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平城京大極殿・復元作業公開 2005.11.5(土)
歴史倶楽部第102回例会









	今回の例会は少人数だった。橋本さん、栗本さん、松田さん、新開さんの4人組。私も甥の結婚式で博多に帰らなければ
	ならず、是非見たい大極殿の復元作業だったが参加できなかった。残念無念。
	ここに掲載した写真は、当日橋本さんと新開さんが写してくれたもの。橋本さんの写真には右上に「お日様マーク」を、
	新開さんものには右下に「桜マーク」を付けてあるが、解説は無い。
	参加された皆さん、これを見て印象を思い出したら、是非「会員専用掲示板」に書き込んでください。そのままここへ掲
	載しますから。というわけで、読者の皆さんはそれまでは、掲載された写真の解説を目をさらにして読んでください。
	なお、いただいた写真はいずれも大きかったので、サイズを約10/1程度に縮小していますが、スタンプ以外特に加工
	はしていません。また、重複しているもの数枚は削除しました。橋本さん、新開さんありがとうございました。



 





 

 















 











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


	以下は、早速橋本さんからいただいた「所感」である。(2005.11.20)

	200億円もかけて工期10年もかけて不確かな復元などは無駄遣いという意見もありますが、各市町村などが何とかセン
	ターだとか、何とか訓練所だとか言って何億、何十億もかけて無駄遣いをしているのと比較すると、この復元はまぁまぁの
	ものだと思っています。平城京のあちこちから何とかの朝臣たちが、復元工事の間違いを指摘しているかも分かりませんが、
	多くの奈良時代の建造物は室町時代に再建されており、1300年後の復元は立派なものです。2010年の完成式典は是
	非見たいと思っています。
	当時に思いを馳せると、西安からも多くの技術者が招聘され大和の農民は人夫として徴用されていたのでしょうね。夜にな
	ると朝臣連中は今の新大宮や西大寺あたりで技術者を接待していただろうと思います。元明・元正・聖武天皇などは時折女
	官や藤原氏の幹部をひきつれ工事の進捗を見に来ていたでしょう。
	是非2010年の例会は大極殿見学を予定しておいて下さい。 

	2010年かぁ、後5年もかかるのか。現代でもそんなお金と時間がかかるのなら、当時は一体どのくらいの予算を要した
	のだろうと思ってしまう。全くエライもんである。しかし、徴用された農民達は大和の国からのみでなく、全国から集めら
	れていた事は記録にあり、しかも、人夫一人一人の都での滞在費は、出身のムラが負担せねばならなかった。集められた庶
	民の食事は粗末で、一汁一菜があれば良し、ひどい時には「ヒエと菜(漬け物)1切れ」という記録もあるそうだ。期限が
	来て、故郷のムラへ帰っていった者の中には、栄養失調で故郷へたどり着けず、路端で行き倒れた者も多いと言う。

	翻(ひるがえ)って、平城京資料館に展示されている高級役人達の食事内容(復元)を見ると豪華で、成人病(糖尿病)に
	なっていた者も多かっただろうと書いてあった。全く今と変わらないのに驚く。当時から、序列は厳然として存在していた
	のである。ちなみに、奈良時代の木簡にかかれた役人の出張時の食事には、毎日酒2升が支給されていた記録もある。当時
	の1升は今の4合にあたるが、それでも8合である。勿論一人で全部飲んでいたのではないかもしれない。お供の部下達に
	振る舞っていた事もあるのだろう。でなければ、毎日8合飲んでいたら1月で肝臓はイカレてしまうのではないだろうか。

	などと考えながらも、できあがった朱雀門などはその見事さに感心してしまうし、今度の大極殿もさぞりっぱなものになる
	だろう。西安の都を真似ながら、我が国が中央集権国家として力を付けていく過程で、その象徴となった「平城京」。当時
	の都がそっくり復活するのはいつになるのだろうか。その勇姿も見てみたい気がする。









 

 



 

 

 

 

 

 



 




































	この見学の後、平城京内の博物館講堂において以下の講演があって、メンバーはそれを受講する予定だったのだが、なんと
	30分以上前に行ってすでに満員ですと断られたそうである。資料だけは橋本さんに貰ってきてもらったが、水野先生の話
	聞きたかったなぁ。それにしても、満員とは。これから団塊の世代が、どっとこういうのに参加しだしたら一体どうなる事
	やら。







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