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<養田中の池遺跡>(ようだなかのいけいせき)
ニュータウン建設に伴い発掘調査され、工業団地内に緑地として整備・保存されている。弥生時代中期末
の高地性集落で、尾根上や斜面で竪穴住居などが検出された。磨製石剣や弥生土器も出土し、それらは神
戸市埋蔵文化財センターに保管されている。
時代 : 弥生時代中期
所在地: 西区高塚台
交通 : 西神中央駅から神姫バス74系統押部谷行き 12系統西神墓園行き乗車
食品団地前下車 北西へ徒歩約5分
この斜面一帯に弥生人の住居があったのだ。約2千年前、ここを弥生人の子ども達が駆け回っていたのである。
陵上の平坦面には、数多くの竪穴住居や掘立柱建物が存在した。
平坦面に作られた円形(左)と方形(右)の竪穴住居と、斜面に作られた掘立柱建物。方形の住居には拡張された跡が見える。
丘の頂上で昼食にする。遠くの山並みが綺麗に見えていた。この光景は2千年前と変わらない。
「お、今日も自分で弁当作ってきましたんか?」「さいでんね、嫁半の弁当食うたんはもう何十年前やろなぁ」「ぎゃははは」
「最近一番搾りとかスーパードライとか呑んでもまずいねん」「なんで?」「発泡酒に馴れたんやろなぁ」「ぎゃははは」
「弥生人郭公!」ってか。「郭公さんはどっちかというと縄文人ちゃうか?」「言えてる」
尾根筋のやや下がった地点には、古墳時代初頭の墓が作られていた。
割竹形木棺が3基と土器棺1基が検出された。上右は甕と鉢を合わせ口にした土器棺。
この丘陵一帯に弥生人がひしめいていたんだろうなぁ。隣組とか出来てたりして。
この池が当時からあったかどうかは定かでは無い。しかし水は必要だし、どこかにわき水でもあったのかもしれない。
山桃、というかコケ桃というか。食ってみたが甘酸っぱかった。十分食える。
ダムか。と言う事はせき止めた川があったと言う事やな。
邪馬台国大研究/歴史倶楽部/199回例会・神戸西神中央の古代