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脇田神社
歴史倶楽部 第177回例会 5月27日









	脇田神社
	
	祭神:菅原道真・天児屋根命・天照皇大神・市杵島姫命。

	生け垣と金網のフェンスで道路と区切られた社地には、狛犬に護られた拝殿、覆い屋内の本殿が建立され、鳥居の傍に、
	径2メートル程もある大きい礎石が1個置かれているが、「地光寺」(飛鳥時代末頃)の東塔の心礎といわれている。
	西塔の心礎もあったそうだが現在は不明。忍海連の氏寺とみられる。境内前に「天満宮」の社号標が立ち地元では脇田天
	満宮と呼れているようだ。
	創建由来。縁起宇などは不詳。現社名は地名を冠した「脇田神社」だが、入口の社号標に「天満宮」とあるように、昔は
	菅原道真公を祀る神社だったのが、明治41年に春日神社と太神宮を合祀したことにより、地名を冠した社名に改称したも
	のと思われる。 




	★ 所在地 :奈良県葛城市脇田220
	★ アクセス:近鉄御所線忍海駅から西南へ徒歩20分



地光寺(じこうじ)東塔の礎石。










	<脇田遺跡>

	脇田遺跡は葛城市脇田集落の西側を、南北に通過する主要地方道御所・香芝線建設に伴って1982年に発掘調査が実施
	された。遺跡の核となる場所は時代によって異なるが、概ね脇田集落西方の丘陵地から扇状地への傾斜変換地域に展開し、
	地光寺東遺跡がある脇田神社付近や、西遺跡も包括する一帯に拡がる。
	遺跡は縄文時代に始まり、弥生、古墳、飛鳥、奈良時代にかけて断続的に営まれ、これまでにおもに弥生時代中期を中心
	とした方形周溝墓、土坑、溝、古墳時代前期から中期の竪穴住居跡などの遺構か検出されている。特に注目できるのは、
	6世紀後半以降の土坑や溝などの遺構のほか、堆積土中からも鉄滓、箱羽ロなど鍛冶関係の遺物や、製塩土器が多数見つ
	かっていることで、かつての地光寺跡の発掘調査でも東西の両遺跡から鉄滓か出土していて、この一帯に鍛冶工房の存在
	か推定され、盛んに鉄器生産が行われていたことを示している。

	県道30号を渡る手前に「地光寺旧跡」の石碑が立っている。遺跡からは屋根瓦などが出土している。石碑から脇田神社
	まではかなり距離があるので、一帯を寺の境内とみるよりも、山麓の上下で寺地の移動があったのであろう。



木立に囲まれて日陰もあったのでここで昼食にする。












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