Music: Never falling love



大串貝塚ふれあい公園
2005.9.3(土) 茨城県水戸市






ダイダラボウ像(高さ15m25cm)


	縄文時代前期(約5000年以上前)に形成されたという大串貝塚(国指定史跡)は、奈良時代の「常陸国風土記」に記載があ
	り、文献に記録された貝塚としては世界で最も古い。また同じく常陸国風土記には、これにまつわる「ダイダラボウ」とい
	う巨人伝説があり、これらの貝塚はダイダラボウが作ったという。
	現在、貝塚周辺は「大串貝塚ふれあい公園」として整備され、高さ15mの巨人像「ダイダラボウ」、貝塚の様子を見るこ
	とができる「貝層断面観覧施設」や縄文人の暮らしを紹介した「縄文くらしの四季館」、図書館などの施設がある。また公
	園内にはテニスコートや野球場、プールなどがあり、市民のサークル活動にも利用されているようだ。訪れた日も、どこか
	の少年野球チームがゲームをやっていて、子供たちより親のほうが熱中していた。


	<水戸市大串貝塚ふれあい公園>

	<アクセス> JR水戸駅からバス25分、塩崎下車徒歩10分 常磐自動車道・水戸ICから40分 
		   東水戸道路・水戸大洗ICから3分
	<開園時間> 9:00〜21:00 (縄文くらしの四季館は9:00〜16:00)
	<休園日>  なし(縄文くらしの四季館は月曜日(祝日の場合はその翌日)12/29〜1/3)
	<問合せ>  水戸市大串貝塚ふれあい公園  029-269-5090







 





最近は自治体に金があるのか、それともムラ興しに懸命なのか、どこにいっても立派な施設が多い。

 









公園内には、縄文・弥生・古墳時代の住居が復元してあるが、遺跡によっては見事な茅葺になっているところもあってご愛嬌である。



 

 

 

 

 

 

ダイダラボウの足跡が池になっている。背中も見えるがデカイ。長崎の「平和の像」を思い出す。



ダイダラボウの像の下は小さな部屋になっていて、ここに、出土した貝類のサンプルなどが展示されていた。







 

 

この振り子のようなものは何だったか忘れてしまった。メモっておけばよかった。確か幕末期の何かだったような。



上はダイダラボウの手のひら。階段を登っていくと狭いドアがあり、そこからダイダラボウの手のひら展望台へ出る。

 

いきなりダイダラボウのデカイ顔が頭の上にあって、目の前は常盤平野(?)のすばらしい眺望が開けている。




	「常陸国風土記」那賀郡の条・概要 (奈良時代に編纂)

	昔、内原町(旧、中妻村)大足(おおだら)に「ダイダラ坊」という大男が住んでいた。その大男が多くの人の役に立ちた
	いと自慢の力を発揮して活躍する。田畑の日陰を無くすために高い山を動かしたり、大雨による洪水を防ぐため川を作り、
	池を掘ったりした。「ダイダラ坊」が動かした山というのが、現在、水戸市、笠間市、常北町の境にある「朝房山」であり、
	更に、作られた川が「桜川」であり「千波湖」であるという。そして「ダイダラ坊」はその後、「平津の駅家(現在の水戸
	市平戸町)」に移り住み、その西方近くの大櫛(串)という岡に座って、座ったまま手をのばして、浜の大好物の貝を拾っ
	て食べ、その殻を捨て、堆積したのが、今の「大串貝塚」になった。当時の人は、その地を「貝がたくさん(大いに)朽ち
	ている」という意味で呼んでいたが、今は大櫛の岡と言う。また、巨人の踏んだ足跡は、長さ約72m、広さが36m、小
	便のたまった穴の径は、約36mもある。

	昔、子供と一緒に見たTVの「日本むかし話」でこの話は聞いたことがある。






	ここで言う大櫛の岡とは、水戸市塩崎町の「大串貝塚」(国指定史跡)で、現在の常澄中学校と「大串貝塚ふれあい公園」
	を含めた一帯の大地を指す。平成3年に完成した「大串貝塚ふれあい公園」には、ダイダラボウ(巨人)の像や古代復元住
	居、大串貝塚からの出土遺物などを展示する「縄文くらしの四季館」などの施設がある。台地上の貝塚は、中学校の建設工
	事で失われたが、北側の崖と東側の崖下には貝塚が残っている。



降りてきて、下から見上げるダイダラボウ。



 

ダイダラボウは腰の辺りに縄文土器の弁当箱(?)を下げている。




	常澄中学校の東側、木立の中の遊歩道を折居神社の方に進むと、斜面に「国指定史跡 大串貝塚」の石碑があり、遊歩道と
	を金網で仕切られたあたりの地面では今でも古代人の食べた貝類を見ることが出来る。歩いていても道に貝殻が落ちている。
	韓国の金海(キンメ)貝塚に行った時も、おなじような状況だったが、古代人は相当な量の貝類を食べたようだ。

 




	大串貝塚は、5千年以上前、縄文時代前期の貝塚で、その当時は台地の下あたりまで海水が入り込んでいたものと思われる。
	奈良時代の人々は、海岸からかなり離れた台地に、大量の貝が積もっているのを不思議に思い、巨人伝説と結びつけて考え
	たのだろう。巨人伝説は国内各地に名前や形を変えて広く存在しているが、茨城ではダイダラボウ(ダイタッポウ・ダイダ
	ラボッチ)の名で親しまれ、この他にもたくさんの伝承が残っている。

 




	おおくしかいづか
	大串貝塚   国指定文化財 史跡  指定年月日 昭和45年5月11日 
			  所在地 水戸市塩崎町1015-2   管理者 水戸市   製作時期 縄文時代 
 
     大串貝塚は,涸沼川をのぞむ那珂台地の先端に所在する。昭和11年と同18年に発掘調査が行われ、その結果,シジミを
	主体とする貝塚で、土器、石器、骨角器類のほか、魚貝類、獣骨等が出土し、縄文時代前期に形成された貝塚であることが
	明らかになった。この貝塚は、奈良時代の「常陸国風土記」に記される「大櫛之岡」と考えられており、文献に残る貝塚と
	して世界で最も古く、これにまつわる巨人伝説とともに著名である。なおここからの出土品は、公園内の「縄文くらしの四
	季館」に多くが展示されている。




	なおこの近辺には他にも多くの貝塚があり、縄文時代前期には、海岸線が相当内陸部にまで入り込んでいたのがわかる。翌
	日行った「ひたちなか市」でも、「え、こんな高台の畑が貝塚?」と思うほど、畑に貝殻が散在していた。縄文土器の破片
	や石器のかけらも散らばっていた。6000年前頃の「縄文海進」で、海水が一気に低地に進入したものと思われ、今では
	結構内陸の古河市や石下町あたりまで海水が入ってきている。貝塚がたくさん作られるのはこの時期である。  
	 後野(うしろの)A遺跡(ひたちなか市)、原町西貝塚(古河市)、前田村遺跡(谷和原村)、南三島遺跡(龍ヶ崎市)、堂東(ど
	うひがし)遺跡(協和町)、椎塚(しいつか)貝塚(江戸崎町)、広畑(ひろはた)貝塚(桜川村) などなど、このあたりの縄文遺跡
	は列挙にいとまがない。



 

「国指定史跡大串貝塚」の碑









邪馬台国大研究ホームページ / 遺跡・旧跡案内 / 大串貝塚ふれあい公園