例会案内 <日時>: 2007年3月21日(水曜日・休日・春分の日) <集合>: 近鉄「阿部野橋駅」(天王寺)改札前AM9:40集合 <交通>: 適時、定刻までに「阿部野橋駅」へおいでください。 <持参するもの>: 弁当、水筒・雨具・カメラ・その他 <行程>: @近鉄「阿部野橋駅」(9:50発)−(南大阪線急行・吉野行)−古市(10:07着)(10:08発) − (近鉄長野線準急・河内長野行) − 喜志(10:12着) A喜志(10:20発)−(金剛バス阪南ネオポリス行)−近つ飛鳥風土記の丘(10:40着) B講演会申し込み、および近辺散策/博物館見学 -------------------------------------------------------------------------------- この会場の案内は前近代的です。講演会はずーっと並んでおかないと座れないおそれがあります。 もしまだ改善されていない場合は、並んで交替で博物館を見学しましょう。整理券等の発行で、 ならばなくてもいい場合は、申し込み後、近辺の「一須賀古墳群」を幾つか見学する予定です。 なお、上記案内の「3月31日(土曜日)救いの考古学:講演会」は有志で行こうと思って います。参加される方は井上までmailください。 --------------------------------------------------------------------------------
ここで「ただいまから講演会の整理券をお配りします。」とアナウンスがあったので、早速見学を中断して整理券をもらいに 行く。早く来た若い早い番号を入手できた。これなら前の方の席に座れそうだ。今回は、今までの講演会でコリたのだろう、 やっと整理券を配る事にしたようだ。
ほとんど数メートル間隔で古墳が造営されている。まるで古墳の団地である。総数250基を越えると言うからものすごい数 だ。南河内最大の古墳時代後期群集墳である。わが国を代表する群集墳のひとつである。 径15m前後の円墳内に横穴式石室を中心とする古墳が多い。1966年(昭和41年)、上野勝巳がその分布を紹介。古墳 群は6世紀前葉から7世紀中頃に、基本的には丘陵先端から上方に向かって形成されている。石室は羨道が短く、玄室平面プ ランは正方形気味で推移し、石室内は2〜3体を埋葬するケースが最も多い。 遺物では金銀製品、ミニチュアの炊飯具が特徴的。1968年(昭和43年)に弥生時代の集落跡や須恵器窯跡とともに古墳 も調査された。その後、大阪府が古墳群の公有化、整備調査を行い、1986年(昭和61年)大阪府立近つ飛鳥風土記の丘 として公開している。国指定史跡。
上右は、はじめて例会に参加した東京の「コマツさん」。新宿生まれの「都会育ち」なので、古墳巡りなどは相当しんどかっ たようだ。「体育会系の井上さんにシゴカれた」、などと後で掲示板に書いていた。
博物館に隣接する「大阪府立近つ飛鳥風土記の丘」では、総数250基を越える古墳のうち約100基を整理・保存している。 平成12年度から、一須賀古墳群の古墳をA・B・C・・などの支群にわけ、その支群ごとに紹介説明板がある。著名な古墳 としては、一須賀古墳群中、現存最大級の横穴式石室をもつD4号墳や、石組み排水溝をもつK11号墳・L3号墳などがあ る。またD4号墳から出土した3点の金銅製釵子(さいし:かんざし)やE1号墳・L4号墳から出土したミニチュア炊飯具 形土器は、大陸・朝鮮半島との関係を色濃く映し出すもので、博物館所に展示されている。
この古墳群は、副葬品に舶載品と考えられる金銅製の沓や垂飾付耳飾、ミニチュアの炊飯具などがみられることと、北側に位 置する7世紀の王陵群である磯長谷古墳群との強い結び付きが想定されることから、朝鮮半島からもたらされた新しい技術力 を背景に有力氏族が掌握した渡来系氏族の集団墓と考えられる。
この古墳群の中に須恵器を焼いた窯跡もあった。ここから泉北ニュータウンの一帯は、古代の須恵器を焼いた釜跡が多数残る 陶器村だったことが解っており、このあたりにも渡来人が須恵器を焼くために住んでいたのだ。そしてその技法は地元の人々 にも伝承されていった。
「最初の倭国王」という演題なので、一体どんな話をするのだろうと思っていたが、結論から言えば弥生時代中期(2世紀頃) の邪馬台国時代が「倭国」の始まりで、卑弥呼が「最初の倭国王」と言うのがその結論のようだった。はっきりそうは結論づ けていなかったが、講演の終了時に副館長が白石氏へそれを確認したらニヤリと不敵に笑っていた。話の内容は私はだいたい 想像がついたが、はじめて聴く錦織さんなどは白石氏の話に感激したようで、「邪馬台国は畿内やね、やっぱり」などとホザ いていた。
会場外のビデオの画像が写らないとかで開演が遅れた。結局直らなかったようで、外の聴衆は音声のみで聴いていた。それを お詫びしている司会者の女性職員(上左)と、残念そうな白石館長。
講演は、もと奈良大学長だった水野氏などと違って、自説ではなく公表された事実に基づいて資料を淡々と説明していた。 結局、最初の倭国王が誰かとは言明しなかったが、前述したように「それは卑弥呼です。」というのがどうやら結論のようだ。 彼としては「そして邪馬台国は近畿にあったのです。」とホントは言いたかったのだろうと思う。 あと閉館まで、講演会で中断した博物館見学を続行することにした。
でも我々の例会では、今日の歩きは歩いた内には入らないと思う。なのですよ、コマツさん。先輩方は元気で歩いています から、もっと身体を鍛えておきましょう(笑)。 というわけで皆様お疲れ様でした。次回は連休初日の4月29日です。また宜しくお願いします。