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八尾・河内をあるく 心合寺山古墳 しおんじやまこふん 2006.1.29 歴史倶楽部106回例会







	<国指定史跡 心合寺山古墳 データ>

	史跡指定: 昭和41年2月25日 
	所在地 : 八尾市大竹4、5丁目 
	形状  : 前方後円墳 
	大きさ : 全長約160m 
	時代  : およそ1600年前(5世紀はじめ) 
	指定面積: 約30,000u 
	埋葬施設: 後円部…粘土槨3基 前方部…木棺1基 
	出土品 : き鳳鏡、甲冑、大刀、鉄剣、玉類、円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪(家、盾、鶏など) 






	心合寺山古墳(しおんじやまこふん) 服部川駅下車 北に徒歩約20分

	心合寺山古墳は、古墳時代中期につくられた前方後円墳である。中河内では最大の全長160mの古墳で、当時
	この地域一体を治めていた王の墓と考えられている。これまでの発掘調査によって、古墳は3段に土が盛られ、
	平坦部には円筒埴輪と呼ばれる、筒型の埴輪が立てられ、盛った土の斜めの所には、葺石が施されていた。また、
	北側の後円部には、3つの埋葬施設があり、南側の前方部の四角い丘には、方形壇(ほうけいだん)と呼ばれる
	四角い台があり、後円部と前方部の間のくびれ部には、造り出しがある。




	古墳は、平成13年から平成17年まで整備工事が行なわれ、発掘調査でわかったことを元に、墳丘や埴輪列を
	復元して、しおんじやま古墳が、約1600年前の時を経て当時の姿に復元された。
	ちなみに、「しおんじやま」という読みにくい名前であるが、この古墳の西側の、飛鳥時代に作られたという寺
	・心合寺(しんごうじ)に由来していると考えられている。つまり、「しんごうじ→しんおうじ・しんごんじ?
	・・しおんじ!」と変化していったようである。そして、やがてその寺も消滅し、古墳だけが現代まで残ってい
	た。



復元された葺石と造り出し





 

 

 





復元された方形壇(上)。こんなものを持っている古墳は初めて見た。





復元された埴輪列









後円部の埋葬施設の位置表示


























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