Music: Calender Girl
西表島の夏休み 2002.9.15〜18 (いりおもてじま)

  




	西表島は、日本最南端の八重山諸島にある。八重山諸島は、北緯24度15〜25分、東経123度40〜55分に位置し、
	石垣島や竹富島など12の有人島と6つの無人島で構成されている。西表島は、行政上竹富町に含まれ、東京から南西へ約
	2,100q、沖縄本島から約460q、中国大陸との距離は約440q、台湾へは約200qと沖縄より近く、緯度的に
	は台北より南である。西に日本最西端の島「与那国島」があり、南に日本最南端の「波照間島」がある。西表島の面積は、
	約284.44平方km、海岸線の長さは129.99kmで、長いところは29Km、短いところは23Kmのひし形を
	しており、沖縄県では沖縄本島に次いで2番目に大きな島である。人口は、平成10年3月末現在で1、881名となって
	いる。隣の石垣島が西表島より面積は小さいのに45,000人という人口なのは、いかに西表島がジャングルだらけで平地が無
	いかを表している。

	西表島は約1,500万年前に海中から隆起した大陸の一部で、今のような島になったのは約5万年前頃といわれている。
	いつ頃から人が住み始めたのかは定かでないが、8〜9世紀には集団として秩序だった生活形態がとられていた。仲間川河
	口にある、仲間第一貝塚、第二貝塚遺跡はそれを証明している。【邪馬台国大研究:遺跡巡りの「仲間第一貝塚」を参照さ
	れたし。】
	西表島について記した最初の文献は15世紀の「季朝実録」のなかの「斉藤州島民漂流記録」である。1609年に薩摩藩
	が琉球を支配し、それに伴って人頭税が賦課され、西表島へ近接した島々から強制移民がなされた。ペリー提督が黒船で浦
	賀へ入港する前に、西表島へ寄港したという記録も残っている。
	1879年以降、強制移民はなくなったが、西表島の開拓史は強制移民による新村建設と廃村の繰り返しであった。西表島
	には良質の石炭があり、西表島の西部、浦内川・仲良川流域や内離島では、明治19年三井物産により採掘が始まり、その
	後様々な会社によって昭和34年頃まで炭坑事業が行われた。西表炭坑最大の山は、浦内川の支流にあった「宇多良炭坑」
	だった。島の炭坑の中ではじめて集落を形成し、映画館や芝居小屋などの娯楽施設まで備わった炭坑村として大いに栄えた
	時期もあったようだが、資源の枯渇と世界大戦の影響で閉山の道を歩み、現在その場所はジャングルの中に取り残され、訪
	れる人もない廃村となっている。




	現在の島の基幹産業は農業で、島の東部地区ではサトウキビ、西部地区ではパイナップルや稲作が盛んである。最近では、
	若い世代を中心に、マンゴーやパッションフルーツなどの熱帯果樹栽培も盛んになってきている。また、そのすばらしい景
	観と気候に憧れて、西表島に本土から移り住んだ人達も多く、その多くは元会社員の脱サラ組だそうだ。中には子供の喘息
	や家族の健康上の問題から移住する人達もいる。その多くがマイホームを建築して観光土産店やペンション・民宿などの経
	営者になったり、ダイビングのガイドをしたりと、島の観光事業の中枢を占めているそうだ。現に我々を案内してくれたカ
	ヌ−のインストラクターは栃木出身のお姉ちゃんだったし、ダイビングのインストラクターも沖縄生まれではない、と言っ
	ていた。

	島の年平均気温は23.4度、最低月平均は1月の17.6度、最高は28.4度(7月)となっている。また、西表島は台風
	の転向点に近く、停滞時間が長いことから「台風銀座」と呼ばれている。通常、7月から9月の間に平均3個位来襲すると
	言われる。また、西表島はそのほとんどが国立公園に指定されている。貴重な動植物を保護する意味から、キャンプなども
	制限されている。
  




第一日目・二日目 ホテル「ラ・ティーダ」と一日カヌー教室

三日目 上原港からバラス島・珊瑚礁へ一日ダイビング
四日目 大原港から石垣島・沖縄・大阪へ

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