Music: Never falling love




茨城県の旅
2005.9.3/4(土・日)







	金曜日に東京出張になったので、土・日を利用して、茨城県に行ってみることにした。東京から近いし、徳川光圀の水
	戸には一度行ってみたかった。しかし茨城県と言っても広いし、すべて電車で移動するので足もなく、今回は水戸市と
	ひたちなか市に行くことにした。
	ひたちなか市の埋蔵文化財センターに事前にMAILを入れていたら、なんと所長の鴨志田さんが土曜休みにもかかわらず
	待っていてくれて、車でアチコチ案内してくれた。ここには、九州の壁画古墳と同じような壁画を持つ「虎塚古墳」が
	ある。そして鴨志田さんは、この古墳の発掘にはじめから終りまでかかわった人なのだ。また、この訪問から一月後に
	は、鴨志田さん著の「虎塚古墳」も同成社から出版されて、このHP製作にも大いに参考にさせてもらった。
	鴨志田さん、事務員の  さん、その節は大変お世話になりました。ありがとうございました。



金曜のMEETINGは朝一番だったので、木曜の夜から出かけていった。伊丹空港のロイヤルから見た六甲に沈む夕日。



ロイヤルの前に、飛行機のタイヤが展示してあった。うちの家族が7年間住んだ、京都府八幡市の飛行神社の記事があった。






	なお、このHPでのデジカメ以外の資料は、そのほとんどを「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」にあった「埋文
	たより」の各号(以下)から、および同センター所長の鴨志田さんからいただいた資料から転載した。記して深く感謝
	したいと思う。





水戸の旅
2005.9.3(土)
茨城県水戸市





	昨夜は上司と東京で飲んで、九段下の九段会館に泊まった。朝早く上野から電車に乗ったが水戸までは結構遠かった。昔、
	転勤で流山に住んでいた頃は、常磐線を結構特急電車が通っていたように思うが、聞いたらもう殆どないとのこと。
	新幹線が開通したので、おそらく特急電車はなくしてしまったのだろう。




	そろそろ腰が痛くなり出した頃、やっとの思いで水戸駅に着いた。快晴でいい天気だ。午後には少し暑いくらいになった。
	電車の中で、地図を見ながらどういうルートで廻ろうかと考えたが、一番近くの吉田古墳から廻ることにした。またタク
	シー代がかかるなぁ。










	吉田古墳から大串貝塚を見てまた水戸へ戻り、水戸で昼食をとった。水戸城下、博物館、愛宕山古墳と見学して、JR水
	戸駅から、茨城交通湊線というローカ線に乗って「磯崎駅」で降りた。今夜の宿はここである。ここにも「川子古墳」と
	いう古墳があると書いてあったがとうとう探し出せなかった。



 


	磯崎駅の周辺にあるはずの川子古墳を見つけられなかったので、あきらめて宿へ行くことにした。遠そうだったのでホテ
	ルへ電話して迎えにこれないか聞いたが、「お一人様ですか。すみません、あいにく車が出ておりまして。」と断られて
	しまった。タクシーがあるような駅ではなく、駅からホテルまで約30分を、海岸線を見たり、神社の原生林を見たりし
	ながら歩いた。



太平洋だ! あの向こうにアメリカが。





崖の上にある建物が今夜の宿である。傍には灯台がある。ということは、ここが付近の海から見て一番ちかい陸なのかな。



 







	ひたちなか市に行くことを決めてHPを覗いていたら、このホテルが目に付いた。ちょうと訪ねようとしている埋蔵文化
	財センターや虎塚古墳の近くにあるし、なにより名前がいい。「ニュー白亜紀」だ。このホテルは崖の上に建っているが、
	すぐ下の海岸は白亜紀の段丘が露出した海岸なのだ。海岸を歩けば中世代白亜紀層が見られる。化石も露出している。
	天然温泉の露天風呂からの眺めもよく、料理もすばらしかった。


	レストランでテーブルを一人で占領していたら、どなりのおばさんグループからジロジロ見られた。中年のおっさんが一
	人で飯を食っているので珍しかったのか、まさか「自殺」を心配されたわけではあるまいと思うが。あまりチラチラ見る
	ので、頭にきて焼酎を次から次に飲み干して、ウェイターの兄ちゃんと大声で馬鹿話を始めたら、閉口して(?)そそく
	さとお帰りになった。おかげでこちとらはぐでんぐでんに酔ってしまった。翌朝ホテル入り口の案内板を見ると「ひたち
	なか市埋蔵文化財センターご一行様」と看板があったが、鴨志田さんは参加していなかった。



旅の食事としては、久々に満腹になった。みんなおいしかった。



ローカルだからだろうが安い。酒代は別にしても、あの料理で1万円とは驚くばかり。




ひたちなかの旅
2005.9.4(日)
茨城県ひたちなか市









翌朝海岸へ降りてみる。白亜紀と思えばまた情景が違って見えるが、日本の海岸はみなそうなのかもしれない。
石段を降りていく途中で何かが前を横切った。イタチだった。草むらを左から右へ走ったが、久しぶりに見た。



釣りをしているオジサンと話し込んだり、散歩しているオバサンの犬とじゃれたりしていたら朝飯の時間が終わりそうだった。





このあたりが白亜紀の地層なのかな? 聞いても誰も知らなかった。







  

	
	ホテルでタクシーを呼んでもらい、反射炉、十五郎穴と見て、埋蔵文化財センターへ。後は鴨志田さんが車で案内して
	くれて、JR勝田駅まで送ってくれた。鴨志田さん、お世話になりました。ありがとうございました。





 

昔は勝田市と那珂湊市だった「ひたちなか市」。街灯のマークも虎塚古墳の模様である。空にはまだ夏空のような雲。

 

 

生駒山地を横切っていくANA機。夕暮れで霞がかっている。

 


	水戸の町と虎塚古墳を訪ねてきた今回の旅。しかし他にもたくさん収穫があった。十五郎横穴古墳群など、まったく熊
	本の石貫横穴古墳群とそっくりだったし、虎塚古墳の模様も熊本の「アブサン、チブサン古墳」や、私の故郷福岡県桂
	川町の「王塚古墳」、朝倉の「仙道古墳」などの模様ともそっくりだった。これには、ただの偶然ではなく何か太古の
	強いつながりを感じる。北部九州を経由して、おそらくは海路で、ここ関東平野北部へやってきた一団がいたのではな
	いか。そんな気になるほどよく似ている。


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