Music: Never falling love








駅から商店街を抜けて住宅地の中を抜けてゆく。歩いて5,6分である。

 






	庭は司馬遼太郎が好きだった雑木林のイメージで造られている。クス、シイ、クヌギ、カエデ、ヤマモモ、シラカシ、
	エゴノキなどの樹林、バラ、ボケ、ツツジ、ツバキ、アシビ、クチナシなどの花木、ツユクサ、タンポポ、ツワブキ、
	ホトトギス、ヤブランなどの草花が四季の風景を演出している。廻りは住宅や学校で、ここだけがホントに雑木林の
	ような様相だ。司馬遼太郎は自然のままのたたずまいを好み、夏には生い茂る雑草もあまり抜かず、秋の落ち葉も落
	ちるにまかせていたという。



	<司馬遼太郎>
	生没年月日	大正12年8月7日 〜 平成8年2月12日 
	本名=福田定一。大阪府生まれ。大阪外国語大学モンゴル語科卒。
	小説家。サンケイ新聞記者を経て文筆活動に専念。処女作 「ペルシャの幻術師」(昭和31年) 

	第8回講談倶楽部賞(昭和31年)「ペルシャの幻術師」
	第14回菊池寛賞(昭和41年)『竜馬がゆく』『国盗り物語』
	大阪芸術賞(昭和42年)
	毎日芸術賞(昭和42年)『殉死』
	第30回文藝春秋読者賞(昭和43年)『歴史を紀行する』
	第6回吉川英治文学賞(昭和45年)『世に棲む日日』
	第32回日本芸術院賞恩賜賞文芸部門(昭和50年)
	第33回読売文学賞小説賞(昭和56年)『ひとびとの跫音』
	朝日賞(昭和57年)
	第15回大佛次郎賞(昭和59年)『韃靼疾風録』
	放送文化賞(昭和60年)
	第16回日本文学大賞学芸部門(昭和60年)『街道をゆく――南蛮のみち』
	第38回読売文学賞随筆紀行賞(昭和61年)『ロシアについて』
	明治村賞(昭和63年)
	文化功労者(平成3年)
	文化勲章(平成5年)
	東大阪市名誉市民(平成8年)
	第1回井原西鶴賞(平成8年) 

 

書斎の前には、土管などを利用して菜の花やツユクサを植え眺めていた。

 





この日も書斎の前には菜の花が満開だったが、これは東大阪市のボランティアが置いていったもの。




	庭に面した書斎は、司馬遼太郎が執筆していた当時のままに保存されている。執筆が終わればいつも机の上はきちん
	と整理されていた。万年筆などの筆記具や、原稿を推敲する際に使った色鉛筆などがそのまま置かれている。机の前
	のサンルームでは、資料を読んだり、庭の木々を眺めて休息していたのだ。




	庭の片隅には、記念館設立の協力者(募金者)たちの名前がズラリと並んでいた。知り合いがいないか探したが、あ
	まりに多くて途中で眺めるのをやめた。





これが安藤忠雄設計の司馬遼太郎記念館。



 

 


	地下一階へ下りていった空間が展示室だが、ここは普通の展示室とは異なる。勿論、原稿やその他司馬遼太郎愛用の
	品々も展示してはあるのだが、圧倒されるのが高さ11mの大書架である。2万余冊の蔵書を使って床から天井まで
	びっしり本が並んでいる。しかしこれはイメ−ジ展示だという。司馬遼太郎が調べるのに使った市史や辞典などが多
	い。自著も含めたその他の蔵書は、自宅の廊下から階段、書斎、書庫と、あらゆる所に6万冊の本が収まっている。
	その模様は館内のビデオで見ることができる。

 

我が歴史倶楽部の皆さんも司馬遼太郎ファンである。みなさんよく読んでいる。



安藤忠雄は、この建物を設計するときまず一番に考えたのが、
この蔵書の存在だったという。これをどう納めるかに腐心した。

 


	そしてできあがったのがこの大書架である。

	この展示室の意図は何なのだろう。単に、「これが司馬遼太郎が持っていた蔵書の一部ですよ、さぁ見てください。」
	ではないのは勿論である。ここはおそらく、司馬遼太郎と対話する場所なのである。司馬遼太郎の蔵書に囲まれて、
	司馬が何を考え、何を思い、何を我々に託そうとしたのか。それを考えるためにこの空間はあるのだ。




	私は司馬遼太郎の本はあまり読んだことがない。せいぜい2,3冊といった所だ。だが「街道をゆく」はよく読んだ。
	彼は勿論、偉大な小説家で在ることにかわりはないが、彼の歴史家としての神髄は、小説よりもむしろ「街道をゆく」
	にあるような気がする。彼が歴史を学んで、歴史を通じて我々に託したかったものは何か。おそらくそれは未来への
	希望なのではないかという気がする。「街道をゆく」にこめられた人々への愛情、積み重ねられた歴史への敬慕の念、
	そして日本がこれから向かおうとする未来への警忠、これらを司馬は「街道をゆく」で語っていると思う。





展示室の隅には映像ホールがある。ここで15分程度のビデオを見ることができる。この日は「時空の旅人」だった。





ほんとに、庭というより雑木林である。



記念館を出て、近鉄「八戸ノ里」(やえのさと)駅へ。ここから電車で「瓢箪山」(ひょたんやま)駅へ向かう。


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