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田辺天神山遺跡
2010.3.28
歴史倶楽部 第152回例会
田辺天神山(たなべてんじんやま)遺跡 同志社大学構内
木津川流域を一望できる丘陵頂部に営まれた、弥生時代後期(西暦2世紀頃)の集落跡。周囲の平野部からの比高差は約40mの地点に
位置している。発掘調査では、約20棟の竪穴住居跡が、広場を取り囲むように検出された。住居跡は中央に炉をもち、4〜8本の柱に
より建てられ、平面形は円形あるいは方形であった。遺構が形成された順序を検討すると、円形から方形へと変化したことがわかる。
広場には、高床倉庫をはじめとした共同施設が作られていたと考えられる。
出土遺物には、土器をはじめ鍬先状鉄器・刀子・やりがんな・鉄鏃などの鉄器、石斧・石鏃などの石器が出土している。さらに、類例の
少ない半球形青銅器が出しているが、この内面には紐などが通せる形状の装着部があり、何かにとりつけられて用いられたと考えられる。
天神山遺跡のように平野から距離を置いた高所に位置する遺跡は、高地性集落と呼ばれ、逃げ城・砦のような機能も想定されている。
中国の史書『三国志』の魏志倭人伝に、「倭国乱れ相攻伐すること歴年」と記された動乱を示す遺跡のひとつかもしれない。
<同志社大学歴史資料館HPより>
時代 弥生
所在地 京都府京田辺市高木/三山木天神山
遺構概要 集落。弥生後期-竪穴住居+掘立柱建物+貯蔵穴。標高82m、同志社校地内緑地保存。<立地>丘陵頂。
遺物概要 弥生後期-弥生土器+石鏃+石斧+砥石+鉄鏃+刀子+鉄鍬鋤先+異形青銅器。
発掘概要 1966年・1968年発掘。
その他概要 <全国遺跡地図番号>20-55。『日本考古学年報』19(1973)。森浩一ほか(『同志社田辺校地田辺天神山弥生遺跡』、
1976)。西川英弘・鷹野一太郎ほか「田辺町遺跡分布調査概報」(『田辺町埋蔵文化財調査報告書』3、1982)
出土遺物には舶載とみられる裏に装着装置のある半球形青銅製品(類例は佐賀県布施ケ里遺跡・西山田二本松A遺跡、熊本県神水遺跡
より出土)のほか、鍬先形鉄器をはじめ、刀子・やりがんな・鏃などの鉄器、斧・鏃・収穫具などの石器が弥生式土器とともに出土し、
利器としては石器が減少傾向にある。
弥生時代以降の集落は低地に立地することが多いのに対し、天神山遺跡は丘陵上に立地する高地性遺跡(集落)で、「魏志」倭人伝に
みる「倭国乱れ相攻伐すること歴年」という動乱と関係する遺跡とみられている。
木津川流域に展開する南山城の平地を一望できる、40mの丘陵端部の平坦地に、弥生時代後期の集落が営まれた。集落跡は20戸の
竪穴住居が、広場を取り囲むように位置している。
今夜の反省会は。遷都1300年祭を控えた奈良市内で。下はJR西日本の奈良キャンペーン・ポスター
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