Music: エーデルワイス

歴史倶楽部 第182回例会

ミホ・ミュージアム 2012年12月1日(土) 滋賀県甲賀市





				<追加情報>

				[大阪組]
				(1).
				JR東海道本線快速・米原行 大阪 08:24〜09:21 石山 14駅 運賃 950円
				(2).遅れたら
				JR東海道本線快速・野洲行 大阪 08:39〜09:37 石山 14駅 運賃 950円

				[奈良組]
				(1).
				JR関西本線快速 奈良 07:56〜08:45 京都 9駅 
				JR東海道本線快速・野洲行 京都 08:52〜09:06 石山 4駅 運賃 950円
				(2).遅れたら
				JRみやこ路快速 奈良 08:28〜09:14 京都 7駅 
				JR東海道本線快速・野洲行 京都  09:22〜09:37 石山 4駅 運賃 950円
   
				JR京都駅より琵琶湖線長浜、米原方面行き乗車 所要時間 約13分 
				JR石山駅南口より MIHO MUSEUM行きバス時刻表 約50分

				MIHO MUSEUM 行き 路線バス時刻表
				JR石山駅発着 帝産バス 所要時間約50分、片道 大人\800 小人\400

				土日・祭日
				石山駅発 美術館着   美術館発 石山駅着
				9:10     10:00      11:00    11:50
				9:50     10:40      12:00    12:50
				10:10    11:00      13:00    13:50
				11:10    12:00      14:00    14:50
				12:10    13:00      15:00    15:50
				13:10    14:00      16:07    16:57
				14:10    15:00      17:14    18:04
				ミュージアム料金 1,000円。


	上の案内ではまだ国宝3点となっている。この特別展が企画され、パンフレットが刷られたときには、山形県の土偶はまだ国宝にな
	っていなかったのだ。それが国宝になって、しかもここへ来るという。何という。
	縄文時代の土偶国宝はこの4つである。それが全部ここへ来るのだ。これを見ない手は無い。ということで、10月の例会に考えた
	のだが、4つめの国宝が来るのが11月の末になるそうで、K学芸部長に電話すると「どうせ来るなら11月末か12月はじめがい
	いですよ、全部揃いますからね。」との事だった。しかも「日曜は団体客が多いですから避けた方がいいですね。平日のAMが一番
	いいんですが。」と教えてくれたので、12/1の朝早くから行こうという事になった。








新会員上村さん(右端:デカい!)も加えて本日のフルメンバー。座ろうと一番前に陣取る。






	瀬田の大橋を過ぎてゆく。路線バスなので社内は立ち客も多かったが、バスはやがて営業所に寄ると立っている客を別のバスに移し替
	えて全員座らせた。なかなかの配慮であるが、しかしあいかわらず運転は荒かった。カーブでも狭い道でもビュンビュン飛ばす。オバ
	ハンの誰かが、「怖いねぇ、このバス」と言っていたが、私も近畿圏のバス会社の中でここが一番運転が荒いと思う。営業車両では、
	運転が荒い、イコール下手である。次に下手なのは南海バスかな。一番巧いのは京阪宇治バスと阪急バスやね。これは考えて見ると、
	不思議なことに会社の営業成績と比例している。しかし別段不思議では無いのかもしれない。なるべくしてそうなっているのかも。








	実は、私はここには博物館が建つ前から通っている。というのは、もう30年近く前、私がまだIT会社の営業課長だったとき、ここに
	internetの回線を引いて貰った(買って貰った)のである。当時はまだIPが始まったばかりで、internet回線も高く、殆どのお客さん
	が64K(KですぜK、M(メガ)じゃないよ。)か128KのSPEEDだった時に、何と500Kの回線を注文してくれたのだ。ところがこの山の中、
	京都からも草津からもNTTは回線を引いてくれず、回りまわって信楽から引いてくれたときにはホントにありがたかった。そんな訳で、
	まだトンネルが掘れて、やっと吊り橋が出来た頃から通って打ち合わせをした。エントランスの廻りにはまだ工事現場の飯場が建ち並
	び、ダンプカーがビュンビュン通っていた。ま、思い入れがあるのも事実だが、私の大好きな美術館の一つである。

	窓口だった情報課の課長は東京へ行ってしまったが、その時学芸部の窓口だったKさんが、今は学芸部長になっており、訪問の度に時
	間があればお目に掛かっている。今回も挨拶をさせて貰ったら、特別展の図録をくれた。結構高く、悩んで断念した後だったので嬉し
	かった。今まで、歴史倶楽部の例会としても一度訪問したし、個人的にも何度か訪れて、その模様は以下にある。





	上右の図で、美術館の右手に建物がある。あそこが事務室で学芸部もそこにあり、前に職員・来客用の駐車場がある。そこから右手の
	山の中へもう一本道路が延びている。その道路も山肌をぬって公道へ出てくるが、まるで高速道路のような道が山の中を走っている。
	しかも、完璧に職員・業者用に新しく作った道なのである。驚くほかない。














	土偶とは、人間や動物、あるいは古代人が考えた人知を越えた存在(精霊)を表現して作られた土の人形である。旧石器時代から日本
	では弥生時代、時には古墳時代の人形もあるが、一般的には土偶と言えば、縄文時代に作られた土製品の事を言う場合が多い。
	日本以外でも、こうした土製品は新石器時代の農耕社会において、乳房や臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は、農作物の豊
	饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多い。日本では沖縄を除くほぼ全国から出土するが、世界史的には、狩猟・採集
	段階の時代のものとしての類例はあまり多く無く、日本の縄文時代の出土数は群を抜いている。世界的にも「DOGU」と言う言葉は日本
	の土偶を指し、海外にも土偶研究者がいる。
	縄文式土器と同様、土偶も出土地域や時期によって様々な様式のものがあるが、同時に地域を隔てて多くの共通した製作方法や形式を
	持っていることも指摘されている。これは、土偶文化とも言うべき生活習慣が、広い地域にわたって伝播していった事を示し、縄文人
	の拡散の経路を辿る資料にもなり得る。

	特別展会場は「写真撮影禁止」だったので、いままでに私が写したもの、或いは図録から一部SCANしたものを掲示する。


















	現存する日本最古の土偶は、三重県で出土した縄文草創期のものである。私も見学に行ったが、三重県松阪市飯南町粥見井尻(かゆみ
	いじり)遺跡で見つかった、縄文時代草創期(約1万2,000年/1万1,000年前?)のもの2点である。(上左がそのうちの1点)
	小形でやや厚みのある板状のもので、頭部と両腕を突起で表現しており、顔や手足の表現がないが、乳房は明瞭に表現されている。

	縄文早期には近畿、関東東部に広がり、早期前半、関東地方東部に逆三角形や胴部中程がくびれた形の土偶が出現し、早期後半には東
	海地方にまでその分布が広がり、それぞれが明確な土偶形式を形成している。前期は、この延長線上で板状土偶が発達した。中期終わ
	りには東北地方を除いてほとんど作られなくなるが、後期には東日本を中心に復興する。九州においては、熊本を中心に後期のものが
	出土しているがごくわずかである。土偶はやがて弥生時代にはほとんど作られなくなる。
















	(出典:ウィキペディア)
	国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の調査によれば、縄文時代の土偶の、日本全国の出土総数は15,000体ほどである。出土分布は東
	日本に偏っており、西日本での出土はまれである。千葉県佐倉市にある吉見台遺跡からは、600個以上の土偶が出土している。
	また、「土偶とその情報研究会」(八重樫純樹)の調査によれば、全国で約1万1千個程度が資料化され、それから類推して、縄文時
	代につくられた土偶総数を約3千万個とする説もある。












	土偶は土をこねて、多くが人間の形をまねて創られ焼き上げられている。全体は人間の形に作り上げられているものの、頭部・胴部・
	手足などは抽象的に表現されている。あるいは一部しかないものも多い。また、乳房・正中(せいちゅう)線・妊娠した腹部・陰部・
	臀部など特定の部分だけ具体的に表現されたものも多い。ほとんどの土偶は女性型であるが、北海道千歳市では板状土偶に男性性器が
	表現されていた。また、体型の異なる二体の土偶が同時に出土し、男女のペアと考えられるものもあり、男性型の土偶も数点ながら出
	土している。








	出土する土偶の大半は、何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものが多く、特に、脚部の一方のみを故意に壊した例が
	多い。亀ヶ岡文化圏(青森から秋田の一部、岩手に及ぶ)の遮光式土偶などは大半が片足である。そのため、自己の身体的な障害や不
	具などが復活する事を目的に製造された、という説もある。おもしろい説では、縄文人達がまず怪我をするのは手よりも足であって、
	足の不自由な人間は縄文時代に多かったというものもある。確かに靴やわらじが無い時代には、まず足が一番危険な部位かもしれない。
	また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表し、特に女性の生殖機能を強調していることから(性器そのものから、そこから子
	供が顔を出しているものなど)、豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説もある。その他、神像、女神像、精霊、護
	符、呪物などの多様な説がある。




	<立像土偶> (出典:ウィキペディア)
 
	中期初頭になって、土偶が立体的になり、四肢・頭部の表現をはっきりさせ、しかも土偶自体が自立できるようになる。この造形変
	化は、縄文全時期を通じて土偶の変化の内最も大きな変化であった。しかし、突然変化したのではなくて、前期後半には顔の表情豊
	かな土偶が現れていた。現在最も古い表情豊かな土偶は前期前半の千葉県石揚遺跡出土で、扁平・円形の頭部に2〜6個の丸い孔があ
	けられている。同じような表情豊かな土偶は、東海地方から関東地方までの東日本で現れ、当時の土器形式圏を越えた広い範囲に分
	布している。それが前期末葉になって、新たな変化は東北地方で現れはじめる。前期後葉の宮城県糠塚遺跡の土偶に始まる。それは
	両目・口の表現の獲得である。それ以降は、東北地方南部に分布する土偶から、顔面の表現が次第にはっきり形作られてゆき、北陸
	地方や中部高地地方に広がっていき、中期初頭には「立像土偶」へと移りはじめ、胴部が板状、頭部が円盤状、正面に目・鼻・口が
	添えられる程度であるが、短期間に立体化し、自立可能な立像を完成させた。長野県棚畑遺跡出土の「縄文のビーナス」はその到達
	点である。この急速な変化は、土偶が子孫繁栄、安産祈願、祭祀等の個人レベルの目的に造られてきたのにたいして、村落共同体レ
	ベルのでの祭祀に使われるようになったと考えられる。つまり、土偶はこの中期前葉に、縄文社会に定着した。
	後期にはハート型土偶が現れる。後期から晩期にかけて、関東から東北地方では、山形土偶やミミズク土偶、遮光器土偶などが大
	量に造られる。九州を除く西日本では人型土偶はまれで、簡略で扁平な分銅形土偶などが多い。









以下の土偶写真は、クリックすれば大画像になります。



土偶頭部(岩手県繋萪内遺跡) と 合掌土偶(青森県風張1遺跡:国宝)



遮光器土偶・亀ヶ岡遺跡出土(2点とも重要文化財)
	遮光式土偶  出典:ウィキペディア

	遮光器土偶(しゃこうきどぐう)は、縄文時代につくられた土偶。一般に「土偶」といえばこの型のものが連想されるほど有名な型で
	ある。目にあたる部分がイヌイットが雪中行動する際に着用する遮光器のような形をしていることからこの名称がつけられた(遮光器
	を付けた姿の表現ではなく、目の誇大表現と考えられている)。
	遮光器土偶は主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い。その特徴は上述の遮光器のような目に加え、大きな臀部、乳房、
	太ももと女性をかたどっていることである。また、胴部には紋様が施され、朱などで着色された痕跡があるものが多い。大型のものは
	中が空洞になっている。これは焼く際にひび割れをしないようにするためだと考えられている。
	完全な状態で発見されることは稀で足や腕など体の一部が欠損していたり、切断された状態で発見されることが多い。多産や豊穣を祈	
	願するための儀式において土偶の体の一部を切断したのではないかと考えられている。
 	普通の人間の形を逸脱した極めて特徴的な形態から、一部では宇宙服を着用した宇宙人の姿を模ったものであるという説(古代宇宙飛
	行士説)、東北地方で広く信仰されたアラハバキ神であるという説、古代シュメールの女神イシュタル説も提唱されている。
 
	主な出土場所

	 亀ヶ岡石器時代遺跡(亀ヶ岡遺跡) - 青森県つがる市 - 重要文化財。
	 手代森遺跡 - 岩手県盛岡市 - 重要文化財。
	 恵比須田遺跡 - 宮城県田尻町 - 重要文化財。
	 泉沢貝塚遺跡 - 宮城県石巻市 - 県指定重要有形文化財。





土偶 山形県西の前遺跡出土(国宝)  と  「縄文のビーナス」長野県棚畑遺跡出土(国宝)









中空土偶 北海道著保内野遺跡出土 [国宝]
	中空土偶  出典:ウィキペディア

	1975年(昭和50年)、北海道の渡島支庁にあった旧南茅部町(現在の函館市尾札部町)で地元の主婦が農作業をしていたところ、畑から
	人型の焼き物が出土した。主婦が家族にその焼き物を見せたところ、教科書で見た土偶ではないかとの意見があったため、主婦は地元役
	場に相談した。これを受けて南茅部町教育委員会(当時)が発掘調査を行なったところ、出土地周辺には縄文時代後期の墳墓群の可能性
	があることが判明し、著保内野遺跡として登録された。出土した土偶は1979年(昭和54年)重要文化財に指定された。しかしながら、当
	時の調査は調査期間とその範囲に限界があり、遺跡の調査としては決して十分なものではなかった。
	発見された土偶は、高さ41.5センチメートル、幅20.1センチメートル、重さ1.745キログラムで、中空土偶としては国内最大級である。
	出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられている。
	2004年(平成16年)12月、いわゆる「平成の大合併」により、函館市と南茅部町が合併した。函館市は著保内野遺跡の内容把握を目的と
	した再調査を2006年(平成18年)に実施した。この調査により、遺跡の一帯からヒスイの勾玉や漆片などが発見されたため、改めてこの
	遺跡が縄文時代後期(約3200年前)の集団墓であり、土偶はその一角に埋納されていたことが確認された。これらの調査結果などを受け
	て、2007年(平成19年)、中空土偶「茅空」は北海道内初の国宝に指定された。また、2011年10月1日、「茅空」を常設展示する博物館
	「函館市縄文文化交流センター」が函館市臼尻町にオープンした。

	我々も、先月の例会でこの「函館市縄文文化交流センター」を訪れ、対面してきたばかり。


	著名な全国土偶の例
 
	<国宝> 指定順

	土偶(縄文のビーナス) 長野県茅野市米沢棚畑遺跡出土(尖石縄文考古館)(高さ27cm、重さ2.14kg)
	土偶(合掌土偶) 八戸市風張1遺跡出土(八戸市)
	土偶(中空土偶) 北海道南茅部町(現、函館市尾札部町出土(函館市縄文文化交流センター)(高さ41.5cm、重さ1.745kg)
	土偶(日本最大の土偶) 山形県西ノ前遺跡 山形県最上郡舟形町出土(山形県立博物館)

	<重要文化財>

	土偶 北海道室蘭市輪西町出土(東京国立博物館)
	土偶(遮光器土偶) 青森県つがる市木造亀ヶ岡(きづくりかめがおか)出土(東京国立博物館)
	土偶 青森県上北郡野辺地町有戸鳥井平4遺跡出土(野辺地町立歴史民俗資料館)
	土偶 岩手県盛岡市(旧都南村)手代森(てしろもり)遺跡出土(文化庁蔵、岩手県立博物館保管)
	土偶頭部 岩手県盛岡市繋萪内(つなぎしだない)遺跡出土(文化庁蔵、岩手県立博物館保管)
	土偶 宮城県大崎市田尻蕪栗恵比須田(たじりかぶくりえびすだ、旧田尻町)出土(東京国立博物館)
	土偶 山形県最上郡真室川町釜渕字五郎前出土(正源寺)
	土偶 福島県福島市上岡遺跡出土(福島市資料展示室)
	土偶(ミミズク形土偶) 埼玉県さいたま市岩槻区真福寺貝塚出土(東京国立博物館)
	土偶 千葉県銚子市(旧海上村)余山(よやま)貝塚出土(辰馬考古資料館)
	土偶(ハート形土偶) 群馬県吾妻郡東吾妻町郷原出土(個人蔵、東京国立博物館寄託)
	土偶 神奈川県足柄上郡大井町大字山田字中屋敷出土(個人蔵)
	土偶(仮面土偶) 長野県茅野市中ッ原遺跡出土(尖石縄文考古館)(高さ34cm、重さ2.7kg)






















	私がここへ通っていた頃(20年以上前)には、ここにダムを作る話があってこの付近は全部水没する予定だった。20年経って
	オバサンの嘉田知事(現時点では、日本の未来党党首と兼任)がダム建設をストップしたが、なにやら高いところに道路が出来て
	いる。
	また50分バスに揺られて石山駅へ戻り、飲み屋を探すが何も無い。「どっか酒飲めるトコ無いか?」と聞きまくって、ようやく
	向こうの方に王将があると聞いたのでそこへ向かう。



中華料理はまず当たりハズレがない。これはマズイというようなのには、まだ当たった事が無い。しかし王将は安い。




	新会員上村さんにいろいろ話を聞く。「鉄ちゃん」だそうだが。「乗り鉄」や「撮り鉄」ではない。なんとSLやディ−ゼル機関
	車を自分で操縦するのだという。ちょくちょく動かしにどっかへ行っているらしい(北陸だっけ?)。ヒェー!
	私や橋爪君がいた●TTの現役である。



たまには大隈君もclose-upしてあげようかね。



うぃー、食った食った、満腹じゃわい。



昔この辺りにお客さん(オムロンや、NECや、東レグループ等々)があって良く通ったが、NECは話題のRenesus(ルネサス)になっていた。




	
	上は、私の書架に並ぶ土偶レプリカの数々。他にも吉備式円筒埴輪や特殊器台、東北の火炎土器、縄文土器などもあるのだが、とりあえず
	土偶のみ。形から入る私としては、こういうものを廻りに並べておかないと、なかなかその世界へ入れないもので、ハハハ。

	ちなみに私は、縄文時代の石臼の半分に割れたもの(本物)を持っているが、これは北関東の埋蔵文化財センターを訪ねた折、そこの所長
	に貰ったもの。遺跡(貝塚)にはまだそんなのがゴロゴロしていたが、もうあまりにも多くて誰も持って行かないのだそうだ。「これも持
	ってくかい?」と道ばたの大きな石臼もくれようとしたが、リュックに詰めて運べないほどだったので泣く泣く断念した。道ばたの畑は、
	土と貝殻が半々くらいに混ざった所で、「こんなとこで作物が育つん?」と聞いたら、畑の所有者のオジサンは、「ま、ネギくらいだべ」
	と笑っていた。




特別展案内パンフレット






以下の、来年の干支スタンプが押してあるものは、以前私が現地その他でお目に掛かったもの。他は良くわからない。
















	
	上の一覧表の最後に「宗像教授異考録」とあるが、これは昔、青年コミック誌の「ビックコミック」に連載されていた、星野之宣
	(ほしのゆきのぶ)という作家のマンガである。この漫画の原画も展示されていた。之宣て、反対なら(宣之)良くある名前だが、
	之宣とは珍しい。
	この宗像教授シリーズは古代史、伝承・伝奇物がテーマで、私の愛読書の一つである。めちゃくちゃ面白く、昔はセガレと先を争
	って読んでいた。ハニワや土偶、銅鐸や銅鏡など、古代史の題材がふんだんに登場して、古代史ファンなら絶対面白い。





↑ここにちょこっと見えているのは私の指の先です。


	勿論邪馬台国も取り上げていて、これは「ヤマトの火」「ヤマタイカ」という本になっている。ヤマタイカを知らない邪馬台国ファンが
	若しいたとしたら、それはモグリです。邪馬台国を語る資格はありません。文庫本にもなってます。






	学芸部長に頂いた、今回特別展の土偶写真集。ぶ厚くて立派な図録だった。Kさんありがとうございました。Kさんといろいろ話を
	したときに、「よく国宝4点が全部集まりましたねぇ」と尋ねると、今回の監修を引き受けて貰った小林達夫氏の力も結構大きかっ
	たとの事であった。「先生はお弟子さんが全国にいますが、特に東北は多いんですよ」との事。そうかコネクションはやっぱ大事や
	なぁ。國學院大學名誉教授だもんね。




	これはあまり教えたくなかったが、私の江戸時代・幕末のアンチョコはこの「みなもと太郎」の描く「風雲児たち」シリーズである。
	関ヶ原から幕末までで20巻、幕末だけで現在20巻を越え、先月(2012年11月)発売が21巻目で、「桜田門外の変」をまるまる
	一巻で取り上げている。「みなもと太郎」はじつに良く本を読んでいて、私には知らない事だらけである。あることを興味を持って
	調べると、漫画の通りのことが実際起きていて、へたな解説書より何倍もおもしろい。実際これを歴史教科書にしたほうがいいとい
	うオビネタ(本の帯に付いている解説文)もあった。これは絶対にお勧めである。
	一度、東京の同い年の従兄弟が結婚したとき、こいつも歴史好きで良く本を読んでいたが、このシリーズを全巻お祝いに送ろうとし
	たが、既にもう持っていた。今は自民党の東京都議会議員である。




おまけ

歴史倶楽部 2012年忘年会 −大阪本町「和」にて− 2012年12月12日(水)大阪市中央区本町




	今年はあまり写真を撮らず独立したコーナーに出来ないので、ここに追加します。勿論歴史クイズもプレゼント交換も、例年通りやり
	ました。
	料理は昨年と同じ「河豚コース」である。マスターが亡くなって、「みゆき会」を継続したこの「和」という店は、本来は河豚の店な
	のだ。もうここでみゆき会をやるようになって3年ほどになるが、河豚は年一回しか食わないね。



上はクリックして貰えば大きい画像になります。下はなりません。




	皆々様、一年間お疲れ様でした。今年もたくさんアチコチ行きましたねぇ。今年もたくさん学びました。最近、徐々に「日本人の起源」
	に近づいているような気がしないでもありません。縄文人、弥生人、そして日本の基層(基礎の間違いではありません)を作った古墳
	時代人、それぞれが日本の基礎を作るのに大きく関わっているのは明らかな事実ですが、それらの実相が明らかになる日がやがて来る
	かもしれません。来年も、たくさん飲んで、たくさん歩き、そして大いに学びましょう。歳を取ったから酒が飲めなくなるのではあり
	ません。飲まないから歳をとるのです。 Merry Christmas! そして、よいお年を! また来年、お会いしましょう。

	なんちゃって、まだ納会例会もあるもんね。12月29日です。大掃除を抜け出すいいchanceですよ。


邪馬台国大研究/ 歴史倶楽部/ 182回例会・滋賀県・ミホミュージアム