よしだこふん 吉田古墳 国指定史跡 指定年月日 大正11年3月8日 所在地 水戸市元吉田町345・347 管理者 水戸市 製作時期 古墳時代 吉田古墳は,水戸市街地と相対する吉田の台地上,水戸市立千波中学校近くに存在する1辺約8m、高さ約1.6m、の 小規模な方墳である。内部主体は,南に開口する全長約3mからなる軟質凝灰岩の板状の石で構築した横穴式石室である。 大正3年4月に発掘され,金環,鉄鏃,直刀,勾玉等が発見されるとともに石室の奥壁には線刻で靱,刀子,鉾等武具を 主体とした壁画を施す特異な古墳として注目され,装飾古墳の研究上,高い学術的価値を有するものである。本古墳の営 造年代は,主体部形式や出土遺物から6世紀後半に位置付けられると思われるが、7世紀前半とも言われる。 JR水戸駅南口バスターミナル6番(水戸工業高校前経由バス)に乗車し、吉田古墳入口下車 乗車時間:約5分 運賃:160円 / 北関東自動車道・水戸南インターから約10分
水戸市の代表的古墳で、6世紀以降の飛鳥時代終末期に作られたとされている。横穴式石室で奥壁に武具・武器などの壁画 が描かれている。また、石室内部からは金環、鉄鏃(やじり)、直刀、勾玉等が出土した。大正11年(1922)国指定文化 財(史跡)となった。
上左が壁画の絵である。鉾、刀子、靱(ユキ:弓矢を入れて背中に担ぐ道具)などの武具が描かれている。壁画古墳は九州 に多い。福岡県北部筑後川流域、熊本県菊池川流域に多く、特に熊本県北部の菊池川の周辺には多くの壁画古墳が存在して いる。丸や三角の幾何学模様が多く、舟や弓矢などを描いたものも多い。関東でもいくつか発見されているがまれである。 ここや、ひたちなか市の「虎塚古墳」などは、模様だけを見ると九州の壁画古墳と非常に似ているように思う。壁画の模様 が若し民族や部族の出自をあらわしているとすれば、ここ東関東へは九州から黒潮に乗って船で移動してきた古墳時代人の 一団がいたと言うことになるのだろうか。