Music: Moon River



歴史倶楽部第117回例会
「発掘された日本列島2006展」
を見て、「信太の森」周辺を歩く
2007.1.14(日)大阪府和泉市




























			池上曽根遺跡でたまたまやっていたフリーマーケットで買った埴輪。300円。面白そうなのが
			いっぱいあって、ここにいたらじゃんじゃんお金を使いそうだったので、皆さんこの遺跡はすで
			に見ているので、「行こ、行こ。」と足早に立ち去った。




大阪生まれの西本さん、栗本さんによると、大阪ではほんとに昔きつねうどんの事を、「しのだ」
と呼んでいたそうである。もちろんここ信太の狐にちなんでだが、それほど「信太の狐」は有名だ
ったのだ。「井上さん、老舗のうどん屋に入って「しのだ」て注文したら、通やなぁ言われるでぇ。」
と西本さん。






放光池1号公園








上右の路が熊野街道。今日はこの路に沿って歩く。後鳥羽上皇もここを通って熊野へ行ったのだ。








平松王子跡










これは裏である。この裏に後鳥羽上皇の歌が刻んであるのに、こっちが正面だと思いこんでそのまま引き返してしまった。






西教寺











	恥ずかしながら、私はこの年(50代半ば)になるまで「いぶき」という木の名前を知らなかった。勿論木そのものは
	どっかで見たことは有るのだろうが、いぶきという名前は初めて知った。植物博士の錦織さんは勿論、西本さんも知っ
	ていた。西本さんは自宅の庭に植わってるらしい。
	我々が説明板を見ていると、ちょうどこの寺の住職さんが自転車でどっからか帰ってこられた。早速つかまえて色々と
	お話を伺う。この寺は元々真言宗だったのが、途中で(延宝元年:1673頃)浄土真宗に改宗したらしい。このいぶきは
	その前から立っているそうだ。住職さんも子供の頃この木に登って、茅渟湾(ちぬわん:大阪湾の古語。)を眺めてい
	たと言う。





小栗街道笠懸松・宣札場

















八坂神社








西教寺の門にも「春日会OB」と書かれた提灯が掛かっていたし、この辺りは相撲の「春日野部屋」と関係ある
ようだ。「大阪場所開催のとき、ここが宿舎になってるんとちゃう?」「ううんそうかなぁ、そういや境内は広いね。」




ガラス








下の瓶の中に、溶けたガラスを入れるようだ。縁にそのガラスがこびりついていた。手前はその破片。
栗本さんはさすが大阪生まれ、この辺りが「人工真珠」の産地だと知っていた。「昔から有名やったでぇ。」





聖神社参道








ここで熊野街道からはずれて、信太の森ふるさと館、聖神社とめぐってまた街道へ戻ってくる。







旧府神社

















信太貝吹山古墳












まわりはフェンスで囲まれており中へは入れない。濠が取り囲んでいたらしく、その部分には石を敷き詰めて一段高くしてある。






		以下の青い線が本日のコース。午後から歩き出して夕方まで。距離的には5kmほどで、これくらいで疲れもせず
		歩き足りないと言うこともなく、遺跡巡りとしてはちょうどいい散策かもしれない。「次回からこれくらいにしよ
		うで。」という声しきり。








ここでの解説は、(財)大阪府文化財センター普及部発行の、「郷土の文化財を見学する会」
(第341回:和泉地域の文化財を訪ねて)パンフから転載しました。記して謝意を表します。


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