Music: アルビノーニのアダージョ
国東半島の遺跡 両子寺 2009.5.16 大分県国東市安岐町両子





	両子寺	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	両子寺(ふたごじ) 
	所在地	:	大分県国東市 
	山号	:	足曳山 
	宗旨	:	天台宗
	交通	:	電車・バス: 	JR九州日豊本線杵築駅下車後、 
					大分交通国東・安岐行きバスで安岐停留所下車(約20分) 
					大分交通両子寺行きバスに乗り換え終点下車(約40分) 
			自動車: 	大分空港道路安岐インターチェンジより約30分 

	両子寺(ふたごじ)は、大分県国東市安岐町の両子山中腹にある天台宗の寺院。山号を足曳山と称する。
	養老2年(718年)に仁聞(にんもん)菩薩によって開創されたと伝えられる六郷満山の中山本寺で、修行の中心地として栄えた。
	江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、六郷満山の総持院として満山を統括する立場にあった。山門に続く石段の両脇には、
	江戸後期の作とされる国東半島最大級(総高245cm、像高230cm)の石造の仁王像が立っている。境内は瀬戸内海国立公園内に位
	置し、その森は森林浴の森100選にも選定されている。紅葉の吊所、子授けの寺としても有吊である。
	滝沢馬琴の読本に、この寺に題を採った『両子寺畧縁起 豊後州国埼郡』がある。1966年3月22日に大分県の史跡に指定されてい
	る。九州西国霊場第六番・国東六郷満山霊場第十三番。






	≪国東六郷満山の概略・・・国東天台寺院の総称≫

	国東半島のほぼ中央に聳える両子山(721m)から放射状にくにさきの谷々は海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷
	と称し、この地に開かれた天台宗寺院全体を総称しして六郷満山と呼び、奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡〈全国八幡の総
	本社〉の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含
	めて約八百の大小の堂、また、石仏・石塔が、点在し、ほとけの里といわれる六郷満山仏教文化圏が開かれてきました。

	爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造
	物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。そしてほとんどの寺
	院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、AD718年開創以来やがて1300年の節目を迎えんとしています。

	≪両子寺の御案内≫

	両子山の中腹に両子寺があります。六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満
	山の総持院として全山を統括してきました。しかしながら時代の趨勢、明治初頭の神仏分離、第二次世界大戦等の法難、自然災
	害・人為災難等の遭遇により次第に堂宇は往時の姿を薄れてかけて来ましたが、歴代住職の懸命な精進と檀信徒の護持によりわ
	ずかながらも、面目を保ちつつ今日に至っています。
	境内は瀬戸内海の国立公園、大分県史跡に編入され、全国森林浴の森百選の指定地として自然に恵まれ、四季を通じ殊に、新緑、
	紅葉のもみじには遠近を問わず、大勢の参拝客で賑わいます。
	信仰として、特に子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全等各種祈願や幼没水子・先祖供養等の供養が一般、
	檀信徒を問わず広く門戸を開放し厳修されています。どうぞ、お参拝下さいませ。上詳な点は御遠慮なくお尋ね下さい。
	<両子寺HPより>






	養老2年(718年)に仁聞菩薩が開き六郷満山の総持院として栄えた古刹。国東半島の最高峰、標高721mの両子山の中腹
	にあり、奥の院、総門、仁王像、苔むした石段などが往時をしのばせる。大講堂(AD1990再建)には、豊後の聖人三浦梅
	園をはじめ、檀徒、有縁、無縁者の回向道場として参詣者の香煙絶えることなしと言う。

	両子寺は六郷満山中山本寺の一つで、国東半島のほぼ中央の標高約720mにあります。現在は、両子寺バス停留所から参道を
	進むと、無明橋があります。その手前の東側斜面上に巨石が見られ、その下に観世音菩薩が安置されています。両子寺の境内地
	は縦長を呈しています。まず無明橋を渡ると石造仁王が立ち、さらに石造を登ると山門に至り、そこを過ぎると石垣塀が続きま
	す。山門両側には五輪塔・一石五輪塔・宝塔などがあります。さらに参道を直進すると御成門と呼ばれる石造冠木門に着きます。
	この門の周辺には五輪塔の部材が散在しています。この門は日頃は閉鎖されていますので、横の石段を登って境内に入ります。
	そこには護摩堂・庫裏・書院などの建物や国東塔・五輪塔などの石塔類、石風呂摩堂横を流れる谷川を渡って北の方向へさらに
	進むと、稲荷道・大黒堂があります。この奥の北側に講堂があり、ここには県指定有形文化財の木造阿弥陀如来坐像を本尊とし
	て、木造聖観音菩薩座像。木造勢至菩薩立像の両脇侍が安置されています。最深部の奥ノ院岩屋堂には千手観音像が祀られてい
	ますが、これは奥ノ院が火災に遭ったことを示しています。修正鬼会も執り行われていましたが、現在は廃絶したままです。
	江戸時代、杵築藩の庇護のもと六郷満山の総持院の地位を占めていたことがわかっています。 
	(宇佐・くにさきの歴史と文化財/部分)



◆ 両子寺崖上国東塔。重要文化財。総高約2m。六万九千三百余巻の経文が土中に敷埋められている。



◆ 護摩堂(本尊上動尊をはじめ諸仏を祀る)。ここでお坊さんの説明を聞いた。



◆ 護摩堂から見る両子山。国東半島の最高峰で雄岳、雌岳がある。



◆ 書院・客殿。土産物を売っている。食堂もあった。



◆ 国東半島最大級の石像の仁王像(仁王門)・江戸後期作





運ちゃんに写して貰った携帯カメラでの映像。






	奥の院本殿には、両子大権現(男・女(双子)二天童子)・宇佐八幡、仁聞菩薩、千手観音を祀り、本殿裏の洞穴には上老長寿
	の水が沸いているそうだが、時間もなさそうなので奥の院はパスした。境内一帯は瀬戸内海国立公園に編入され、また、県史蹟
	指定地でもある。辺り一帯は霊気に満ち、いやでも信仰を覚醒させられる。深山幽谷の美は四季を通じ参詣者の目をうばい、や
	すらぎと精気をよみがえらせる。 






石造仁王像






	両子寺からの帰り(だったかな?)、運転手さんが「ちょっと寄って行きましょうか。」と車を止めた。「ここが大分県で一番
	大きい石仏と言われているところです。」「え、でも、両子寺の仁王像は国東一と書いてあったで。」「あっちは国東一で、こ
	っちは大分一です。」「え、なんでや、ここも国東やん?」「ま、そうなんですけどね。」「?」わからん。








	実は両子寺には40年前、18才の時に訪れた事がある。大学に入って私はワンダーフォーゲル部に入った。何回目かの山行が
	久住山の麓で解散したとき、同期の高屋君と二人で「国東半島に寄って帰ろう《とここへ来たのだ。今回再訪して、その時の面
	影が全くないのに驚いた。というより、私の記憶が消え去っていたのかもしれない。仁王像の廻りはあんなに木々は立ちこめて
	いなかったし、山門も荒れ果てた山寺という印象だった。私の記憶はどこか別の所とダブっているのだろうか。

	高屋には大学卒業以来一度も会っていなかったが、4,5年前大阪へ来たと言ってぶらりと連絡してきた。仕事中だったので、
	会社近くの喫茶店であった。聞けばもう孫がいるというし、卒業して生まれ故郷の北九州市で電気屋を営んでいたそうだが、
	「もう隠居した。」と言っていた。「まだ若いのにもう隠居かい。」と聞くと、「ええねん、もう死ぬまで食って行けるしアク
	セク働かん事にしたんや。」という。「うう〜ん。ええのぉ。」


 邪馬台国大研究・ホームページ / 歴史倶楽部ANNEX /国東半島巡り