SOUND:春の海






		高校同窓会の会長羽野さんから電話が来た。
		「井上さん、明日暇かい?」「ううん、特に予定は無いですが、何か?」
		「お伊勢参りに行かない?」「え、お伊勢参りって、伊勢神宮ですか?」「そう」
		「な、なんでまた?」
		「いや実は、クラブツーリズムの日帰りツアーを申しこんでたんだけどね、連れ合いが調子悪くてね。」
		「わ、私でいいんですか?」「井上さんなら歴史好きだし、乗ってくるんじゃないかと思ってね」
		クラブツーリズムは近畿日本ツーリストの別会社で、日帰りや、一二泊の小旅行を専門に扱っている旅行社である。
		私もwifeと何回か利用した事がある。安くて、結構いいホテルに泊まったりするのだが、日帰りは初めてだ。
		会長の奥さんもよく知っているので、気安く了承した。
		「喜んで行かせて貰いますわ、ありがとうございます。」「ほな明日の朝、天王寺集合ね」

		というわけで、時ならぬお「伊勢参り」となってしまった。写真のビルは天王寺公園から見た何とかいうタワー。
		確か日本一の高さを誇る商住混合マンションビルじゃなかったかな。ほぼ完成だね。ここに集合して出発である。	






途中伊賀上野のサービスエリアでトイレタイム。ここには初めて入ったな。







二見ケ浦

二見浦に到着。私は伊勢神宮にはもう十回くらい行ったけれど、ここには三回目くらいだ。車が無いと来れないし。







夫婦岩の方へ歩いてゆく羽野さん(上下)。お伊勢参りはいつ来ても結構観光客が多い。何百年も続く日本人の伝統だね。






		<二見浦>

		二見浦(ふたみがうら)は、三重県伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸。立石崎から神前岬までの海岸
		(神前海岸)もその一部とされることがある。
		伊勢湾に注ぐ五十鈴川の河口に形成された三角州状の地帯で、伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定され、日本の
		渚百選にも選ばれている。
		立石崎の二見興玉神社内にある夫婦岩は全国的に有名である。また、二見浦海水浴場は、初代軍医総監松本順によって
		1881年(明治15年)に開設された日本で最初の公認海水浴場で、大正天皇も幼少時に水泳の訓練をしたと言われる。

		二見浦での風物詩は、夏至の「サンライズ」である。それは江戸時代より二つの岩の間より昇る、「日の出」が観測さ
		れている。その「サンライズ」は富士山の背後より昇る「日の出」である。
		現在では「ダイヤモンド富士」の愛称で呼ばれ、その出現の時刻は4時29分頃になり、約1週間程度観測されると云う。
		そしてこの方角を静岡県に当てはめると、田貫湖畔になり「ダイヤモンド富士」として親しまれている。



ここで写しているのが下の写真です。



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外宮


		伊勢神宮	出典:ウィキペディア(以下青字部分すべて)

		伊勢神宮は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)である。
		他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。
		二十二社(上七社)の一社。日前神宮、國懸神宮とともに神階が授与されたことのない神社の一社。古代においては宇佐
		神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の1つとされた。明治時代から戦前までの近代社格制度においては社
		格の対象外とされた。


		<概要>

		伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を
		祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
		内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいと
		されている。
		広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の
		社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述)。
		皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、当宮は皇室・朝廷の権威との結びつきが強い。










		<祭神>

		主祭神は以下の2柱。

		皇大神宮:内宮(ないくう) 天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる

		豊受大神宮:外宮(げくう) 豊受大御神 (とようけのおおみかみ)


		平たく言えば外宮の「豊受大御神」は内宮の「天照坐皇大御神」の食事係なのだが、どうしてこういう構図を取っている
		のかは、どの歴史学者も解明していない。おそらくは古代になにかそういう故事があったのではないかと想像できるが、
		食事係も神としてあがめられるのは世界神話にもあまり例が無い(らしい)。

 
















豊受大神宮:外宮(げくう) 豊受大御神 (とようけのおおみかみ)





神殿、拝殿の構造は、外宮・内宮ともに同じである。






		<式年遷宮>

		神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。原則として20年ごとに、
		内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿な
		ど計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える。

		記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年( 690年)に第1回が行われた。その後、戦国時
		代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成5年(1993年)の第61回式年遷宮まで、およそ千
		三百年間行われている。平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、同25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が
		予定されている。










		<神宮125社>

		神宮が管理する宮社が125社あり、俗に神宮125社と呼ぶ。内訳は内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42。伊勢市
		だけでなく、度会郡大紀町、玉城町・度会町、志摩市、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布する。

		<正宮>

		正宮(しょうぐう)は以下の2宮。皇大神宮 (内宮) 式内社(大)。豊受大神宮 (外宮) 式内社(大)。


		<別宮>

		別宮(べつぐう)は「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる。計14宮。

		(1).内宮別宮荒祭宮 (あらまつりのみや) 式内社(大)。	鎮座地:内宮境内
		(2).月讀宮 (つきよみのみや) - 式内社 式内社(大)。鎮座地:伊勢市中村町
		(3).月讀荒御魂宮 (つきよみあらみたまのみや) 式内社。鎮座地:月讀宮境内
		(4).伊佐奈岐宮 (いざなぎのみや) 式内社(大)。鎮座地:月讀宮境内
		(5).伊佐奈弥宮 (いざなみのみや) 式内社(大)。鎮座地:月讀宮境内
		(6).瀧原宮 (たきはらのみや) 式内社(大)。鎮座地:度会郡大紀町
		(7).瀧原竝宮 (たきはらならびのみや) 鎮座地:瀧原宮境内
		(8).伊雑宮 (いざわのみや) 式内社論社。鎮座地:志摩市磯部町
		(9).風日祈宮 (かざひのみのみや) 鎮座地:内宮境内
		(10).倭姫宮 (やまとひめのみや) 鎮座地:伊勢市楠部町
		(11).外宮別宮多賀宮 (たかのみや) 式内社(大)。鎮座地:外宮境内
		(12).土宮 (つちのみや) 鎮座地:外宮境内
		(13).月夜見宮 (つきよみのみや) 鎮座地:伊勢市宮後
		(14).風宮 (かぜのみや) 鎮座地:外宮境内

 
		<摂社>

		摂社(せっしゃ)は、『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、
		戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、
		式内社の比定地とされる場合がある。計43社。

		内宮摂社 - 計27社。「皇大神宮#内宮摂社」を参照
		外宮摂社 - 計16社。「豊受大神宮#外宮摂社」を参照


		<末社>

		末社(まっしゃ)は、『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)。計24社。

		内宮末社 - 計16社。「皇大神宮#内宮末社」を参照
		外宮末社 - 計8社。「豊受大神宮#外宮末社」を参照


		<所管社>

		所管社(しょかんしゃ)は、正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。計42社。

		内宮所管社 - 計30社。「皇大神宮#内宮所管社」を参照
		外宮所管社 - 計4社。「豊受大神宮#外宮所管社」を参照
		別宮所管社 - 計8社 瀧原宮所管社 若宮神社 (わかみや-)
		長由介神社 (ながゆけ-)
		川島神社 (かわしま-)

		伊雑宮所管社 佐美長神社 (さみなが-) - 式内社
		佐美長御前神社 (さみながみまえ-) 4座



		<神宮宮域林>

		神宮が所有している森林を、「神宮宮域林」という。宮域林は三重県伊勢市の南部に位置し、五十鈴川の水源である神路山、
		島路山、高倉山の3山からなる。第一回遷宮以来御杣山として遷宮に用いられるヒノキ御用材を産出していたが、鎌倉中期以
		降資源不足が原因で御杣山は宮域林を離れた。現在では木曽国有林から産出される材で御用材を賄っている。宮域林では、
		再び御用材を自給することを目標に大正12年に「神宮森林経営計画」を策定し、それに従って造林・育成がなされている。
		生態的機能・水源涵養を主眼とした針広混交林施業を行っている。


		<参道>

		伊勢街道・伊勢本街道・参宮街道を初めとして、多方面から、参拝道をかねる街道が整備された。







外宮には実に多くの別宮がある。おそらくは「八百万の神々」と関係があるのだろうと思われる。

















クリックでドデカい写真になります。



羽野さん(上)と老いたる小林旭(下)。どこがやねん!







内宮


		伊勢神宮	出典:ウィキペディア

		<歴史>

		天孫・邇邇芸命が降臨し、天照大御神は三種の神器を授けられ、その一つ八咫鏡に、「吾が児、此の 宝鏡を視まさむこと、
		当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀)」として、天照大御神のご神霊がこめられる。この鏡は神武天皇に伝えられ、
		以後、代々の天皇のお側に置かれ、天皇自らが観察されていた。八咫鏡は、第10代崇神天皇の御代に、大和笠縫邑に移され、
		皇女豊鍬入姫に祀らせた。

		『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、
		東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅
		をしたと記されているのが、内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁
		天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。

		なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)によれば、雄略天皇22年7月に丹波国
		(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。


		・古代

		皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)。天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれ
		ば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。

		・中世

		朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された。神仏習合の教説におい
		て神道側の最高神とされる。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。戦乱により神宮領が侵略さ
		れ、経済的基盤を失ったため、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の
		講を組織させる御師が台頭した。

		・近世

		お蔭参り(お伊勢参り)が流行した。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中
		膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した。

		・近代

		明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝した。この長期の空白の理由については諸説がとなえられているが、決定的な
		ものはない。大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社
		本庁発足により、全国神社の本宗とされた。内宮前に「神宮司庁」がある。
		佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣と農林水産大臣が、(正月三が日の混雑を防ぐため)
		主に1月4日の仕事始めに参拝するのが慣例である。







五十鈴川





皇大神宮:内宮(ないくう) 天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ)
  −上下のオジサン達ではありません。







		これなどは、弥生時代の高床式建物と全く同型である。神々が弥生時代に生まれたのを証明する事例だと思うし、天皇が
		農業を基盤とした生活様式から発生した長(おさ)である証拠でもあると思う。











伊勢神宮には、老若男女、じつに多くの観光客が来る。まるで遺伝子に組み込まれてでもいるかのように。







		<祭事>

		・年間祭事

		月次祭(つきなみさい) 内宮6月16日22時、6月17日2時
		外宮6月15日22時、6月16日2時
		内宮12月16日22時、12月17日2時
		外宮12月15日22時、12月16日2時
		神嘗祭と共に三節祭と呼ばれ、最も重要な祭事の1つとされ、外宮内宮両正宮に続き、別宮、摂社、末社、所管社で25日まで
		行われる。
		風日祈祭(かざひのみさい) 5月14日内宮9時、外宮5時 8月4日内宮9時、外宮5時
		御酒殿祭 6月1日内宮御酒殿10時 10月1日内宮御酒殿10時 12月1日内宮御酒殿10時
		神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい) 5月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各9時 10月1日神服織機殿神
		社、神麻続機殿神社、各8時
		神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい) 5月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
		10月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
		神御衣祭(かんみそさい) 5月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後) 10月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後)
		和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)の神御衣を奉る。
		大祓(おおはらえ) 6月30日:夏越(なごし)大祓 12月31日:年越(としこし)大祓 その他大祭の前月末日



		<重要文化財(国指定)>

		紙本著色伊勢新名所絵歌合
		神宮古神宝類
		太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)
		太刀 銘次家
		太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)
		刀 折返銘有国
		毛抜形太刀
		古事記上巻
		古事記裏書
		古文尚書
		神宮法楽和歌 霊元天皇以下歴代天皇宸翰
		日本書紀私記
		日本書紀私見聞(春瑜自筆本)
		日本書紀私見聞(道祥自筆本)
		皇太神宮儀式帳残巻・等由気太神宮儀式帳
		度会氏系図(元徳元年十一月注進本)
		神鳳鈔
		氏経卿神事記
		氏経卿引付
		金銅透彫金具
		据台付子持はそう(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)
		角屋家貿易関係資料
		渋川春海天文関係資料
		神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿) - 所在:伊勢市宇治浦田

		<国登録有形文化財>

		神宮徴古館
		神宮農業館

		<国選択無形民俗文化財>

		伊勢の「お木曳き」行事
		「お白石持ち」行事

		<史跡(国指定)>

		旧林崎文庫

		その他[以下略]




		参拝の後は「おかげ横町」にて食べ歩き。といっても失礼ながら伊勢名物で食えるのは「赤福」ぐらいじゃなかろ
		うか。「何とかうどん」や、「ひまつぶし」じゃない「ひつまぶし」などは、私にはどうしても旨いとは思えない
		のだが。






		おもいがけないお伊勢参りで楽しかった。「食べりゃんせ」というのは伊勢の名物を1個づつくれるというもので、
		ま、バスツアーとしてはこんなもんだろうという例の代物です。しかしま、安い値段で伊勢神宮まで来れた(私は
		一銭も出してないが)ので、便利なツアーなのは間違いない。「旅行会社の利益は薄利多売」というのは産業界の
		常識なので多くを望むのは無理だとしても、コースによっては非常にお得なものもあるので、是非一度探して参加
		してみるのをお勧めします。コースによっては非常に面白いです。ホントに凄いお値打ちのツアーにぶつかったら、
		旅行業界の利益構造にマジで疑問を持ちます。

		伊勢神宮は現天皇家の祖先である天照大御神を祀るが、天照大御神が誰なのか(私は卑弥呼だと思っているが)、
		天皇家の始原や日本の国の成り立ちを考える際にも、伊勢神宮はこれを抜きにしては考えられないほど大きな存在
		である。また、江戸時代の物見遊山は別としても、多くの日本人が今なお徒党を組んで「お伊勢参り」をする事の
		意味は奈辺にあるのか、実に多くのことを考えさせる存在でもある。稲作と三種の神器を奉って日本と日本人の心
		に多大な影響力を持っている「天皇」という機関の存在についても、伊勢神宮は実に多くのことを示唆している。
		歴史に興味のある人は、ここを抜きにしては語れないのである。

		羽野さん、奥様、ありがとうございました。また、ちょくちょくお願いします。

































邪馬台国大研究 / 歴史倶楽部ANNEX /伊勢神宮ご参拝