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第127回例会

播磨町の古代を歩く 2007年10月28日(日)兵庫県播磨町







	第127回 歴史倶楽部例会 −播磨町の古代を歩く−

	日時 : 10月28日(日)AM9:45集合
	集合 : JR大阪駅中央改札口砂時計前(大丸の阪神側です。)
	行程    ●JR大阪駅10:00発−(JR東海道本線・西明石乗り換え)−10:56JR土山駅着
			(1,110円)
	      ●土山駅 − 愛宕塚古墳(15分)− 住吉大神宮(10分)− 野添北公園(10分)
		     −円満寺(10分)− 出会いの道 − 大中遺跡公園(10分:昼食)
		  ●大中遺跡公園散策後、播磨町郷土資料館(10分:無料)− 兵庫県考古博物館を見学
		    (見学料 ¥200)
	      ●兵庫県考古博物館 − (出会い公園を通って)− JR土山駅へ(20分)
	      ●JR土山駅 − (JR東海道線) − JR大阪駅(1,110円)
	費用 : 交通費(2,220)+入館料(200)+反省会費用(2000?)
	持ち物: 弁当・雨具・その他
	見所 :今回はゆったりとした行程です。歩く距離もわずかです。のんびりと播磨の秋を楽しみましょう。

	● 愛宕塚古墳(あたごづかこふん)播磨町野添北
	古くから「愛宕さん」として信奉されてきた、播磨町唯一の古墳時代中期の周濠をそなえた円墳です。その名前は墳項部に愛宕権現
	の祠(ほこら)がまつられていることに由来しています。南北約22m、東西約23m、墳頂部の標高は15.3m、基底部の標高
	13.1m、高さ2.2mの円墳で幅4.5mの周濠をもっています。 
	● 野添北公園
	野添北公園、愛称「であいの森」は、総面積約1.5haの園内に100種類以上もの樹木が植えられ、水遊びのできる人工池やアス
	レチック遊具、芝生広場、東屋、花壇などがあります。日本庭園内には茶会や研修ができる蓬生庵(パークセンター)があり、交流
	の拠点となっています。
	● 大中遺跡は昭和37(1962)年、地元の中学生によって発見され、発掘調査の結果、さまざまな住居跡や生活に使った道具などが発見
	されました。昭和42(1967)年には、国の史跡に指定され、昭和49(1974)年に史跡公園「播磨大中古代の村」として開園しています。
	● 播磨町郷土資料館
	播磨大中遺跡の出土品や郷土の歴史に関する資料、模型などを展示しています。また、特別展や歴史講座、古代体験学習などを開催
	しています。開館時間:午前10時〜午後5時休館日:月曜日、毎月10日と第4日曜日、祝日の翌日、12月28日〜1月4日。
	● 兵庫県立考古博物館は、「ネットワーク」「参加体験」「変化・成長」をキーワードに、県内の遺跡から出土した考古資料を活用
	した様々な事業を県内全域で展開します。だれもが、いつでも、どこでも博物館の活動に主役として参加できる、新しいスタイルの
	参加体験型博物館です。



JR土山駅の南側(上左)と北側(上右)。当初、南北を間違えて南側を歩いていた。



駅の北側には「大中遺跡」を意識した、弥生時代のモニュメントがいっぱい。広場のやぐらの上からは弥生人が顔を出している。



鎖留めも勾玉だし、遺跡へ向かう沿道には11月3日に行われる「遺跡祭り」の幟が立ち並んでいた。




今の時期に花を付ける数少ない草木のひとつ「柊」(ひいらぎ)


	播磨町(はりまちょう)は、兵庫県内で最も面積の小さな町である。町の面積は 9.09平方キロメート、その3割が海を埋め立てた
	人工島である。現在、これらの人工島では一般機械器具製造、化学工業を中心とする約60数社が操業し、その製造出荷額は県下で
	も上位にランクされている。かって、この人工島の工業地帯に数社取引先があり、何度かこの駅からタクシーに乗った。
	商業は、近郊での大型店の進出により、厳しい環境となっていて、一方、農業は米作中心で、宅地化が進むにつれ耕地面積は減少の
	一途をたどっている。平成18年4月1日現在の人口は、県下12町(平成18年3月31日現在)の中でも最も多い34,215人で、平均年
	齢約42歳と若い町である。JR土山駅と山陽電鉄播磨町駅の2駅があり、神戸から40分、姫路から30分の位置にある。「平成
	の大合併」の嵐にも耐えて(?)、町としての独立性を堅持している。

	この町にもさまざまな歴史があるが、古代史の面で有名なのは、西暦200年頃生活が始まったと推測される、弥生時代の遺跡「大
	中遺跡」である。「おおなか」とよぶ。滋賀県の琵琶湖畔にも同じ字の弥生遺跡があるが、あちらは「大中」(だいなか)である。
	他にも愛宕塚古墳、円満寺などもあるが、このほど(2週間前)大中遺跡公園の中に「兵庫県立考古博物館」がオープンした。
	巻末の参考資料を見て貰うと分かるが、文化庁の調べでは、全国で遺跡の数が一番多いのは兵庫県なのである。古墳の数も兵庫県が
	一番多い。銅鐸も一番多く出土しているし、三角縁神獣鏡の出土数も、奈良県、京都府についで多い。こうした状況があるので、県
	立の機関として「考古博物館」が出現したのだろうが、設備、展示の立派さは評価できるとしても、博物館としての姿勢はいまいち
	である。その理由は「考古博物館」のコーナーに書いているが、建物そのものは立派で亜流(ある)。





愛宕塚古墳









	JR土山駅から「鹿の川」(かのかわ)へ向かう道沿いにある、こんもりとした森が愛宕塚古墳である。かってはこの際まで海が
	迫っていた。海に臨んで造られた古墳である。播磨町には古墳はこれ一つであるが、神戸市の「五色塚古墳」、明石市の「幣塚古
	墳」(ぬきづかこふん)、加古川市の「聖陵山古墳」とともに、「海を望んだ古墳」として、播磨地方の歴史や文化を紐解く上で
	貴重な遺跡である。




	大中遺跡からは東へ2kmのところにあり、標高は大中遺跡と同じ13mで、洪積台地のいわゆる中位段丘の最南端、沖積平野に
	接する部分に位置している。被葬者はおそらくこの地の有力者だろうが、4世紀終わりから5世紀初めの、古墳時代中期に築造さ
	れたと推定されている。廻りに濠を巡らせた円墳で、直径は南北約22m、東西約23mである。憤頂部の標高は15.3m、基
	底部の高さは13.1mで、高さ2.2mとなり、周濠は幅4.5mを測る。明治の中頃までは、周囲に小さな塚が2つあったそ
	うだが、田畑や土取りに破壊されて現在は消滅している。おそらくは、愛宕塚古墳の陪塚だったのではないかと推測される。




	現在見られる古墳には葺石や埴輪などの外部施設はないが、周濠から壺形埴輪、円筒埴輪、朝顔形埴輪が出土しているので、当初
	は廻りに埴輪を立てて並べていたと考えられる。しかし葺石は、もし施されていれば、たとえ持ち去られたとしてもわずかなりに
	もその痕跡は残るので、それが見あたらないところを見ると、初めから施されていなかった可能性が高い。これらの出土品は、今
	から行く「播磨町郷土資料館」に保存されている。







住吉大神宮







	時々こうして、何度やりなおしてもボケてしまう写真がある(上右)。左右にカメラを動かして写せば写るのに、そのアングルの
	時だけ何度やり直してもボケてしまうのである。天皇陵を写している時によくこういう目に遭った。最近では「多田銀山」の一つ
	の間歩(まぶ:採掘坑)を写しているときにこうなって、もしかしたらここが「秀吉の隠し金」の在処ではないか、と思ったもの
	だが、ここはただの住吉社だし、どうも理由がわからない。





出会いの森・小道







	上右は、かってココを走っていた「別府鉄道」の軌道の跡である。土山駅から加古川の別府港までSLが走っていた。昭和59年
	に廃線となったあと、軌道跡は加古川市と播磨町に譲渡され、播磨町では「出会いの道」と名付けた自転車・歩道専用道路として
	整備した。




	出会いの道沿いに「出会いの森」(野添北公園)と名付けた公園がある。広場を森林が取り囲み、廻りは芝生が植えられ、隅には
	滝も流れている。家族連れがボール投げや散策を楽しむ中、滝のほとりに陣取って昼食をとった。すぐ側に円満寺の五重塔(鉄筋)
	が見えている。







円満寺




円満寺の五重の塔を背景に、池を挟んで右左に分かれたみなさん。



河内さんと乾さん。お二人とは、歴史倶楽部が出来る前のトレッキングクラブからのつきあいだからもう15年にはなるなぁ。




	<圓満寺>(えんまんじ)

	高野山真言宗。天長三年(826)に創建されたと伝わる、兵庫県でも古寺の一つである。
	寺伝によれば、天長年間(約1200年前…平安時代初期)、弘法大師空海が修行のため全国を行脚のみぎり、播磨の国阿閇の里の路
	傍に奇瑞を感じ、その地を錫杖でトンと突いたところ光明遍照と光り輝く岩が出現し、この地を信仰の拠点と定めたと言う。後に
	この里に播磨の元・中本山光明遍照山無量寿院が建立された。巌光山円満寺は無量寿院の元塔頭寺院で弘法大師の開基である。

	現在の寺域は綺麗に整備され、平成5年には鉄筋の「播磨五重の塔」(円満寺舎利宝塔)が完成し、各階に本尊を祀り、納骨永代
	供養を行っている。また境内には不動明王・修行大師をはじめ、茶之寿観音・夢現一願観音・十一面観音・水子地蔵他を祀り、周
	囲には四国八十八ヶ所霊場が奉安されている。日本庭園と霊苑の周囲には牡丹他四季の草花が咲き乱れ、参拝者の憩いの場所とな
	っている。




















	この寺には、播磨町指定文化財の「釈迦十六善神像」の仏画がある。縦125.5cm、よこ70.1cmの着色絹本。中央に釈迦
	如来像、左右に文殊菩薩と維摩居士、次に十六善神を左右に八体づつ配し、最前列にインドから経典を持ち帰ったという玄奘三蔵と、
	三蔵法師が苦難の時命を救ったという大将が描かれている。作風は宋画の影響を受けたもので、近年に補修を受けた跡も少なく、彩
	色も含めて良く保存されているそうであるが、行ってすぐ見せてもらえるわけではないそうなので、本日の見学は割愛した。













山ノ上遺跡







	大中遺跡の西に道路を隔てて松林があり、そこに住吉神社が鎮座している。ここは現在加古川市に属しているが、地形的には大中
	遺跡がある台地の一部である。この台地の西に広がる池の中に、「山之上遺跡」(やまのうえいせき)が発見された。
	この遺跡は、弥生・縄文時代のはるか前、今から約2万年前の旧石器時代の石器が大量に発見された事で有名になった。発見者は
	大中遺跡を発見した3人の中学生の一人、朝原重利(あさはらしげとし)氏である。




	大中遺跡の発見後、各地から調査隊がここへ調査に訪れていた。昭和38年(1963)、大中遺跡を調査していた明治大学の学生が、
	朝原重利氏が隣の潰目池(つぶれめいけ)で採集してきた土砂の中のサヌカイト片の中に、旧石器が混ざっているのを発見した。
	当時関東地方では、群馬県の岩宿遺跡の発見でちょっとした旧石器ブームとなっていたし、中でも明治大学は岩宿遺跡の発見者、
	相澤忠洋氏と芹沢長介氏の縁で、旧石器については関東地方の雄だった。この学生も旧石器に関する知識を十分に持っていたので
	ある。以後、この山之上遺跡発見が関西地方、特に播磨地方における旧石器研究、新たな遺跡発見の契機となった。




	遺跡は洪積世台地の最南端、加古川市平岡町山之上にあり、海抜13m、現在は農業用溜め池兼水上ゴルフ練習場になっている。
	石器はこの潰目池の堤防改修工事、池底部の掘り下げ工事などの際に採集されたものである。サヌカイト・チャートを素材とした
	ナイフ形石器、刃器(じんき)、彫器(ちょうき)、掻器(そうき)、有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)、石核(せっかく)、
	等が採取され、それらはすぐ側の「播磨町歴史資料館」に展示されている。山之上遺跡は石器の種類とその豊富さにおいて、播磨
	地方を代表する旧石器遺跡である。











兵庫県立考古博物館の展望台から見た瀬戸内海方面。展望台の下には蓮池がある。



考古博物館展望台から見た大中遺跡

上から下へ、左から見た大中遺跡の光景。







博物館の屋根の上にも芝生が張ってあり、散策路になっている。下は本日参加のメンバ−。



みなさん、お疲れ様でした。また来月も宜しく。反省会は大阪梅田は桜橋の居酒屋で決行した。



			<参考資料	<兵庫県の遺跡・遺物数の全国的な位置>
			====================================
			1 遺跡所在件数( 平成5年3月文化庁調べ)1位兵庫県25,406 カ所
								 2位千葉県25,131 カ所
								 3位福岡県16,968 カ所
								 4位静岡県14,149 カ所
								 5位鳥取県13,192 カ所
								 全国370,840 カ所

			2 古墳所在基数(平成13年3月末)	 1位兵庫県16,577 基
								 2位千葉県13,112 基
								 3位鳥取県13,094 基
								 4位福岡県11,311 基
								 5位京都府11,310 基
							 	 全国161,560 基

			3 出土遺物量累計(平成13年3月末)	 1位大阪府870,762 箱
								 2位福岡県493,356 箱
								 3位千葉県331,998 箱
								 4位京都府273,846 箱
								 5位兵庫県231,631 箱
								 全国6,296,680 箱

			4 銅鐸出土数				 1位兵庫県56 点
								 2位島根県54 点
								 3位徳島県42 点
								 4位滋賀県41 点
						 		 5位和歌山県41 点
						 		 全国約500点

			5 三角縁神獣鏡出土数			 1位奈良県75 面
								 2位京都府55 面
								 3位兵庫県45 面
								 4位福岡県27 面
								 5位岡山県18 面
								 全国約400面
			====================================


	今回の例会HPにおける解説の大部分は、冒頭に掲げた「歩いてみよう播磨町の歴史」(「歩いてみよう播磨町の歴史」を編集する
	会:編 播磨町郷土資料館発行 800円)を参照・転載した。事前に資料館に電話して千円送り、例会前に自宅へ送付して貰った。
	おかげで予習が出来たし、まよわず遺跡巡りが出来た。(もっとも最初につまずいたのではあるが。)
	播磨町郷土資料館に感謝します。


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