<徳島市立考古資料館 Tokushima Archaeological Museum> 徳島市国府町西矢野字奥谷10番地の1 088-637-2526 -------------------------------------------------------------------- 徳島市立考古資料館は、徳島県徳島市が管理運営する、徳島市内で発掘された縄文時代から平安時代にかけての考古資料館である。 徳島市国府町の気延山にある阿波史跡公園内に位置し、阿波史跡公園の中核施設である。管理・運営は、指定管理者である社団法人 徳島市シルバー人材センターが行っている。平成元年に宮谷古墳で出土した古墳時代前期の青銅鏡「三角縁張是作六神四獣鏡」をは じめ、徳島市内で出土した銅鏡や土器など約700点を展示。 ■ 所在地 〒779-3127 徳島県徳島市国府町西矢野字奥谷10番地の1 電話:088−637−2526 FAX:088−642−6916 ■ 開館時間 午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分まで ) ■ 休館日 毎週月曜日(祝日の場合は開館 )祝日の翌日(日曜・祝日の場合は開館 )年末年始 12月28日〜1月4日 ■ 観覧料 無料 ■ 交通 JR徳島線府中駅タクシー10分/徳島バス鴨島方面行き鳥坂北下車徒歩15分 ■ 設備等 図書閲覧室 考古学関係の書籍を、一般の方の閲覧に供しております。 研修室 117 m2、収容人員80人 1時間につき使用料 300円(全日使用は、2,100円) ■ 問い合せ 〒779−3127 徳島市国府町西矢野字奥谷10番地の1 tel (088)637−2526 この資料館のある一帯は、第15番札所国分寺のほど近くで、縄文、弥生、古墳、天平と時代を経ても人々が住み着き、海辺や河畔 のある丘陵地で、山海の食物を容易に得られたものと推測できる。こういう場所に、古くから人々が住み、文化が芽生えていったの だろう。天平時代(8世紀ころ)には国分寺が建てられ、広大な敷地に伽藍を備えた壮大な寺が存在していたのである。
上の写真は、遺跡の発掘や出土品から想像した縄文時代の暮らしの様子。現在の徳島市内にある「城山」周辺とのことだった。 洞窟などからは、狩猟道具や動物・魚の骨や貝殻などが見つかっていて、つまり、徳島市中心部はかつて海の中で太古の海岸線は もっと西の山沿いだったという。
わざわざ館長さんが挨拶に見えて、その後学芸員の方から親切に説明していただいた。この博物館の展示はコンパクトながら非常 にわかりやすく、展示室もまた綺麗である。解説・説明パネルもなかなか要領よくまとめてあって感心した。館長、学芸員を初め として、館全体の意気込みのようなものが感じられる、非常にいい博物館である。後でHPを見たら、以下のような解説があった。 なるほど。 徳島市立考古資料館では、「見て・触れて・作って・古代ロマンあふれる館」として、市民が自由に学び、体験することにより、 考古資料を通して、徳島市の歴史や文化に関する知識を理解を深め、新たな市民文化の創造と郷土への誇りと愛着をたかめるとと もに、貴重な文化財を次代に継承していくことをめざしています。 「徳島市の歴史像」が理解しやすいように縄文時代・弥生時代・古墳時代・奈良・平安時代の考古資料約700点(一部複製)を できる限り復元的に展示しています。約3,000年前から800年前にタイムスリップして、「古代からのメッセージ」や「古 代ロマン」にふれてみてください。
<矢野遺跡> --------------------------------------------------------------------- 矢野遺跡(やのいせき)は、徳島県徳島市国府町にある遺跡である。縄文時代から中世にかけての、非常に大きな遺跡で、 特に弥生時代は徳島県内の中心的な役割を果たした集落であった。遺跡内では、竪穴式住居群跡が見つかっており、弥生 時代の中ごろから終わりごろにかけての竪穴式住居跡が100軒ちかく検出されている。集落内で銅鐸埋納坑が検出された。 これは全国的にも類例が少ない。また銅鉾埋納坑に柱穴や建物跡が伴う例は、矢野遺跡と島根県の荒神谷遺跡のみ。
3世紀末のものと考えられ、徳島県内で最古の前方後円墳といわれる宮谷古墳から出土した「三角縁銘帯六神四獣鏡」。 ここでは卑弥呼の鏡との説がある。これはレプリカである。