Music: Now is the Hour

ハワイ紀行  その5 2012.2.9



	
	2012.2.9(木)晴

	昨夜もキリンビール、薩摩白波のお湯割りと酔っぱらったので(ハワイで、この組み合わせで飲んだのは昨夜が初めて。毎夜赤ワイン
	2,3杯を飲んでいた。)、相当太っ腹になって嫁半孝行をしたが、例によって夜中に何度も目が覚める。
	午前1時頃、ベランダからハワイ最後の夜を見てやろうと外に出て通りを眺めると、パトカーが2,3台通りの向こうに止まっている。
	最初は何か事件かなと思ったら、どうやらこの時間まで騒いでいたバンドの連中(?)を解散させているようだった。この通りはワイ
	キキのど真ん中なのでストリート・ミュージシャン達も夜遅くまで騒いでいて、日本人観光客の女の子達が周りを取り囲んでいて賑や
	かだったのだが、さすがに深夜零時をすぎて、眠れない誰かが通報したのだろう。しばらく上から眺めていると、警官達となにやら言
	い合っていた連中もやがて解散していった。又一眠りしてAM2:00過ぎに目が覚めた。今日でもうハワイともお別れだ。アッとい
	う間だった。



	
	AM10時に空港までのリムジンが迎えに来る。しばらくは眠れそうもないので、今回の旅の「総括」をする事にした。

	(1).wifeが急遽病気になったのでスポーツ系やマリン系の遊びができなかったのは仕方がない。別の機会があればその時にゆずる
	    が、実は私自身は以下のようなことを計画していた。

	●スキューバ・ダイビング ・・ 沖縄の海の綺麗さが忘れられなかったので、ハワイでも再度潜ってみたかった。
	●ガン・シューティング ・・・ これは実現した。ピストルを撃つという単なる興味半分と、ピストルというもの が一体どんなも
					のなのかを見極めたかった。これについては帰国後じっくり考えてみたいと思う。
	●ハワイ歴史探訪   ・・・・ これは半分達成。半分というのは、パールハーバーの半分の施設しか見ていないので。しかも、ハ
					ワイ王朝の創立にかかわる博物館、Bishop Museumをタッチの差で見れなかった。
	●ハワイの風景散歩  ・・・  これは満足した。今回はオアフ島しか行けなかったが、有名な海岸は見れたし、ハワ イ最大の波
					が来るというNorth shore の大波も見た。コーヒー・プランテーションやダイヤモンヅヘッドの光
					景も 見れたので良しとする。
	●ハワイの夜   ・・・・・・ 食事は連夜大満足だったが、wifeの体もあってナイトショーに行けなかったのは残念だが、 wife
					の体の方が大事なので、これも仕方がない。

	(2).急遽病になったwifeのために、今回shoppingには一切口をはさまず(今までは相談されると数万円の買い物はNOと答えてい
		た。)、すべて「買え、買え」と太っ腹な所を見せた。おかげで、バッグ・靴・アクセサリー等々を買い込み、娘や息子への
		お土産もそういう店で買ったので、おそらく旅行代金の数倍を消費したのではないかと思う。しかしそれも、もう老い先さ程
		長くない我々にとっては許されてもいい行為だろうと、今回の旅を「嫁半のshoppingにつきあった旅」と思うことにした。

	(3).ハワイについて ・・・・
		マリンスポーツをしなかったからか、ここに来てから最大の楽しみだった Bishop Museumに行けなかったからか、今までの海
		外旅行と違って、私自身はこの地にまったく後ろ髪を引かれない。wifeはハワイは二度目で、また来たいと言っているが私自
		身は来たいとは思わない。来たくないという訳では無いのだ。イギリス、フランス、イタリア、アメリカ西海岸、中国、台湾、
		韓国と海外旅行を体験したが、いずれもまた来たいと思ったものだ。特にシルクロードから帰ってくる時には、帰りの飛行機
		の中で「あぁ、引き返したい」と思ったほどだったのだが、今回のハワイは全くそういう思いがない。その理由を私なりに考
		えてみた。

		・どこへ行っても日本人だらけなので辟易する。海外へ来たという気がしない。
		・ハワイの歴史は、ポリネシア民族 − ハワイ王朝 − 西欧(米国)支配という課程を経て、あまりにもアメリカナイズ
		 されすぎており、ハワイの独自性が観光か博物館の中にしか見いだせない。(もっとも、これは今回4泊6日という短い滞
		 在だったので、ホントにハワイらしい所へ私が行っていない可能性が大きい。)
		・西欧からの旅行者はほぼ高齢者で占められており、ハワイは西欧の「姥捨て山」と化している。また日本人も含め て、若
		 者は遊びの対象としてしかハワイを見ていない。これはハワイ自身が観光立国を目指すしかない経済事情もあるので、仕方
		 がない面もある。
		・第二次世界大戦における、日本人のATTACK(奇襲攻撃)の残照が至る所に根強く残っており、その痕跡を見ながら、戦争の
		 欺瞞性と、日本人の世界大戦における敗北の意味を、絶えず突きつけられながら米国とつきあってゆくという奇妙な不安定
		 感のなかで、観光を続けることになり、ハワイ滞在中大いなる矛盾を感じ続ける。
		・顔は日本人と全く同じなのに、「米国民」であるハワイ現地人「心根」に違和感を覚える。米国ズレしているとでも言うの
		 か、これは中国や韓国で感じた違和感とはまた別物であり、なぜか落ち着かない。

	等々である。この印象は4泊5日という短い滞在期間の中で断片的に感じた感想なので、真のハワイを知るためには、もっと現地と深
	く付き合う必要があるのかもしれないが、今の時点では再訪したいという気にはならない。
	ここまで書いて3時40分になった。突然、以下のようなスケジュールを思いついた。思いついたら即行動。16Fからフロントへ降
	りて情報収集。十分可能なように思える。6時半に起きるwifeと相談して、行くかどうかを聞こう。

	・地元のスーパーに行けなかったのが心残りというwifeと、Bishop Museumを見逃したのが心残りな私の両方をかなえる方法。

	<フロント等で集めた情報>

	・地元民がよく行くスーパーは、大きいのが近くにあり、Safety storeという。24時間営業。ホテルから車で5,6分。
	・タクシーは1時間貸し切ると5,60ドル。2時間なら120ドル。円が最高値の今で換算すると2時間8,400円。
	・ホテルからBishop Museumへは車で20分ほど。safety storeはその途上にある。
	・朝、check-out後、荷物は無料でホテルで預かってくれる。

	<スケジュール>
	・7:30ー50 check-out。荷物は部屋に置いたままか、ホテルに預ける。
	・8:00 ホテル前にてTAXIと契約。(値段交渉)
	<OKの場合>
	・TAXIでスーパーへ行き、wifeをおろす。私はそのままBishop Museumへ行き、museumで9時の開館を待つ。TAXIはスーパーへ戻り、
	 wifeを待つ。
	・9時−9:40 私は博物館見学。
	・9時20ー30 wifeはスーパーからTAXIでmuseumへ行き私を拾う。
	・9時40 二人でホテルへ戻る。
	・10時、迎えのリムジンが来る。空港へ。

	完璧な計画だ。これなら最後に何とか間に合いそうだ。wifeが起きてくるのが待ち遠しかった。ホテル横の路上に設置してある喫煙所
	へ行き一服する。ちなみにハワイは全所完全禁煙である。ホテルにもレストランにも喫煙室はなく、たばこの吸える場所は路上の灰皿
	しかない。我々のホテルも勿論禁煙で、ご丁寧にも「喫煙が発覚の場合230ドルの罰金」と書いてある。何という暴挙だ。仕方がな
	いので吸いたいときは16Fから1Fへ降りて喫煙所へ行く。我々のホテルは大きいからか、別館の出口を出たところに灰皿があるの
	で助かった。部屋へ戻り、うつらうつらしながら夜明けを待つ。


	AM6:30、目覚ましが鳴る。wifeを起こして計画を話す。wifeはふたりがバラバラになるのは危ないから一緒に行動しようと言う。
	リムジンの予約表を確認すると迎えに来るのは10時半だったので、計画を30分遅らせることができる。それならと、二人でスーパ
	ーもBishop Museumも行くことにして、準備開始。
	荷物を整理し、昨夜のtake outと、滞在中に買って冷蔵庫に入れていた果物・飲み物類を残らず平らげて朝食終了。フロントへ降りて
	Check-out。昨夜頼んでおいた車寄せのスタッフに顔を見せて荷物を預ける。TAXIは 日本語のできるおっさんのドライバーが扉を開け
	て待っていた。



	
	スーパーまではすぐだった。どデカイスーパーで商品はほとんどが食品。ハムや肉など日本とはケタが違う。こういうのを見ると
	「あぁ、アメリカなんだ」という実感がわく。昔のお供え餅のようなどでかいハムやチ−ズがデーンと並んでいるかと思うと、ガロン
	で買うコカコーラなど、日本では多食症と言われかねないぞ。





	
	メーターで払いたいwifeは「30分後に来てくれればいいから」とTAXIの運ちゃんに言い残していたが、運ちゃんはきっちり待ってい
	た。我々がス−パーから出てくるなり、車庫からサッと車を寄せてきた。こういう時は日本語がわからないフリをしている。運ちゃん
	はインドの生まれで、二人の兄弟はいずれも日本にいて一人は横浜に、もう一人は相模原にいるといっていた。よく日本へもいくそう
	だ。


運ちゃん



	
	8時40分頃 Bishop Museumに着く。9時の開館を待ってブラブラしたり、一服したり。この博物館は屋外に喫煙所がある。9時開館
	と同時に見学。東南アジア、ポリネシア、南太平洋などの文化がパネルと遺物で展示されている。ゆっくり英語の解説を読んでいる暇
	はなかったが、ハワイ民族の起源が説明してある。石器や土器、木工具が並ぶ。さすがに船具の展示は多い。民族資料もヤマほど並ん
	でいる。建物の中央は吹き抜けの大広間になっており、その空間にはクジラや2艘のカヌーなどが吊してあり、その周囲が展示室であ
	る。
	別館にはハワイ・カメハメハ王朝の歴代王の写真や遺品が展示されている。また別館には、この博物館を作ったBishopと王朝の姫との
	物語が展開していて、その二階には日系移民のハワイにおける歴史が紹介してある。まさしくここは「ハワイの歴史」を体感できる博
	物館なのである。ハワイ最後の日にここをみれて良かった。もし機会があれば次回はハワイ島やほかの島々にも行ってみたい。そこで
	は、壮大なモンゴロイドの旅路の果てが体感できるに違いない。



	
	時間になったので、待っていた運ちゃんにまたホテルまで運んでもらう。時間契約にせず、メーターでと頼んだTAXI料金は、時間契約
	とほぼ同一の110ドルほどだった。10時半キッカリに迎えに来たリムジンに乗って空港へ。











	
	途中いくつかのホテルに寄って客を拾い、航空会社別に客を降ろしていく。帰りもデルタ航空だ。搭乗口で、セガレへの土産に買った
	 CAMELの2カートンが届いていたのでそれを受け取る。13時発の飛行機は、時間ちょうどにホノルル空港を飛び立った。ダイレクト
	に関空まで飛ぶので、機内では関西弁が飛び交っていた。やれやれ、どうやら今回も生き延びたようだ。





戻ってきてパンフを整理していたら、下のようなサービスの案内があった。クッソー、これに行けば良かった。



	
	へリの遊覧サービスは大阪でもあるが、下のようなホンモンの潜水艦に乗って海中散歩などは日本では体験できない。今度ハワイへ来
	ることがあったら全体これに乗るぞ−、ってか。また行ってもいいかな。