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田能遺跡
第98回 歴史倶楽部例会
2005.6.26(日耀)
<田能(たのう)遺跡>
昭和40年9月、尼崎市田能字中之坪(現在の田能6丁目)地区に尼崎・伊丹・西宮三市による工業用水園田配水場の工事現
場から大量の弥生式土器が発見され、この地域が大規模な遺跡地であろうと推定され、10月より発掘調査が開始された。
この発掘調査により、大量の土器や石器のほか、碧玉製管玉、白銅製釧、銅剣鋳型(この3点は県指定文化財)など貴重な遺
物をはじめ、住居跡や柱穴・溝などの遺構が発掘された。なかでも、木棺墓や壺棺墓等をはじめとする墓の発見は、当時まだ
不明だった近畿地方における弥生時代の墓の形態や埋葬状況を明らかにし、弥生時代の力関係による身分の有無や、その時代
のくらしや文化を知る発端となった。これらの出土遺物から、田能遺跡が弥生時代のほぼ全期間に及ぶ大集落跡ということが
わかり、田能遺跡の重要性はますます高まり、調査期間が延長され昭和41年2月には尼崎市田能遺跡発掘調査委員会が発足
するなど、調査の体制を整え発掘が続けられた。
発掘には一般市民・学生など多くの方々の参加があり、新聞・テレビを通した報道によって遺跡に対する関心は全国に広まっ
ていった。しかし、この重要な遺跡は調査終了後には配水場建設によって破壊される予定となっていたため、市民の間には遺
跡を破壊から守り永久保存を訴える声が高まってゆき、講演会・保存の署名運動などの活動が進められ、重要な遺構・遺物の
出土した配水ポンプ室予定地を中心とした約6,000平方mの保存が決定した。
遺跡は約3mの盛土で保護し、史跡公園として整備された。そこには、出土遺物を保管し展示する収蔵・展示棟を建て、屋外
には復元住居・高床式倉庫・方形周溝墓・墳墓表示をつくり、昭和45年7月25日に田能資料館として開館した。昭和44
年6月30日には国の史跡に指定されている。
ここに到着したときちょうど12時になったので、遺跡内の明るい場所で昼食にしようと思ったが、資料館の兄ちゃんに食事
していいかと聞きにいったら、「遺跡内は国の史跡ですからご飲食はお断りします。」とニベもなく断られてしまった。しか
たないので遺跡そばの小さな広場で、金網越しに復元された高床式倉庫を眺めながら昼食となった。少し汗ばんでいたので、
ビールがううまかった。
邪馬台国大研究 /歴史倶楽部/ 尼崎の歴史を尋ねて