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高取町の古代から高取城へ

2005.5.29(日)

第97回例会 渡来人の里・奈良県高取町
豪族が闊歩した古代高取


	
	<日時>2005年5月29日(日曜) 10:00近鉄市尾駅集合(近鉄南大阪線)壷阪山駅解散。
	<鉄道:ご参考までに> 好きなように市尾駅まで来て下さい。
	●8:21JR大阪駅環状線発−環境線・外回り−8:42天王寺着−8:50近鉄大阪線阿倍野橋発−急行・吉野行き− 9:40市尾
	駅着(大阪組) 大阪組の方で一緒に行かれる方は、JR大阪駅中央口砂時計の前に8:10分にご集合下さい。
	●8:37近鉄奈良駅発−近鉄奈良線準急−8:42近鉄大和西大寺着:8:46発−近鉄橿原線−9:25橿原神宮着・9:31発−近鉄吉
	野線急行−9:40市尾着(奈良組)
	<費用>片道交通費のみ
	●JR大阪−近鉄市尾駅まで  190円+750円=940円(大阪組) ●近鉄奈良駅 − 市尾駅まで  560円(奈良組)
	●今回はガイドさんをお願いしてありますので、ガイドさんの交通費1,000円+お弁当代 500円が必要です。
	(ワリカンでお願いします。) ガイドさんのお名前: 野村幸治さん、携帯 xxx-xxxxーxxxx
	(たかとり観光ボランティアガイドの会)
	<行程ルート>
	10:15頃市尾駅発 市尾墓山古墳 − 市尾宮塚古墳 − 波多甕井神社 − 森カシ谷遺跡 − 岡宮天皇陵 − 束
	明神古墳 − 壺阪山駅(おそらく昼すぎには到着か?)
	●今回は説明を多めに、時間的に相当ゆっくり歩いて頂くようガイドさんにお願いしてありますが、それでも時間が余れ
	ば、前回のように壷阪山からタクシーで行けるととこまで行って、高取城を見るという手があります。タクシーを降りて
	ほぼ1時間歩けば登れるそうですので、余力を残して頑張りましょう。
	<持ってくる物> ●弁当・お酒・ビール・ビニールシート・雨具、替上下着、その他

	飛鳥時代は、日本の黎明期にあって、中国や朝鮮半島の国々と伍する律令国家建設への胎動が始まった時代でした。古代
	の為政者は、先進技術・文化を持っている外国人(渡来人)を積極的に受け入れ強力な中央集権国家を誕生させました。
	高取町は渡来人が闊歩していた古代の国際都市でした。万葉集にも詠われ、高取町出身の最初の「征夷大将軍・坂上田村
	麻呂」が活躍します。






	先月の例会で高取の壺阪寺から飛鳥へ歩いた。その時、朝、壷阪山駅にいた高取町ボランティア・ガイドの方に、誰かが
	「よっしゃ、じゃ次回の例会はまたここに来てオタクにお願いしますわ。」と言っていた。だからという訳ではないが、
	今回の例会も高取町にした。古代の高取を歩いて見たかったのと、なんと言っても日本一の山城と言われる高取城を見て
	見たかった。今日のコースは短いので、十分高取城まで回れると思う。天気が良くて、少し汗ばむ位のいい散策陽よりだ
	った。

	この一連のHPの、黒字部分の解説は、高取町および高取町観光協会、および「高取町ボランティア・ガイドのHP」
	を参照・転載しました。謝意を表します。



市尾駅に着くと、ボランティア・ガイドの野村さん(右端)が待っていた。この写真は同じくボランティアのおばさんに写してもらう。



もっとオジサンをイメージしていたら野村さんはえらく若かった。私と同じくらいかな。駅からすぐの宮塚古墳・墓山古墳を目指す。





 

上の道が紀路(きじ)である。




	平成六年十二月に完成した「リベルテホール」という名のコミュニティホールの脇をゆく。リベルテとはフランス語で
	「自由」を意味する。私は今年の2月にこのホールへ講演会を聴きに来て、高取が渡来人の町だという事を知ったのだ
	った。このホールの向かいが中央公園になっており、東屋があった。昼食もここで摂った。

 


	ここに、高取町がうんだ俳人「阿波野青畝」(あおのせいほ)の「葛城の 山懐に 寝釈迦かな」(かつらぎの やま
	ふところに ねじゃかかな)の句碑がある。ここから葛城山がよく見える。寝釈迦の図は、実際には葛城山の山腹にあ
	る寺の中にあるが、まるで葛城山腹に寝釈迦が抱かれているようにも見える。 






 





 





束明神古墳からまた、リベルテホールの中央公園へ戻ってきて、ここで昼食となる。高取城が遠望出来た。




天誅組鳥が峰古戦場(高取町役場)




後ろの建物が高取町役場。その先が近鉄「壷阪山駅」である。




高取町リベルテホールと、その入り口に置いてある野戦砲。これがこの時使われた野砲。大阪冬の陣の功績で家康から貰ったもの。

 



実際には天誅組は全く闘わず、この大砲の音に驚いて四散したらしい。天誅組にまともに戦をしかけたのは高取藩だけである。

	
	壷阪山駅前から2組に分かれてタクシーに乗る。前回訪れた「壺阪寺」までしか行かないのかなと思っていたら、なんと
	城の直下までタクシーで行けた。ものの10分も登れば高取城である。野村さんの話では、壺阪寺から城直下までの路は、
	当時の町長が岸総理大臣に働きかけて、自衛隊を動員して作り上げたものらしい。自衛隊では「訓練」として行われたも
	ののようだが、依頼したのが、かってココの城主だった植村氏と来てはなぁ。ごっつ献金したんやろなぁ。



ここが自衛隊道路の終点。高取城直下である。ここでタクシーを降りる。ワリカンしている所かな。






	
	高取城から降りてきたところで、ここが高取城じゃないかと思わせるような風景に出会った。瀟洒な石垣の上に立つお城
	風の家。聞けばこれは個人の家だそうである。その前を流れる川の廻りが綺麗な公園になっている。上子島砂防公園とい
	って、2つの渓流が合流する上子嶋という集落で、壺坂山駅と高取城跡のちょうど中間に位置する。「ハイカーが利用す
	る休憩広場等を設け、砂防、防災的な機能を果たすとともに水と緑豊かな公園として整備された。」と説明にあるが、こ
	れはどうみても山際の家にとっての庭園になっている。阿波野青畝の句碑も公園内にあるらしいが、ハイカーなど人っ子
	一人いない。よく「税金無駄遣い」の声が上がらないもんだ。





 

昔あった水車小屋を近頃復活させたものらしい。この脇を更に下って左へ折れると「阿波野青畝」の生家がある。




阿波野青畝・生家



	
	阿波野青畝(あおのせいほ)は昭和を代表する俳人で、ここ高取の出身である。リベルテホールの公園にあった「葛城の
	山ふところに寝釈迦かな」の句は、葛城山の雄大さを感じさせる句として有名である。

 

生家の中庭にある「虫の灯に 読み昂ぶりぬ 耳しひ児」の句碑。



ココは現在も阿波野青畝ゆかりの人が住んでいる。所有者は青畝の縁者らしいがここには住んでいない。

 




土佐街道から壷阪山駅へ

 

	
	またしばらく下ると石畳の土佐街道道へ降りてくる。先月の例会でここまでは来た。

	高取藩の家老屋敷で、長屋門は県重要文化財。江戸末期文政9年(1826)のもの。旧藩主下屋敷のあった「ゴテンアト」
	は、長屋門正面 の丘の上にあり、近くに数軒の武家屋敷など江戸時代の建物がある。 

	<札之辻>
	土佐町(土佐街道)から壺坂道への分岐点。一般的に「下町の三ッ辻」を「札之辻」と呼ぶ。当時はここに高札が建てら
	れ道行く人々に「お触書」等を掲示した所であった。ここには、当時「釘抜門」があり、町屋と家中屋敷の区切りとなっ
	た。幕末には、ここに仮学問所があった。道端には、「右つぼさか・・・」と道しるべが残っている。 






	町屋は、当時ほとんどが平屋で2階は屋根裏程度となっています。つし2階建てと呼ばれています。(つし・・・どんな
	字なのか聞いたが、野村さんもしらなかった。)上からお殿様を見下ろさないという配慮からと言われています。窓には、
	連子格子が取り付けられ、このような昔ながらの町屋が今も街道沿いに続いています。江戸時代に迷い込んだかのような
	感覚を受けます。 



 


	街道沿いには下屋敷の門が移築されている石川医院があります。城下町としての名残が随所に見えます。街道の両脇には
	水路があって火事の際には防火水に使えるよう水を堰き止める板をはめることが出来るようになっていたり、馬をつない
	でおく「駒止め」と呼ばれる金具が残っている。また、町屋と町屋の間の隙間には間者等が潜めないよう板張りがなされ
	ているのも城下町ならではである。 



 


	壺阪山駅。大正12年、当時の吉野鉄道が吉野口−橿原神宮前間を開通させた際に開業。現在は近畿日本鉄道吉野線とな
	っている。
	
	タクシーを使ったおかげで今日は早めの終了となった。聞けば野村さんはリタイアして2,3年になるのだそうだ。驚いた。
	私と同じくらいか、私より年下かなと思っていたが、なんのなんのはるかに先輩だった。しかしお若い。みんなが「井上
	さんも髪を染めたら5,6歳は若返るで。」というが、なんかめんどくさいし。
	このボランティア制度は、その存在も含めてなかなか世間に浸透しておらず、もっとアピールが必要だという野村さんの
	話だった。しかし案内があったので、こんなに早く廻れたのも確かである。探しながら歩いていたらもっと時間が掛かっ
	たことだろう。野村さん、どうも一日おつきあいいただいてありがとうございました。お元気で。

	この後一行は、例によって近鉄橿原神宮駅のホーム内にある料理屋で反省会。みなさんお疲れ様でした。また次回宜しく。

	<ご覧頂いている皆様へ>
	我々の高取町散策は2回に分けて行いました。同じ「歴史倶楽部HP」の先月(2005.4)分も合わせてご覧頂くと、
	高取町の「歴史散歩」のほぼ全容が見れます。


邪馬台国大研究・ホームページ /歴史倶楽部/ 高取の古代