第三日目 羅臼から網走・白滝を経て協和温泉へ 2016.6.13








	6月13日(月)雨のち曇り

	旅に出たときの習慣で朝早く目が覚める。AM3:30。細かい雨はまだ降り続いている。wifeも起きてきたので、
	相談して今日の「知床ホゥエールズウォッチング・クルージング」はCANCELする事にした。昨日船会社から電
	話があって、船は多少の雨でも出るが、景色は今一かも知れないので、8時頃までにどうするか電話をくれと
	言われていたのだ。何とも良心的。しかも電話をくれればCANCEL料もかからないと言う。
	今回の旅では、これがメインの一つだったのだけれども、この雨の中、鯨も見れず景色も見れないなら止めた
	方が正解だろう。一旦港を出てしまえば3時間は海の上だし。



	折角早く起きたのでと準備して、5:30頃宿を出た。知床半島を横断して、行ける所まで行ってやろうと車を走
	らせる。昨夜入った露天風呂の横を通り知床峠を越えて行く。









	7時頃宿へ戻り朝食。女将さんの説明を聞きながら、ホッケの開き、ホヤ、蕗、等々を食す。昨夜のキンキ、
	毛ガニは確かに旨かったが朝食は普通だ。これで一人1万5千円。高いか安いか。部屋は民宿としてはまぁ
	まぁ。でもタオルも歯ブラシも無い。勿論持参しているが、普通民宿でもタオル位はあるような気が。





なんか見たことも無い鳥が居たので写したが、どこにいるかも分からない。一眼レフが欲しいねぇ。



「自家製の豆腐、自家製の・・・、自家製の・・・」。魚も自家製だったら面ろいのに。




コレは全国共通カモメどす。

	クルージングをやめて時間が出来たので、宿を出て、今度は知床半島南岸を「どんつき」まで行ってみた。
	細長くて狭い海岸に、漁師の番屋が何処までも並んでいる。まさしく「北の果て」の旅情たっぷりだ。番屋
	が尽きた頃道路も無くなって、「熊がでます。・・・・」の看板がココにもあったのでUターンし、白滝村
	を目指す。









「相泊」(あいどまり)。ここが車道の行き止まりである。後は徒歩だが・・・・。





	ヒグマの高密度生息地とは、そこかしこにいますよ、と言う意味なのだろう。この先はTVでよく見る
	場所だ。漁師が作業している脇を、ヒグマの親子連れが歩いている場面などをよく見る。ここから歩い
	て半島先端まで行こうというのは、アルカイダの中をゆく報道マンの覚悟で行けと言う事なんだろうな。
	
	この先へ徒歩で進んで行くと、見られる光景は以下の様なものだ。(この旅で乗ったANA機内誌「風の翼」より)



	7月になってTVを見ていたら、NHKで「日本のトレッキング10」という番組の紹介をやっていた。まさに
	この相泊から先へ行くトレッキングだった。まだ放映は大分先のようだが、これは是非見なくては。







我々が行った時期と同じ頃に撮影したもののようだ。北キツネの毛が抜け落ちている。










Uターンして来た道を引き返す。













来るときあった滝はこういう名前だった。



泊まった民宿の前を通り過ぎると、町はずれに森繁久弥の銅像が立っていた。















そっくりだ。






	途中で、「歴史が好きなら」と女将さんから教えて貰った「羅臼町郷土資料館」に立ち寄る。この地域から出
	土した石器や土器が山ほど並んでいる。北海道の歴史は面白い。本土と違って、弥生時代も平安時代も、戦国
	時代も江戸時代すら無いのだ。アイヌ文化が北海道に浸透する13世紀以前の人々は、北方のあらゆる場所か
	らここへ移ってきている。



	小樽や余市の遺跡にはアムール川周辺の民族との共通点があるし、網走やモヨロなどのアイヌは千島列島人と
	似通った風習を持つ。何より、アイヌ人達のDNAには共通性が少ないのだ。つまりバラバラのDNAを持っている。
	アイヌ人達の出自は多岐に渡っているのである。面白いったらありゃしない。




	上右(下も)の作物は何でしょう?wifeがアスパラを買っている間、横に植わっているものを見ていたのだけ
	れども分からない。野菜や花の簡易売り場を仕切っていた、薄汚れたオッサンに聞くと「ああ、さとうだよ」
	と言う。「さとう?」「そう」
	さとうって何だ?。聞けばこの根っこを煮出して砂糖を作るのだという。ええーっ。サトウキビならわかるけど、
	この根っこから砂糖?そうなんやぁ。しらんかったなぁ。砂糖の野菜。こんなん近畿にあるやろか。

	<正式名はテンサイ。地元ではサトウダイコンと呼ぶ、糖分をメチャ含んだ大根だという。>

	テンサイ(甜菜、学名:Beta vulgaris ssp. vulgaris)は、ヒユ科アカザ亜科フダンソウ属の二年生の植物。
	別名、サトウダイコン(砂糖大根)ともいうが、大根とは別種の植物である。なお、イタリア名はバルバビエ
	ートラ (Barbabietola) というが、そのうちキオッジャ地方で栽培される品種はゴルゴという。
	ビートの砂糖用品種群である。寒さに強く、寒冷地作物として中から高緯度の地域で栽培されている。サトウ
	キビとならんで砂糖の主要原料であり、根を搾ってその汁を煮詰めると砂糖がとれる。葉と搾りかす(ビート
	パルプと呼ばれる)は、家畜の飼料として利用される。全世界の砂糖生産量のうち、約35%を占める。
	日本では、北海道を中心に栽培されている。テンサイから作られた砂糖は甜菜糖とよばれ、国内原料による日
	本の砂糖生産量の約75%、日本における砂糖消費量の25%を占める。(出典:ウィキペディア)




	網走を過ぎたら店らしい店もなく、途中コンビニで弁当を買って食べる。今日は結構距離がある(350km?)
	ので、先を急ぐのだ。15;30頃 白滝村に着いた。ここは今回の旅で私が一番行きたかった所である。いままで
	何度も訪問しようとして「遠すぎる」と反対され続けた場所だ。遺跡は数カ所に別れているので、取りあえず
	は資料館(白滝村埋蔵文化財センター)を訪ねる。



	いつまでもここに居たかったが、wifeが外で待っているので1時間で切り上げた。WIFEは、私が遺跡や博物館
	を見学している間は、大抵駐車場かどこかで待っている。今日も私を待っている間に、途中で買ったアスパラ
	や蕗などを箱詰めして、郵便局から九州と東京に送って来たそうだ。夫婦と雖も、費やすエネルギーの矛先は
	違うのだ。
	後ろ髪を引かれながら,旭川市の手前、愛別町の協和温泉を目指す。ここは近辺では 一軒宿の 炭酸宿温泉だ
	そうで「きのこの里 協和温泉」となっていた。











	北海道では町に出くわすことがマレである。ここが愛別町。北海道を旅していると、アメリカ大西部を移動して
	いたカウボーイ達もこんな気持ちだったのだろうな、という気になる。










	5時半頃、たんぼ道の果てにある宿に着く。中々綺麗な宿である。早速天然温泉の湯に浸かる。近在唯一とあ
	って、湯に入りに来るだけの人達も結構居た。クリカラモンモンが入ってきたので早々に退散。















	「きのこの里」と言うだけあって、夕食はきのこづくし。きのこ鍋も、豚肉野菜がてんこ盛りに後はきのこだ
	らけ。昨夜の羅臼では全く野菜が出なかったので、今夜は野菜が旨い。部屋の名前も「まつたけ」だった。







夜、また細かい雨になった。北海道第三夜である。




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