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歴史倶楽部 第181回例会

史跡・頭塔 浮彫石仏 2012年11月4日 奈良県奈良市









	史跡 頭塔について   奈良県HPより
 
	史跡/頭塔は東大寺南大門から南に約1kmのところにある、土壇からなる非常に珍しい奈良時代の塔です。かつて頭塔は、奈良時代の
	僧玄ムの頭を埋めた墓との伝承があったため、この名称の由来とされてきました。その後大正11年(1922年)3月8日付けで国の史跡
	に指定され、頭塔は奈良時代の土塔として、学術的に位置づけされ今日にいたります。
	そもそも頭塔の造営については、神護景雲元年(767年)に東大寺の僧で二月堂修二会にがつどうしゅにえ行法(お水取り)を創始し
	た実忠が、東大寺別当の良弁の命により造った塔であるとされています。
	現在の頭塔は、南側については頭塔の森としての価値を認めそのままにし、発掘調査により遺構解明された北側のみを昭和61年から
	平成12年まで奈良県教育委員会が復元整備を行いました。この頭塔に類似するものとしては、行基が関与した堺市の土塔があります。

	見学時間  9時〜17時
	見学方法  見学を希望される場合は、必ず、下記の現地管理人までお申し出下さいの上、現地にお越し下さい。
 		  現地管理人 仲村表具店(TEL 0742−26−3171)
	所在地    奈良市高畑町921番地(近鉄奈良駅南東約2km 徒歩で約25分)
	アクセス  「eco」のため、できる限り公共交通機関をご利用下さい。
		 ○奈良交通 市内循環バス「破石町」(わりいしちょう)バス停下車すぐ
		 ○車でお越しの方は県営高畑観光駐車場をご利用下さい。(料金1,000円/徒歩約5分) 
	協力金    1人300円 (10名以上の団体は200円)



この頭塔が今日は「特別開帳」の期間中だった。








	頭塔 出典:ウィキペディア

	頭塔(ずとう)は、奈良市高畑町にある土製の塔。1辺30m、高さ10m、7段の階段ピラミッド状の構造をしている。奈良時代の建造で、
	東西南北の各面に石仏を配置する。1922年(大正11年)、国の史跡に指定された。『東大寺要録』の記録では、奈良時代の僧、実忠
	によって造営されたという[1]。
	そこでは「土塔」(どとう)と表記されている。一方で、平安時代の『七大寺巡礼私記』以来の、玄ムの首塚である、という伝承も
	ある。「どとう」が転訛して「ずとう」と称されるようになり、玄ム首塚説との関連で、「頭塔」という漢字が当てられたものと考
	えられる。昭和になってからの研究では、石田茂作が「奈良時代末期においてインドの新様式を取り入れた最先端な仏塔」と結論づ
	けた[2]。
	頭塔の各段には、浮彫(一部線彫)の石仏が配置されている。石仏のうち当初から露出していた13基が1977年(昭和52年)、重要文
	化財に指定され、2002年(平成14年)にはその後の発掘調査で見出された石仏14基のうち9基が追加指定されている[3]。
	石仏は当初は東西南北の各面に11基ずつ、計44基設置されていたものと推定される。東・西・北面の石仏は復元整備後、屋根付きの
	壁龕に安置されているが、南面の石仏は土の上に直接置かれている。
	奈良文化財研究所による1986年(昭和61年)からの発掘調査終了後、北半部は復元保存、南半部は発掘前の現状保存の形で残されて
	いる。塔は版築による方形の土壇で、基壇は一辺32メートル、高さ1.2メートル。上壇になるにしたがって3メートルずつ縮小して、
	最上壇は一辺6.2メートルである。高さは奇数壇で1.1メートル、偶数壇で0.6メートル、基壇裾から最上壇までは約10メートルの高
	さである。
	ならまちの東方、高畑にあり、現在は、地元の民間人によって管理されており、施錠された門を開けてもらい入らないと見学できな
	い。その形態に類似性が認められる日本国内の遺址として、堺市の大野寺に見られる「土塔」がある。

	指定文化財

	石仏のうち「浮彫如来及両脇侍二侍者像」(東面第一段) 以下の石仏22基が「頭塔石仏」の名称で、一括して重要文化財に指定さ
	れている[4]。	(*)は2002年追加指定。

	 浮彫如来及一侍者像(北面第一段右)(*)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(北面第一段中央)
	 線彫如来立像(北面第一段左から2番目)(*)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(北面第三段中央)
	 浮彫如来坐像(北面第五段右)(*)
	 浮彫三如来坐像(北面第五段左)(*)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(北面第七段中央)
	 線彫諸尊像(東面第一段右から2番目)(*)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(東面第一段中央)
	 浮彫諸尊像(東面第三段右)(*)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(東面第五段右)(*)
	 浮彫二如来及六侍者像(東面第五段左)(*)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(南面第一段中央)
	 浮彫如来及一侍者像(南面第一段左)
	 浮彫如来坐像(南面第三段右)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(南面第三段中央)
	 浮彫如来坐像(南面第五段右)
	 浮彫如来樹下坐像(西面第一段右端)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(西面第一段中央)
	 線彫涅槃図(西面第一段左から2番目)
	 浮彫如来坐像(西面第三段中央)(*)
	 浮彫如来及両脇侍二侍者像(西面第七段中央)
 
	所在	 奈良市高畑町921
 
	脚注
 
	1. 神護景雲元年(767年)に東大寺の別当実忠が国家のために新薬師寺の西野に塔一基を造った。奈良時代には石仏を諸処に見かける
	  が、頭塔は類例を見ない。
	2. 町田章「頭塔」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 253ページ
	3. 平成14年6月26日文部科学省告示第121号
	4. 文化庁公式サイトの「国指定文化財等データベース」には「13基」とあるが、「22基」が正しい。
 
	参考文献  奈良文化財研究所『史跡頭塔発掘調査報告書』(2001年)
 	関連項目  郡山城 (大和国) - 郡山城の石垣の中から頭塔の石仏浮き彫り1点が発見された。






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