Music: 青葉茂れる
歴史倶楽部・第176回例会

生野銀山 兵庫県篠山市・朝来市 2012.4.29



	竹田城へ登らなかったので時間が出来て、訪問できるか心配だった生野銀山へ、なんとか寄ることができた。高速から電話して何時
	までなら見学できるかを聞いた。「あ、十分間に合いますよ。どうぞおいで下さい。お待ちしております。」と電話口のオバサンは
	愛想が良かった。公共の施設じゃ無くて民間が運営してると、ホントに電話の対応からして違う。
	私以外の皆さんは初めてだそうで、貴重な文化遺産を見学できて喜んでいた。案内者は、皆さんが喜んでくれると企画した努力が報
	われる。







	<生野町の歴史>
 
	兵庫県朝来市生野町は、総面積112.01平方kmで、生野銀山とともに発展し、平成元年(1989)には町政100周年を迎えている。四方
	を美しい山々に囲まれたこの町は古くは但馬の国と播磨の国の接点として開け、数多くの文化財や古刹が残されている。しかしながら
	生野は、要衝の地にありながら、町の中央を流れる市川の度重なる氾濫や、鉱毒の為に田畑を耕しても育たず民家も少なかったので、
	あまり人の住めるところでは無かった様で、「死野」とも呼ばれていたようである。「播磨国風土記」には、垂仁天皇が「死野」から
	「生野」にするよう言ったと言う話も伝わる。生野に鉱山がなければ人は住まなかっただろうとさえいわれ、鉱山とともに栄えた町な
	のである。(生野町は平成17年4月1日付けで和田山町・山東町・朝来町と合併し、朝来市となった。)

	
	生野銀山・坑道入り口
 






上右のレシートは、下右の小判レプリカの値段、350円。銀山で金小判とはこれいかに。下左は明治期の絵銭でこれは売価60,000円の本物。



なにゆえここに?というお方は掲示板を見て頂くとわかるんですが・・。ま、もらい物です。




	私はここは3度目である。7、8年前家族で香住へカニを食べに来たとき寄った。一面雪だらけだった。そして5,6年前会社の同僚
	と竹田城に登ったとき、あれも5月の連休だったと思うが、またまた訪れて、来る度にいろいろな姿を見せてくれるので、遺跡巡りは
	何度来てもおもしろい。






	大同二年(807年)だよ! 807年。なんちゅう古い鉱山だ。石見銀山は16世紀前半から20世紀前半にかけての操業だし、我々
	が例会で行った兵庫県猪名川町の多田銀山は、奈良時代の大仏建立にここの銅が使われたという伝承はあるものの、最盛期は豊臣秀吉
	により開発された1570年代だ。してみると、ここは日本で一番古い銀山じゃなかろうか。



かって使われていたトロッコ。えらい小さな発動機だったんやねぇ。






	生野銀山はこのフランス人技師、ジャン・フランソワ・コワニエによって近代的な鉱山となった。後ろの紅葉は雪の中でも真っ赤だっ
	たが、どうやら年中赤い紅葉のようである。



観光用に整備された坑道だけが、一般公開されている。この上にも坑道があるが狭い。



上はフラッシュを炊かずに写した写真。私はあまりフラッシュは炊かないが、真っ暗闇では確かにフラッシュは効果的です。





しかし大変な仕事ですなぁ。私は高所恐怖症に加えて閉所恐怖症の気もあるので、この仕事は無理ですわ。







銀の鉱脈は磐の間を流れるように走っていて、その跡をたどって掘ってゆくため、このように深い隙間が幾つも出来る。危険。












	坑道の中に水の流れる滝が造ってあって、その横に神棚がある。作業の平穏無事を祈願したものだろう。私も娘の獣医国家試験の直前
	にここで祈った。私は神社で祈る時はすべて「家内安全、商売繁盛」と祈るのだが、この時は「娘が国家試験にパスしますように」と
	だけ祈ったので無事合格したのだなと思っている。それでよく覚えているのだが。





















坑道内には、アチコチに蝋人形や説明板や設備の復元があって、非常に理解の手助けになる。





















三菱のマークは土佐の山内家家紋から来てたのか!しらんかった。































まるでアリの巣やね。たとえ高給を貰っても、こんな処ではちょっと働きたくないなぁ。





















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