年(昭和42)に、池田市とオー ストラリアのローンセストン市が姉妹都市提携記念として、ベネットワラビーが贈られました。続いて、1970年(昭和45)、万国博覧 会のために披露されていた黒羊2頭・ワラビーなどを含む全7頭が、オーストラリアより都市提携親善使節として寄託され、更に1990年 (平成2)に池田市、ローンセストン市姉妹都市提携25周年記念として、ウォンバットが3頭贈られ、少しづつ飼育する動物も増えてい きました。2000年(平成12)10月、ウサギ・モルモット・マーラー・エミュー・ニワトリの飼育を始め、ふれあい広場を設置しました。 こういった経緯を辿りながら、五月山動物園は現在に至っています。
五月山動物園は、池田市五月山公園内に立地します。公園は、高さ300メートル(日の丸展望台付近)程の比較的手軽な山の裾にあり、 ハイキング・ピクニック・桜見物・紅葉見物など、気軽なレジャーの場として多くの人に親しまれています。また、公園の近くには、 五月山体育館(プールもあり)・都市緑化植物園・池田城跡公園・児童文化センター(プラネタリウムもあり)などの施設や猪名川も あり、レジャーには大変恵まれた環境となっています。

そんな中に五月山動物園はあり、池田市民を始めとして、近隣市町村から多くの人が訪れます。1957年(昭和32)の五月山動物園の 興り以来、みなさんに親しまれています。また、五月山動物園は、広さ3,000平方メートルで、オーストラリアからやってきた珍しい ウォンバットやワラビーが居り、見どころもいっぱいです。他ではあまり見る事ができないウォンバットですが、生息地のオーストラ リア以外での繁殖は殆ど例が無いのですが、五月山動物園では2世が誕生し、今も元気な姿を見せてくれています。
五月山動物園に、ご家族・お友達同士で是非一度お越し下さい。 きっと、のんびり・ゆっくりと一日をお楽しみ頂けます。
     池田城跡へ



室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯などを支配していた地方豪族池田氏の居城跡地を公園として整備を進め、平成12年 (2000年)4月にオープンした。園内にある、やぐら風展望休憩舎からの眺めは、池田市街地はもちろんのこと、阪神高速道路の 新猪名川大橋(通称ビッグハープ)や園内が一望できる。








     帰宅後、川西遺跡出土の銅鐸(ペーパー・クラフト)を作る  

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