Music: Little Brown Girl

ハワイ紀行  その3 2012.2.7



	

	2012.2.7(火)朝雨 ー> 曇 −> 雨 ー> 晴

	ハワイの天気は良くわからん。雨期だからか、夜中には必ず雨が降ってくるし、昼頃には晴れたかと思うと凄いスコールがやってくる。
	しかもすぐ止んでまたサンライズ。昨日から今日は雨模様だというので、今日はダウンタウン巡りをする事にしている。





	
	まずホノルル美術館へ。別名「 Honolulu Achademy of Arts」と言い、同名のバス停でザ・バスを降りる。西洋から東洋の歴史と美術
	の展示がすごい。日本のコーナーもあって、縄文土器や青銅鏡、埴輪、須恵器なども飾ってある。ここの浮世絵は、今京都の文化博物
	館へ行っているらしく、所蔵する葛飾北斎の浮世絵は、大半が京都へ行っている。wifeは学芸員のおばちゃんとそういうやりとりをし
	て、「帰ったら京都に行かなくては」と言っている。Korea、Chaina の展示品も結構ある。仏像コーナーには弥勒菩薩や阿吽の力士像
	もたくさん飾ってあった。








このあたりは気持ちよく歩いて行けるエリアである。至る所にハワイだなぁと思わせる木陰が茂っている。



上は墓地のようである。



「アロハの自由の鐘」が置いてある図書館(かな?)









カワイアハ教会



	
	ここをでて数分で「カメハメハ大王像」の立っている広場にくる。大勢の観光客が写真を撮っている。カメハメハ大王はハワイ島出身
	で、最初にハワイを統一した人物である。出生地の、ハワイ島のカパアウにも同じ像が建っている。









	
	カメハメハ1世  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
	出生  1758年(諸説あり)ハワイ王国ハワイ島カパアウ
	死去  1819年	 ハワイ王国 
	在位  1795年 - 1819年 
	全名  Kalani Pai?ea Wohi o Kaleikini Keali?ikui Kamehameha o ?Iolani i Kaiwikapu kaui Ka Liholiho K?nui?kea 
	王太子 カメハメハ2世 
	王朝  カメハメハ 



	
	カメハメハ1世(Kamehameha I、1758年 - 1819年、生年は諸説あり)はハワイ諸島を初めて統一して1810年にハワイ王国を建国、初代
	国王となった人物である。カメハメハ大王の名でも親しまれる。「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」、「静かな人」の意。
	なお、ハワイ語は文字を持たない言語であった関係で、古い文献などではハメハメハ(Hamehameha)と表記される例も見られる。ハワ
	イ島北部のカパアウで生まれた。ハワイ島の首長であったカラニオプウの甥にあたる。叔父の死後、その長男のキワラオを倒し島内を
	掌握。イギリスから武器や軍事顧問などの援助を受け、マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服していった。政敵が火山の噴火や外
	敵などにより壊滅状態になったことも統一に幸いした。18世紀末までにはカウアイ島、ニイハウ島を除く全地域を支配下におさめ、
	1810年にこの2島もカメハメハに服属して国家統一を成し遂げた。
	カメハメハは優れた外交手腕でイギリスやアメリカ合衆国などの西洋諸国との友好関係を維持してハワイの独立を守り、伝統的なハワ
	イの文化の保護と繁栄に貢献した。またカメハメハ1世が作った「ママラホエ」と呼ばれる法律は、戦時における非戦闘員の人権を保
	護するものであり、今日では世界中で受け入れられている先駆的なものであった。副王としてカメハメハ2世、および3世を補佐して
	旧習撤廃に努めたカアフマヌがいる。
	1789年冬、アメリカ人メットカーフ親子が率いるエレアノラ号とフェアー・アメリカン号がハワイ島を訪問した際、トラブルにより100
	人余りの島民の命を奪う事件が起こった。これに恨みを持った首長カメイアイモクは「フェアー・アメリカン号」を1790年3月3日に襲
	撃した。息子のメットカーフは海から突き落とされて死に、乗組員のアイザック・デービスが一人だけ生存した。息子の死を知ったメ
	ットカーフはジョン・ヤングを残して出航した。カメイアイモクの振る舞いに激怒したカメハメハ1世は、すぐデービスとヤングを保
	護し、自分の軍事顧問として遇した。
	それ以来カメハメハ1世は火器と火薬の調達にいそしみ、火器の使用法や管理法に習熟した白人の顧問を迎え入れた。1804年には、600
	挺のマスケット銃、14門の大砲、40門の旋回砲、6門の小型迫撃砲を保有するに至った。



	
	カメハメハ大王後ろの建物は、ハワイ州警察本部の建物のようである。「FiveO」(ファイブ・オー)というハワイの特別捜査班を描く
	TVドラマのシリーズでは、ここが捜査本部として描かれている。



	
	カメハメハ1世の像は、現在ハワイ州内の3箇所にある。最も有名なのは、ホノルルのダウンタウン、アリイオラニ・ハレ(ハワイ州
	最高裁判所)にある像である。この像は、「キャプテン・クックによるハワイ発見 100周年」を記念してイタリアで造られたが、輸送
	の途中海に没したため、再度造ったもの。左手の槍は平和を象徴し、掲げた右手はハワイの繁栄を表している。なお、後の1体は、生
	誕地であるハワイ島北部のカパアウにある。この2体のバージョンと違う像がハワイ島のヒロにある。カメハメハ大王像は、そのミニ
	チュアがハワイの土産物になり多くの土産物屋で売られているなど、日本でもよく知られた存在である。



イオラニ宮殿

	
	カメハメハ大王像の前で写真を撮り、すぐ向かいにある「イオラニ宮殿」というハワイ王朝時代の宮殿にいく。ここはアメリカ合衆国
	内で唯一の宮殿である。王様のいない国アメリカで、唯一王様のいた州がハワイなのだ。











ハワイ王朝の王座



クリックすれば拡大します。



上はハワイ州庁舎。写真の加減で曲がっているがホントは下のようにまっすぐです。





州庁や宮殿が建ち並んでいるからか、パトカーがアチコチに駐車している。

	
	ここから、「アルハタワ Shopping center」という、ガイドブックに「地元民でにぎわっている」とあるモールへ行く。地図で見ると
	歩いて10分くらいだ。あまり治安は良くないと書いてある道を歩いてゆく。
	港のそばにそのcenterはあったが、行きたいと言ったwifeががっかりするほどショボかった。港に接して作られたセンターの半分くら
	いのSHOPはシャッターが閉まっていて、「にぎやかな」雰囲気などはまるで無かった。イギリスのどでかい「Golden Prince」号という
	客船が停泊していて、その大きさには驚いた。まるで、巨大なビルがそのまま船になって海に浮かんでいる感じだった。







アロハタワー。周辺にもあまり人はいない。



「Golden Prince」号の船尾(上)と船首(下)。上写真は少し曲がっているが、これもホンマはまっすぐです。







これは日本の船だった。水産大か水産高の演習船らしく、モールにそれらしい若者たちがいた。











このビルディングは、USA本土の「XXXX大学」(ネブラスカだったかな?忘れた。)のホノルル分校と看板に書いてあった。







	
	Amfac, Inc.	From Wikipedia, the free encyclopedia

	Amfac, Inc. formerly known as American Factors and originally H. Hackfeld and Company was a land development company 
	in Hawaii. Founded in 1849 as a retail and sugar business, it was considered one of the so-called Big Five companies
	in the Territory of Hawaii. At its peak it owned 60,000 acres (24,000 ha) of land, and was a dominant sugar company 
	in Hawaii as well the founder of one of its best known department stores, Liberty House. It now owns 5,000 acres
	 (2,000 ha) of land in Kaanapali on the island of Maui. Since 2005 it is known as Kaanapali Land, LLC (OTCQB: KANP).
 
	<History>
	German immigrant Heinrich Hackfeld and his brother-in-law J. C. Pflueger founded a dry goods store called H. Hackfeld
	and Company in 1849 in Honolulu. Hackfeld later became the business agent for K?loa Plantation on the island of Kaua?i. 
	Paul Isenberg (1837?1903) became a partner in 1881.
	During World War I, the company was seized by the U.S. government Alien Property Custodian. It was later sold to a 
	consortium of Hawaii businessmen in 1918, who changed the name to "American Factors". In 1966, the name was further 
	shortened to "Amfac". Henry Alexander Walker became president in the 1930s. 
	The family estate known as the H. Alexander Walker Residence, was developed into a showcase garden. From 1968 to 1972
	under president Henry Alexander Walker Jr. Amfac acquired 42 different companies.
	Ronald L. Sloan was removed as president November 20, 1987 and replaced by Richard L. Griffith (Walker was still 
	chairman of the board). The company announced it was selling its non-Hawaii business units. Amfac was bought by 
	Chicago-based JMB Realty in 1988 for USD $920 million. As the sugar industry in Hawaii declined after statehood, so 
	did the fortunes of Amfac. Amfac's assets were gradually sold off. Liberty House went into bankruptcy in 1998 (it was
	later acquired by Federated Department Stores and now carries the Macy's brand name), and Amfac Hawaii went into 
	Chapter 11 bankruptcy in 2002. 
	Amfac Hotels & Resorts was retained by JMB and was renamed Xanterra Parks and Resorts. Amfac Hawaii was reorganized as 
	Kaanapali Land, LLC and the bankruptcy closed in 2005. Some of the former plantation land uphill from the resort has 
	been subdivided into a development called K??anapali Coffee Farms.




	
	ここから再びザ・バスに乗ってワイキキへ戻る。ワイキキの手前で降りて、「アーミー博物館」に寄る。ガンマニアであるセガレの哲
	平になにか土産は無いかと思ったのだが、絵本やショボいプラモデルやわけのわからん派手なTシャツや帽子など、ろくなものは無か
	った。ザ・バスに二駅乗ってホテルへ戻る。



	
	ホテルの周りは、ワイキキでも有名な Shopping 街である。有名ブランドの店もズラリと軒を並べている。今日もまたwifeのShoppingday 
	になった。靴を買い、化粧品を買い、アクセサリーを買った。アクセサリーの店では、旅行代金よりも高いピアスを買って、まだ買い
	たり無いのか、さらに高いペンダントを手にとって、「決心がつかないわぁ」とか言って、店員に「あした又くるわ。それまでに決め
	とく。」とか言っている。



	
	夕食は、ホテルのそばにある「チーズケーキ・ファクトリー」というレストランに並ぶ。1時間待ちと言われて、呼び出しベルの付い
	たプレートをもらう。席が空いたらこのプレートが点滅してベルが鳴るのだ。ここは有名なアメリカ本土のレストランのハワイ店なの
	だそうで、行列が凄かった。1時間待ちだと言うので、付近をブラブラ歩き。昨日Shootingをしたビルの中で「ファーマーズ・マーケ
	ット」というのをやっている。めざとく見つけたwifeはいさんで見に行く。ビルのテラスにこしらえたテントの中に、野菜や果物、そ
	してその加工品などが並んでいる。夕食後だったら絶対買っていただろうな。




	
	しばらくしてプレートが点滅しレストランへ戻る。ディナーは確かに旨かった。陽気なイタリア人みたいな(?)ウェイトレスのお姉
	ちゃんが居て、冗談ばかり言って笑わせる。例によってアペタイザー、サラダ、メインと一人前づつ注文すると、「Share するのね。
	賢い!」と言う。「デザートにチーズケーキはいかが?」というので「どんなのがある?」と聞くと、驚いた顔をして
	「Many many choice あるよ」と言ってメニューを持ってきた。なるほどメニューの2頁がまるまるチ−ズケーキだった。店の名前の
	とおりである。とても食べ切れそうにないので、「take outしたい。」と言うと、日本語で「お持ち帰り!」と言う。
	全く西欧人達の食う事、食う事。あの胃袋には全く驚かされる。CHECKして帰り際、お姉ちゃんが「また明日ね、また来てよ。」
	(Tomorrow Night, waiting!)と宣う。



	
	チーズケーキ・ファクトリー  The Cheesecake Factory

	●行列が絶えないワイキキの新名所
	 チーズケーキ($6.25−7.95)の種類は40種類以上。2003年12月の開店以来、店の前に行列が絶えないワイキキの新名所ともいえるレ
	 ストラン。2005年度のハレアイナ賞ベストニューレストランに選ばれた。旅行者にもロコにも大人気の話題のレストラン。
	 ロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンターの、一番ダイヤモンドヘッド側の広い一角を占めるチーズケーキ・ファクトリーは、カ
	 ラカ ウア通りに面したオープンテラスのセクションだけでなく、ダイニングフロアがいくつもに別れていて、総席数はなんと600
	 席という巨大なレストランなのだ。全米で87店舗ものレストランを展開しているチーズケーキ・ファクトリーは、アメリカ人達には
	 もうすっかりお馴染みの名前。カジュアルなレストランでありながら、おしゃれなインテリアとチェーン店のイメージを覆す1ラン
	 ク上のテイスト、さらにボリュームたっぷりの料理で、ハワイでもオープン前から期待のお店だったそうな。 
	●ユニークな店名の由来は?
	 1940年代から、デトロイトの自宅のキッチンで子育ての傍らに自慢のチーズケーキを焼いて地元のレストランに卸していたミセス・
	 オーバートンは、1971年に夫と2人でロサンゼルスで卸売り専門の「チーズケーキ・ファクトリー」を開いた。その後、夫妻の息子も
	 加わり、一家揃ってビバリーヒルズに焼きたてのチーズケーキが食べられるレストランをオープン。店はあっという間に評判になり、
	 次々にメニューも増えて、フルサービスのレストランとなり、現在のような全米チェーンにまで成長した。まさに、アメリカンドリ
	 ームそのものといったストーリー。すべての始まりは手作りのチーズケーキ。ユニークな店名の由来は、実はこう言うことです。 
	●ハワイ限定メニューがズラリ
	 肝心のメニューはバラエティ豊かなアメリカン・カジュアルフードという感じで、たとえばハンバーガーやピザ、ステーキといった
	 ものから、アメリカ南部風のジャンバラヤ・パスタのように各地のフレーバーを取り入れたものまで、本当に選ぶのに迷ってしまう。
	 なにしろ、常時200種類ものフードと50種類のデザートがあるので。
	 メニューは本部のキッチンで集中してコントロールされているそうで、半年ごとに少しずつ変わっているそうだが、ハワイ店には常
	 時20種類程度のハワイ限定メニューが用意されている。これは全米各地の他の店舗のオリジナルメニューが1?2品程度というのに比
	 べると、特筆モノなのだそう。ロコモコやカルアピッグなどの他、シーフードが人気メニューになっているところがハワイらしいね。







	
	明日はwifeの最大の趣味であるドライブだ。免税店の一角に「ニッポンレンタカー」の事務所があったので、早速明日一日のレンタカ
	ーを予約する。AM7:30に送迎車がホテルまで迎えに来るという。早々とwifeは11:30頃寝てしまう。昨日、今日は雨期と言
	うこともあって天候がいまいちだ。到着した日の午後を除けば2日とも雨模様である。まるでハワイに来たという気はしないが、明日
	が最終日で、明日に期待しよう。