日時:2005年4月29日(祝日・金曜) 10:00近鉄壷阪山駅集合(吉野線)飛鳥駅解散。 鉄道:ご参考までに 好きなように壷阪山まで来て下さい。 ●8:41JR大阪駅環状線−9:02天王寺着−9:10近鉄大阪線阿倍野橋発−近鉄特急−9:52壷阪山着(大阪組) ●9:14近鉄大和西大寺発−近鉄特急−9:35橿原神宮着・9:47発−近鉄吉野特急−9:53壷阪山(奈良組) 費用:片道交通費のみ JR大阪−近鉄壺阪寺まで 190円+690+500円 = 1,380円(大阪組) 近鉄西大寺 − 壷阪山まで 560円+500円 = 1,060円(奈良組) 行程ルート: 壷阪山駅発 奈良交通バス10:15「壺阪寺」行き(310円)−10:25壺阪寺 −大観音石像と涅槃像−信楽(しんぎょう) 寺の「お里沢市の墓」−家老屋敷跡−観光案内所「夢創館」−土佐街道−子嶋寺−<キトラ古墳>−於美阿志(おみ あし)神社・檜隈寺跡−<高松塚古墳・高松塚絵画館>−飛鳥駅 持ってくる物: ・弁当・お酒・ビール・ビニールシート・雨具、替上下着、その他
今回の例会は奈良県の高取町である。2月にここで行われた講演会を聞きに行って、ここが渡来人「東漢」(やまとの あや)氏の拠点であるのを知った。飛鳥時代は、日本の黎明期にあって、中国や朝鮮半島の国々と伍する律令国家建設 への胎動が始まった時代だった。古代の為政者は、先進技術・文化を持っている外国人(渡来人)を積極的に受け入れ 強力な中央集権国家を誕生させた。高取町は渡来人が闊歩していた古代の国際都市だった。万葉集にも詠われ、高取町 出身の最初の「征夷大将軍・坂上田村麻呂」も活躍する。 ホントは、その講演会で聞いた遺跡を見に行きたかったのだが、高取町教育委員会の話では、古墳を除き、全ての遺跡 は土の下、或いは道路の下、住宅の下で、説明看板も立っていないとの事なので、それは断念した。代わりに、壺阪寺 から新緑の中を、高取の土佐街道を抜けて飛鳥へ行くコースを考えた。壺阪寺からのコースはポピュラーなのだが、 ここに飛鳥までを追加した。飛鳥では、今高松塚古墳をどうするかでもめている最中なので、解体されたらもう無くな ってしまうし、最後に一目見ておこうというわけである。
近鉄「壷阪山駅」に集合して、バスで壷阪寺まで行く予定だったのだが、タクシーに4人と5人に分かれて乗れば、一 人当たりの負担はそっちのほうが何十円か安かった。しかも、それが駅前に堂々と案内してある。これではバスもたま らんだろうなぁ。でも四人に満たないハイカーは当然バスの方が安いので、バスの乗客も結構いた。タクシーで10分 も走ったら壺阪寺だ。上右は、壺阪寺バス停に着いて、ガソリンを仕入れているメンバー。シャッターが閉まっていた のを無理矢理開けさせてわれ先に。下はそのバス停の模様。バス停横の坂を登っていったところが壺阪寺である。