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十五郎・横穴古墳
2005.9.3/5(日)







	茨城県指定史跡 十五郎穴横穴群   指定年月日 昭和十五年三月十一日  所在地 勝田市中根館出三四九〇

	十五郎穴は古墳時代末期から奈良時代にかけて造られた集団埋葬墓である。台地の崖に横から穴を掘り、造っているものを横穴
	墓といい、群集していることが多い。横穴墓は、玄室・羨道・玄門・前庭部などから造られており高塚式古墳の横穴式石室と類
	似した構造になっている。横穴墓からは須恵器、直刀、鉄製品など数多くの副葬品が出土している。十五郎穴横穴墓群は、館出、
	指渋などの崖の凝灰岩にいくつかに分かれて密集しているが、このうち館出に群集している34基が茨城県の史跡に指定されて
	いる。虎塚古墳のある台地(指渋)の南側の崖からは、約120基が確認されているので、十五郎穴横穴墓群は、数百基の横穴墓
	が存在している考えられ、我国を代表する貴重な史跡である。十五郎穴の名称、由来はこの地に十郎五郎なる人物が住んでいた
	という伝承から生まれたという。
	昭和六十年三月/茨城県教育委員会/勝田市教育委員会

 




	虎塚古墳の側から山道を下って行くと、台地が水田のある平地に下がっていき、その縁の部分に多くの横穴が開いている。整備
	されているのは30基程度だが、全体としては300基を越える横穴があるようだ。






	古墳時代末期から奈良時代に築かれた横穴墓群で、これまでに百数十基が確認され、総数は300基を超えると推定される。い
	くつかの支群に別れて営まれており、かなり風化が進んでいるが、保存状態の良いものでは、前庭部、羨道、玄室がきちんと確
	認できる。県指定史跡。





 


	見ればみるほど熊本の石貫ナギノ横穴古墳にそっくりだ。あっちは中を二つに区切る仕切りが造ってあったり、枕と思え
	るようなでっぱりなどが造ってあったが、こちらにはそういうものはないようだ。しかし解説を読んでいただくとわかるよ
	うに、「黒作太刀」のようなすばらしい副葬品があって、そうとうな権力者も葬られていたのがわかる。この太刀は類似す
	るものが正倉院にあるので、この横穴群の性格を推し量る上でも重要な資料と言える。

 

 



 

 



 

 






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