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伊佐具神社

第98回 歴史倶楽部例会
2005.6.26(日耀)



	
	<伊佐具神社(いさぐじんじゃ)> 尼崎市上坂部3丁目25−18

 

	
	祭神:伊狹城入彦皇子(五十狭城入彦尊(いさぎいりひこのみこと)。延長5(927)年に編まれた「延喜式」のなかの、神
	名帳に記された摂津国河辺郡七座の第一の神社で、市内では唯一の式内社である。





	
	五十狭城入彦尊は、景行天皇の第十皇子であり、兄の日本武尊(やまとたけるのみこと)と共に諸国を平定したとされる。
	五十狭城入彦尊は三河国碧海郡の式内社である「和志取神社」の祭神でもある。その神社の由緒では「五十狭城入彦皇子は
	気入彦命ともいい、景行天皇の皇子で勅命によりこの地方(三河)の逆臣大王主等を捕らえ平定した。」とある。この皇子
	が当地とどのような関係で祭神なのか、また墓は大阪最南部の淡輪にあるが、なぜここに奉祀されているのか、詳細は不明
	である。当地の名は坂部(さかべ)で、大彦命の子孫の坂合部が住んでいた土地であるとか、神酒を醸造したので酒部と言
	ったとかの伝承が伝わる。

 

	
	伊佐具神社社号標石  尼崎市指定文化財。
	本殿前に建てられた「伊佐具社」の社号標石(尼崎市指定文化財)は、江戸時代の地誌『五畿内志』を完成させた並河誠所
	(なみかわせいしょ)が、摂津国内の『延喜式』神名帳に記された神社のうち、祭神や社名を変更し、また合祀されて廃社
	となった20社について究明し、社頭に社号を刻んだ標石を建てさせた。

	<並河誠所(なみかわせいしょ)>
	地誌「五畿内志」の著者。享保14年(1729)から6年を費やして完成した。並河は、大坂町奉行所の後援のもと、自ら各
	地を遍歴し、古書・古記録を探訪して周到な考証をおこなった。特に、神社仏閣の由来を探り、中でも摂津国内の「延喜式」
	神名帳に記載された神社のうち、祭神・社名を変更し、また付近の神社に合祀して、廃社となった20社について究明し、
	その由緒を明らかにし、社号を復旧し、社号標石を与えてこれを社頭に建てさせ、廃社となったものはその故地にこれを建
	立させた。伊佐具神社社号標石もその一つで、方24cm、高さ91cmあり、正面に「伊佐具社」の4文字を刻んでいる。
	台石は2段で、下段は方61cm、高さ43cm、上段は方42cm、高さ24cm。上段の台石の裏面中央には、かすかに「菅廣
	房□」の文字が読み取れる。この菅廣房(すがのひろふさ)は、この建碑のために金子を誠所に寄付した山口屋伊兵衛の事
	だという。

 

	
	五輪塔。境内に赤松円心の墓と伝えられる五輪塔がある。元弘の変(1333)の時、後醍醐天皇のために奮戦した人物。



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